第8話

「簡単なところで集中力増加とか……」

「これ以上、仕事漬けにするのも……」


 私の言葉に師匠が苦笑いを示した所で、魔法棟の中が騒がしい事に気が付いた。


「……なんでしょう?」


 人々の驚きや悲鳴と言った声。それが判別できるくらいに、騒動の元が近づいてきた頃には、その足跡すらも耳に入った。

 ……どうやら、走っていると思える程の早歩きをしてのは理解したけれど……。

 そんなに急ぐ事が、この魔法棟の中に?走らないという事は、貴族?

 師匠と目を合わせて首を傾げていると、この部屋の扉が、バンッ!と勢いよく開いた。


「イル! 迎えに来たぞ!」

「!?」

「え」


 王太子殿下が少し息を切らしながらも、平然そうな顔をして言い放つ。私は、あまりの事に硬直した。

 ……え?今、まだ仕事中じゃ……。

 そんな私の声が聞こえたかのように、否、師匠自身も疑問に思ったのだろう、王太子殿下に問いかけた。


「お仕事はどうされたのですか?」

「早く終わったから、急いでイルを迎えに来た! もう自室へ戻るからな! 護衛を連れて行かねば!」


 なんという事だ。

 そして、一応護衛という事は覚えていたのか。しかも主にプライベートタイムでの護衛だと知っていたからこそ、わざわざ迎えに来たと……?……愛でる為に?


「……イルをもふりたくて仕事を早く終わらせた気しかしませんねぇ……」


 師匠が呟いた言葉に、それしかないと思える。

 とりあえず、王太子殿下が私に意識を向ける前に、部屋から脱出したい。そしてどこかで猫になりたい。

 そんな事を思いながらも、足が動かない。視線を足元へ少し向けると、立ちすくんでいる自分の身体が、小刻みに震えているのが分かった。


 ――人の姿で、見知らぬ人の前に出る事が、こんなにも怖くなったのか。


 そもそも伯爵家に居た時から、私が接してきた人間というのは少なく、唯一師匠だけが味方だ。魔法具屋の店主、ギルドの受付嬢などは、害がないだけで味方とは言い切れない存在なのだから。

 そんな中で、唯一の味方である師匠としか人の姿で接していなかったからこそ……余計に怯えているのか。

 自分の中で答えを探そうとしながらも、逃げるタイミングを見つける為にチラリと王太子殿下へ視線を向ければ、しっかりと目線が絡み合った。


「あれ……?貴女は……」


 ――伯爵令嬢だと気が付かれた!?


 いや、まさか。

 貴族の顔と名前は周知されている事だとしても、私は表舞台に出た事はない。連れ戻されはしない、大丈夫だ。と自分に言い聞かせるも、恐怖で身がすくみ、返事をする声も出ない。


「王太子殿下……女性をあまり睨みつけるものではありませんよ。見て下さい、真っ青になって可哀そうに」

「睨みつけてなどおらん! ……そう思わせたなら、すまなかった」


 助け船を出してくれたのだろう。師匠が呆れたように王太子殿下へ言えば、王太子殿下は焦ったように声を荒げ、こちらに対して申し訳なさそうな視線を投げかける。


「猫ですね。少し応接室でお待ちください。ここは薬品も多いですからね」

「ちょ!? おい!」


 私の方へ一歩足を踏み出した王太子殿下に、ビクリと身を震わせると、師匠は理由をつけて王太子殿下を部屋の外へと出した。……王太子殿下は、何か不満があったようだけれど、確かに此処は薬品など危険な物も多い。


「……大丈夫ですか? 本当に顔色が悪いですよ」

「…………」


 大丈夫です、と言いたいが、うまく言葉が発せられない。


 ――怖かった。


 人と接するのが、こんなに怖くなっているなんて。否、もとから怖かったのを、気力を振り絞って平気な振りをしていただけなのだろうか。もう今となっては分からない……わからないけれど、こんなに恐怖を感じるものなのかと驚いている。

 ……これなら、まだ魔物と対峙している方がマシだと心底思える程だ。


「……猫になって、少しゆっくりしなさい。ね?」


 護衛の仕事をしに行くというのに、ゆっくりとは如何なものだろう。そう思うけれど、人として誰かと対峙するより、いくらか気が楽である事は確かだ。

 私は素早く猫に変化すると、師匠は扉を完全に開けない状態で、私を王太子殿下へ手渡した。

 ……王太子殿下は、室内を何とか覗き見ようとしていたけれど。

 ドキドキと心音が激しい中、私は王太子殿下に抱きかかえられて戻る。その間ずっと王太子殿下は何かを考えているような顔だったが、自室へ戻るとすぐに従者を室内に呼んだ。


「魔法棟にある賢者の部屋に居た女性を調べてくれ」

(!?)


 口から心臓が飛び出るのではないかと思うくらい、心臓が飛び跳ねた。

 賢者の元に居る理由とは?そんな事が王太子殿下の口から放たれていた気がするけれど、私は自分の心音が大きく、あまりの衝撃に脳の処理が追い付かなかったようで、しっかりと言葉を聞き取れなかった。




 ◇



 王太子殿下の元に私の情報が届いたのか分からぬまま、変わらぬ生活を続けていた。

 寒い季節が終わり、温かい気候に包まれ始めた今日この頃。貴族達は舞踏会シーズンへと入る。

 雪に街道が阻まれる寒い季節は、地方からの往来が難しい事もあり、春から秋にかけてが舞踏会シーズンになる。

 だからこそ、地方に居る貴族達も王都へ来るし、商人達も売る為に集まってくる。

 春から秋とは言っても、夏は暑いため水辺の多い所を避暑地として過ごす貴族も多いし、領地にそういう所がある貴族は人を招いたりもしている。だからこそ、人が多く集まるのは、春と秋だ。


 ――王太子殿下の命も狙われやすくなるから、気を引き締めてね。


 人の往来も多くなり、王城への出入りも増える。だからこそ、師匠は真剣な顔をして私に忠告はしたのだけれど……。


 ――そろそろお父様も戻る頃だ。


 私は深く息を吐いた。

 魔物の討伐で遠征に出ていた父も、やはり行動しやすいのは春から秋にかけてで……雪で阻まれていた行路が使えるようになったならば、報告の為に、急ぎ王都へ戻ってくるだろう。

 ……柔らかいご飯。自分で何もしなくとも出てくる温かいご飯。柔らかい寝具。お風呂に入って清潔に出来る事……。

 その全てが伯爵家では叶わない事だ。

 ……まぁ、仕事はしてますけれど。……仕事というか飼われているというか……分からなくなるけれども。


 ――ブゥンッ!


 私の憂鬱な思考回路を切断するかのように、不愉快な羽音が聞こえ、耳を立てる。

 ただの蜂なのか、それとも魔法具の類か……窓から室内へ侵入しようと、こちらへ飛んできた蜂に視線を投げかければ……。


「イル! 危ない!」


 スパッと、風を割く音が聞こえた変わりに、羽音は聞こえなくなった。そこに居るのは王太子殿下で、何故か手には短剣が握られている。

 思わずチベットスナギツネのような顔になった私は、王太子殿下の足元に目をやれば、そこには真っ二つに切られた蜂。


(いやいやいや、おかしくないですかね!?)


 心の中だけで突っ込みを入れる。

 何で猫に対して、そこまで過保護になるの!?てか蜂を短剣で切るって、どんな高度な剣術よ!?というか、護衛は私なんですけど!?そう言われてますよね!?

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