第15話 語り合い

「――そうして、雪山童子せっせんどうじは無事もう半分の偈文げもんを聞くことができました。願いを叶えてくれたお礼として、雪山童子はその身を羅刹に捧げます。羅刹は帝釈天……前に話したインドラだね。それに姿を変え、雪山童子の行動を誉め称えました。雪山童子は、釈迦牟尼仏しゃかむにぶつの前世であると、今もなお語り継がれています」


 屏風に描かれた絵を語るといって、昔話を始めた灯指。またも語られた自己犠牲を美譚とする話に、サヤカは微妙な顔をした。重太丸にいたっては、部屋の隅に座り込んで寝たふりをする始末だ。


「……あんまり興味ないかな?」


 灯指が寂しそうな顔で首をかしげる。


「ううん、興味ないというか……。なんか、現代の価値観と違いすぎて、ピンとこない、って感じかな」


 誰だって、自分のことがいちばん大切だ。自分の命や体を犠牲にしてまですることなんてない。しかも、叶えたい願いが大層なものなら物語にもなるが、「偈文のもう半分」というのが微妙に感じてならなかった。

 些末な願いのために、これから襲いくる激痛や死を軽視する。サヤカは、どうしても感情移入ができなかった。


「ふむ……。なるほどね」


 彼女の心を読み取った灯指が、興味深そうに呟いた。


「サヤカちゃんたちの世界は、『死』や『穢れ』という概念を極限まで遠ざけていたんだね。だから、戦争とも、飢えとも、流行り病とも無縁だったわけか。そんな君たちが死を選ぶとしたら――」


 ――死が最大の救いだと認識した時だ。


 サヤカの肩が跳ねる。生きる世界も時代も違う人物に、現代社会の癌を的確に言い当てられた。どこまで見透かされているのだろう。底の読めない彼の思考に、サヤカは恐れを抱いた。


「仰々しいな。そんなもの、どの時代でも変わらんだろう」


 重太丸が口を開いた。


「そうかな? その先に救いがあるのなら、ぼくは喜んで代償を差し出すけど」


 灯指の答えに、重太丸は嫌悪感剥き出しで顔をしかめると、再び狸寝入りをし始めた。


「ねぇ、サヤカちゃん」


 重太丸に構わず、灯指が呼びかけた。


「きみの世界の話も聞かせてよ。思想も価値観も違う世界の話って、すごく面白そうだから」

「えぇ……」


 サヤカはあまり気乗りしなかったが、灯指の目があまりにもきらきらとしていたので、しぶしぶ読んだ物語を思い返した。


 ――違う世界の人間にも通じて、適度に面白い話は何だろう。サヤカは思索を始める。

 異世界ファンタジーは、特殊要素が多すぎて訳が分からないだろう。

 SFも前に同じ。

 スポーツものは、ルールの説明から入らなければならないため難しい。そもそも口頭で話しても面白くないだろう。

 推理ものも、同じような理由で厳しい。

 恋愛ものは……男2人に話すのは、少し気が引ける。


 1つ1つ潰していって、サヤカは丁度良いものを思いついた。


「ええと、じゃあ、蜘蛛の糸のお話をします」


 絵本にもなった話であれば、口頭でもいけそうだ。仏教も絡むし、昔話でもあるから、彼らにとってもとっつきやすいだろう。

 そう考え、サヤカは「蜘蛛の糸」を採用したのだった。


 ◇


「──犍陀多かんだたが他の罪人を蹴落とすと、蜘蛛の糸はプツリと切れてしまいました。すると犍陀多は、もといた地獄へ真っ逆さまに落ちていってしまったのでした……」


 サヤカが話し終えると、灯指がパチパチと拍手をした。


「別に気を遣わなくてよかったのに。でも、面白かったよ」

「ど、どうも……」


 気乗りしない中始めた話だったが、褒められたら満更でもない。サヤカは照れくさそうに、頭に手を当てた。


「特に、救いがもたらされる基準が緩かったのが興味深かったな。ぼくなんて、お母さんを罵倒した罪を、次の生まで引きずったからね。見たと思うけど」

「確かに……」


 描写された犍陀多の善行は、蜘蛛を殺さずに見逃したことだけ。ほぼ悪いことしかしてないのに、すぐに救われるチャンスを与えられている。

 灯指の生に比べたら、たしかにイージーモードだ。


「確実に言えるのは、時代と国の相違によるものだね。文明も思想も、時代の変遷とともに変化していくのは当然のことだ」


 そう言うと、灯指は真っ直ぐにサヤカを見つめた。


「きみはどう考える? サヤカちゃん」

「どうって……?」

「罪の重さと、善行との釣り合い。救われる基準。きみたちの世界で、それが甘く設定されているのは何故?」


 投げかれられた問いに、サヤカは戸惑った。そんなこと、分かる訳もないし、考えたこともない。


「えっと……」


 返答に困っていると、几帳の外で布擦れの音がした。


「失礼いたします。寝間着をお持ちしました」


 少女の声だ。灯指の考えを思い出し、サヤカは身構えた。


「ありがとう。仕切りの外に置いといて」


 無表情で、灯指が言った。少女を部屋に入れないように徹底しているようだ。


「承知いたしました。では、此方に置いておきますので、後程お取りくださいませ。それでは、ごゆっくり」


 そう言って、少女は去っていった。布擦れの音が聞こえなくなると、灯指は表情を柔らかくした。


「――それじゃ、そろそろ寝る準備でもしようか」



ざっくり用語解説

 雪山童子……釈迦の過去世の1つ。

 偈文……仏の教えや徳を讃えた文。



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