第16話 夜も更け……

 灰色の空が黒く染まり、夜が更けたことを知らせる。寝具は既に置き畳の上にたたまれており、いつでも寝られる状態だ。


「えっと、これを敷いて、これを掛けるのかな?」


 ふすましとねをましまじと見るサヤカ。既に少女が置いていった寝間着に着替えており、あとは布団を敷くだけとなっていた。


「そんなことも分からんのか、貴様は」


 さすがその時代の人というべきか。重太丸は、手際よく寝床を作ると、鎧の下に着ていた服のまま横になってしまった。


「もう寝た……」


 横たわる重太丸を尻目に、寝る準備を始めるサヤカ。特に手こずることなく、無事に布団を敷き終えた。

 衾の中に入ると、サヤカは灯指に目を向けた。灯指は、障子に背を預けて座っている。その表情は真剣で、警戒を張ってくれているのが伝わってきた。サヤカが申し訳なく思いながら見ていると、灯指は視線に気づき、微笑んだ。


「気にしないでおやすみ。ぼくは大丈夫だから」

「でも……」

「きみが一番疲れてるだろ。いきなり知らない世界に呼び出されて、殺し合いまでさせられたんだから。よく頑張ったね」


 サヤカは胸がきゅーっとなるのを感じた。自分では軽く流してしまっていたことが、「頑張った」と認められた。褒められた。

 就活中は、否定されて、否定され続けて、それでも頑張ることは当たり前だとされてきたから。


「……っありがとう」


 目頭がじわりと熱くなったのを誤魔化すように、衾に顔を埋める。嬉しい気持ちのまま、サヤカは目を閉じた。


 ────が。


(……寝れない)


 慣れない場所というだけでなく、布団の感触も現代のそれと違う。まして、異世界初日という状況でぐっすり寝られるほど、サヤカは図太くなかった。

 眠れないのは苦しい。唸り声を出しながら、サヤカは何回も寝返りを打った。


(──サヤカちゃん)


 不意に、脳内に話しかけられ薄目を開ける。灯指の視線はサヤカではなく、障子の向こうに向けられていた。


(阿難の石と弥勒さんは、ちゃんと寝間着の中に入れてる?)


(入れてない。脱いだ服の下に置いたよ)


 わざわざ脳内に話しかけてくるということは、尋常でない状況なのだろう。サヤカはぎゅっと目を瞑り、心の中で答えた。


(そっか。よかった、確認しといて)


 そう言うと、灯指は勢いよく障子を開けた。


(今すぐ、その2つを寝間着の中に仕込んで。そうしたら、何事もなかったかのように寝床について。少し外に出る)


 それだけ言うと、灯指は部屋を出ていってしまった。


「何が起きてるんだろう……?」


 サヤカは不安に思いながらも、言われた通りに石2つを懐に入れ、すぐに布団に戻った。まるで、恐ろしい妖怪が忍び足で近づいてきているような緊張感。身体が強張り、サヤカはますます眠れなくなってしまった。

 心臓がうるさい。

 自分の呼吸音すらも耳障り。

 天井に、いくつもの目があるかもしれない。

 床から手が伸びてきて、引きずり込まれるかも──。

 得体の知れない何かが、今すぐにでも襲ってきそうだ。


(灯指さん、早く戻ってきて……!)


 理由なき恐怖に怯えながら、サヤカは布団の中で身を縮こまらせた。



 ◇



「……妙だな」


 2人が眠りについて、しばらく経った時。灯指は、障子を挟んだすぐ近くから、邪気を感じ取った。

 すぐさまサヤカに語りかけ、灯指は部屋を出た。しかし、障子の向こうには誰もいなかった。虫1匹すらおらず、不気味な静寂に包まれていた。


「邪気は変わらず放たれてるな。でも、気配は遠くなってる。一体どうなってる……?」


 すぐそこにいると思ったものが、刹那の内に移動している。これは尋常なことではない。神通力を使える者か、魔物でなければ不可能だ。


(でも、これで1つはっきりした。この屋敷には、あの女以外に何者かがいる……!)


 サヤカには、石を肌身離さぬように指示をした。阿難の石と弥勒が、万が一の時は守ってくれるから。

 しかし、それにも限界がある。石の所有者に襲ってこられたら、さすがに敵わない。

 早急に対処し、彼女らのもとへ戻らなければ。灯指は迷わず、気配の方へ進んでいった。

 ──すると、また気配が遠くなった。まるで、灯指の歩みに比例しているかのようだ。


「どうなってるんだ……?」


 今度は歩みを速めてみるが、やはり同じ速度で離れていく。遅くしてみても同じ。灯指との距離を一定に保っているようだった。


「埒が明かないな。でも、明らかに邪悪な気配だ。放置したくもない……」


 灯指が立ち止まると同時に、気配の動きも止まる。少し考えて、灯指は結論を出した。


「仕方ない、一度あの子達のところへ──」


 神通力で戻ろうとした、その時だった。


「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かずらにしようと思ったんじゃ」

「────!?」


 何の前触れもなく、あまりにも突然に。灯指の近くに、みすぼらしい老婆と女の死体が現れた。老婆は、女の髪に手をかけたまま、下卑た笑みで灯指を見上げた。


「こんばんは、美しい異人さん。月が映える夜じゃなぁ」

「……何者だ」

「おぉ、コワイコワイ。綺麗な顔が台無しじゃ」


 わざとらしくそう言うと、老婆は素早い動きで距離を取った。すぐ下にあったはずの死体は、嘘だったかのように消失している。


「異人さん。人間が恐怖を感じるのは、どういう時だと思うかね?」


 おどけた調子で、老婆は問いを投げ掛ける。


「暗闇の中で、得体の知れないものに出会った時──人間は、とてつもない不安を覚え、恐怖を抱き……、やがて、狂気に走るんじゃよ」


 ──ザワザワ、ゾワリ。


 大量の羽虫が這いずり上がってくるような悪寒が、灯指に襲いかかった。不安など、恐怖など、とうの昔に消し去ったはずなのに。

 安らかになったはずの心が、ぐちゃぐちゃに掻き回されている──!


(……ッまずい!)


 灯指はすぐさま神通力を発動し、その場から消え去った。


「ふぇっふぇっふぇ……。うまくいったかの」



 ◇


 ──暗闇の中で息を潜めて、どれほどの時が経っただろうか。灯指はまだ帰ってこない。衾に顔を埋め、彼の帰還を今か今かと待っていた。

 不意に、すぐ隣から金属音が聞こえてきた。不思議に思い、サヤカはおそるおそる顔を覗かせる。


「ヒッ……!?」


 視界に飛び込んできたのは、今まさに太刀を振り下ろそうとする重太丸の姿だった。



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