第18話 六の宮の姫

「はああっ!」


 激しい戦いを繰り広げる重太丸と多襄丸。重太丸は水の斬撃を交えながら果敢に攻め、多襄丸はそれをさらりと躱す。彼らがぶつかり合うたびに、激しい金属音と水の弾ける音が響き渡っていた。


「う"……え……ッ」


 激闘が繰り広げられている部屋の隅で、サヤカは吐き気を催していた。凄惨な光景を間近に突き付けられては、平静を保つことはできなかった。


「オラオラどうした! もっと来いよ!」


 多襄丸が挑発的に指を動かす。重太丸は歯を食い縛りながら、太刀を構えた。


「はぁ……っ、はぁ……!」


 重太丸は、大きく肩を上下させている。疲弊しているのは、一目瞭然だった。対して多襄丸は余裕の表情。下手すれば、手加減しているまである。このままでは、重太丸がやられてしまうのは時間の問題だ。


(でも、この状況、わたしじゃどうにもできないよ……!)


 合戦の時とは違い、今のサヤカには何もない。平安時代の寝間着を着た、ただの女だ。男同士の殺し合いに割って入れるほど、戦闘力も胆力もない。

 かと言って、このままじっとしていたところで──どちらが勝っても、殺されてしまう。動いたら死、動かなくても死。今度こそ、完全に詰みだ。

 どうしようもない現実から目を背けるように、サヤカはぎゅっと目を閉じる。だが、逆効果だった。瞼の裏に張り付いた惨劇が、よりいっそう彼女を苛む。


(助けて、灯指さん──!)



 ◇



「一体どうなってるんだ……?」


 灯指は、神通力でサヤカ達のもとへ戻ろうとしていた。しかし、一向に辿り着けなかった。位置は正確に覚えているはずなのに、いつまで経っても彼女らを見つけることができない。


「完全に嵌められたな……」


 灯指はいったん、サヤカ達を探すのは断念した。とてつもなく心配だったが、聖人の変化した石を2つ持っているのだから、しばらくは無事だろうと割り切る。

 そして、術の主を探ることに専念した。


(──世界よ。森羅万象の声を聞かせたまえ)


 灯指は天耳通を使い、妨害してくる存在を探し出し始めた。

 大気の音。

 それを構成する粒子1つ1つのざわめき。木材の僅かな軋み。

 邪悪な気配の多発。

 絞り出せ。迷路の創造主の僅かな音を。気配を。その心を────。


「……見つけた」


 灯指は天井へ向かい飛び立つと、空中をガッと掴んだ。


「きゃああああッ!?」


 何もないところから、小袿姿の少女──六の宮の姫が姿を現す。その全身を引きずり出すと、灯指は彼女を抱きかかえ床にストンと着地した。


「……さて」


 灯指は姫をそっと下ろすと、厳しい表情で言った。


「ぼくたちを解放してもらおうか。即刻、その術を解いてくれ」


 有無を言わさぬ圧力を纏いながら、要求する灯指。しかし、姫は何故か惚けた表情で、何も返答しなかった。


「きみの術は解析済みだ。屋敷を作り出し、空間を意のままに操る力。道理でサヤカちゃん達が見つからないわけだよ」


 灯指が言い当てると、姫は恥じらうように顔を背け、扇で顔を隠した。


「その術は、ぼくにはもう通用しない。さっさと要求を呑んでもらおうか」


 灯指の催促に、姫はささっと背を向けた。


「……嫌ですわ」


 蚊の鳴くような声だったが、天耳通を解いていない灯指にとっては、五月蝿いくらいだった。


「だって、私の手の中のものは、皆するりと零れ落ちていくんですもの。家族も、財も──望まない恋人すらも。ならば、私の内に入ってきた者を永遠に留めておけばいい。そうでございましょう?」


 さめざめと嘆く姫。灯指の頭に、彼女の記憶が流れ込んできた。家族も恋人も家も失った姫の生は、たしかに幸福とは程遠いものだった。

 しかし、灯指は何も感じなかった。何故なら、それは因果応報の理の上で発生した事象に過ぎないから。前の生で悪業を為せば、次の生に悪影響をもたらすのは必然のこと。彼女はその報いを受けているに過ぎないのだ。


が何?」

「えっ……?」


 同情されるに違いないとでも思っていたのだろう。姫は拍子抜けしたような声で、呆気なく灯指の方に顔を向けた。


「きみが特別不幸だと思っているなら、それは甚だしい思い違いだよ」

「私が……不幸では、ない……?」


 まるで人格否定でもされたかのように、姫はその場に崩れ落ちた。手から離れた扇が、乾いた音を立てて落下する。


「うん。だって、それは前世でした行いが招いた結果だもの。悪いことをすれば不幸が降りかかるし、良いことをすれば幸福が舞い降りてくる。因果応報って知ってる?」

「そ……っ、そんなもの、知りません! 前世など、あったとしても覚えていなければ無いも同然ですわ! そのような不確かなものに原因を求めるなど、馬鹿げています!!」

「そ。まあ抱く思想や考え方は人それぞれだからね。それは理解しているつもりだ。でもさ──」


 無表情で、灯指が首を傾げた。


「きみは、不幸から抜け出すために、何か行動を起こしたの?」

「────っ」


 灯指の鋭すぎる言葉に、姫は息をのんだ。黒く大きな目には、じわりと涙の膜が張っている。


「きみの記憶を見た限り、きみはただ置かれた環境に身を任せるがまま、ただ流されているだけに見えたけど」

「そん……っ、そんな、こと……っ」

「そうでしょ。きみは何も出来ないお姫様。ただ家に引き込もって、誰かが助けてくれるのを待つだけの怠け者だよ」


 姫の目から、とうとう涙が溢れだした。だが、灯指は容赦しない。手を下さずして姫を屈服させるべく、口撃を続けた。


「ぼくたちは、この世界を救うために──きみを含めた、全ての生物を消滅させないために、色々な所に行かなきゃいけない。だから、きみの身勝手な世界に閉じ込められている訳にはいかないんだ」


 そう言うと、灯指はすすり泣く姫の目の前にしゃがみ、視線を合わせた。


「──分かったら、さっさと出してくれないかな?」


 光り輝くような笑顔には、慈愛が満ち溢れている。その顔を目にした者は、一瞬にして心が安らかになることだろう。

 しかし、正論を叩きつけられ続けた者にとっては、凄まじい威圧でしかない。姫は心を追い詰められ、次の行動が困難になってしまった。


「――では、私は……」


 抜け殻のような表情で、姫がぽつりと呟いた。


「私は、どうすれば良かったのですか……」


 助けを求めるように、許しを乞うように。儚い声で問いながら、白い指を灯指へと伸ばす。灯指は、やさしくその手を取ると、菩薩のような笑みで言うのだった。


「無理だよ。どう足掻いても、きみはその運命からは逃れられない」

「────ッ……」


 無慈悲な宣告に、姫の心は完全に折れた。黒い瞳から、完全に光が消え失せると、美しい顔がみるみるうちに痩せこけていった。

 小袿を着た美しい少女の姿から、牛の衣のようなものを身に纏ったみすぼらしい姿へと変貌を遂げると、姫は煙のように消失した。


「亡霊、か……」


 未練を持ってしまったがための、成れ果て。灯指は、哀れみの心を持って両手を合わせた。

 ──すると、大きな地鳴りの音が鳴った。空間の主が消失したため、屋敷が崩壊し始めているのだろう。


「まずい! 早くサヤカちゃん達と合流しないと!」


 サヤカ達のもとへ急ぐべく、灯指は神通力を発動した。


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