第3話 失われた仏法

「……それにしても、何でわたしを呼び出したんですか? この世界でも、異世界転移が流行ってるんですか?」


 某SNSで流れてくる異世界物のような状況なのは分かったが、何故自分が呼び出されたのか。納得のいかないサヤカは、疑問を投げかけた。すると、弥勒は申し訳なさそうに目を伏せた。


「釈尊は、それを仰る前に混沌に呑まれ、大半の人々から、その存在を忘れ去られてしまいました。本来であれば、異界の者──それも、女人を救世主とするなど、本来であればあり得ぬことなのですが……。何か、深い縁があるのでしょう」


 ──釈迦が消える。すなわち、世界三大宗教の一角である仏教の代表的人物、ゴータマ・シッダールタの存在が消去される。そんなことが起きたら、現実世界とて大惨事だ。女子大生が1人来たところで、どうにかなるものでもあるまい。語られるたびに伝わってくる事態の深刻さに、サヤカは逃げ出したくなった。


「全てをお伝え出来ず申し訳ありません。世界がこのような状況だからか、神通力が満足に使えないのです」

「神通力……」


 漫画などでよく登場する、超能力の類い。ここでは当然、仏教の聖者が扱う力だろうと、サヤカは認識する。

 そしてすぐに、ある疑問を抱いた。


「わたしを救世主として召喚したってことは、わたしにも、その力があるってことですか……?」


 ──帰れないのなら、せめて。せめて、それくらいの力はあってくれ、と。切実に願いながら、サヤカは質問した。


「ええ。、釈尊から賜った力を使うことが出来ますよ」


 強調された言葉。サヤカはすぐに意図を理解した。


「ってことは、役目を放棄したら使えないってことですか?」


 不満げなサヤカに、弥勒はにっこりと笑った。非の打ち所のない菩薩スマイルだった。ポーズは違うが、完全に弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつはんかしゆいぞうだ。汚い感情が、浄化されていくような気がする。文句を言おうとしたのが、馬鹿らしくなった。


「……分かりました。そうですよね」


 得体の知れない感覚に気圧され、了承の意を示す。一呼吸置いたあと、サヤカは考えを整理し始めた。

 まず、弥勒の口ぶりからして、逃げることすなわち死。役目を果たすまで、決して元の世界には帰れないのだろう。それに、帰ったところで、地獄のような就活が待っているだけだ。どうせなら、せっかくの非日常を堪能した方が良いに決まっている。


 ――なら、返答は1つしかない。覚悟を決めて、サヤカは真っ直ぐに弥勒の目を見つめた。


「……世界救済、やってみます!」


 どうせ、何者にもなれないと思っていた。所詮はブラック企業にしか引っかからない程度の存在。なんとなく生きて、なんとなく死ぬだけの人生だと。

 ──そこから脱却できるのならば、逃げるという選択肢はない。強い意思を胸に、サヤカは役目を受け入れた。


「前向きな返答、感謝いたします」


 サヤカの出した答えに、弥勒は嬉しそうに微笑むのだった。


「──それで、具体的には何をすればいいんですか?」


 豪語したはいいものの、何をすれば良いのかさっぱり分からない。控えめな声でサヤカが尋ねると、弥勒は再び説明を始めた。


「私たちがすべきことは、十大弟子の封じられた石を全て集めることです」


 弥勒の説明に、サヤカはすぐにピンときた。


『魔除けの石は俺たちのものだ!』


 平将門と藤原純友が戦っていた原因とおぼしきもの。彼らが言っていた魔除けの石とは、おそらく──。


「ご想像の通り。災厄を退ける石こそ、十大弟子の封じられた石です。持ち主は、十大弟子それぞれが得意とする能力を行使できます」


 智慧ちえ──舎利弗しゃりほつ

 神通じんつう ──目連もくれん

 頭陀ずだ──摩訶迦葉まかかしょう

 解空げくう──須菩提しゅぼだい

 説法せっぽう──富楼那ふるな

 論議ろんぎ──迦旃延かせんねん

 天眼てんがん──阿那律あなりつ

 持律じりつ──優波離うぱり

 密行みつぎょう──羅睺羅らごら

 多聞たもん──阿難あなん


「平将門と藤原純友は、それを巡って戦っていたんですね」

「ええ。1つ所有しているだけでも、混沌から身を守るには十分ですので。ただし、それは世界が滅亡するまでのこと。世界の全てが混沌に呑まれた時、石には何の意味もなくなります」

「そうなる前に、世界を救え、ってことですね」


 弥勒は深く頷いた。


「全ての石が集まりし時、十大弟子は復活を果たします。さすれば釈尊は取り戻され、世界は平穏を取り戻すでしょう」


 想像に容易い規模の大きさに、ごくりと唾を飲み込む。

 ファンタジー世界の主人公になったような高揚感と、果てしない道のりへの不安が、サヤカの心に渦巻いた。


「所有者は、石の力を頼みに、数々の横暴や闘争を繰り広げております。石を巡って激しい争いが起きているのも、先ほど貴女がご覧になった通りです」

「つまり……その戦いに勝って、石を集めなきゃいけないんですね」

「ええ。そのためには、多くの聖人や英傑たちの力が必要となるでしょう。ですが、彼らの多くは、混沌の影響で名無しの異形と化してしまっております。尊い教えや行いを為すことができぬ、無力な姿となっているのです……」


 弥勒は切なげに言うと、サヤカの方へ手を伸ばした。


「そこで、サヤカさん。貴女が力を使い、名無しと成れ果てた聖人たちを解放するのです」







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