第4話 名無しの真名

 告げられた、力の使い場所。しかし口頭で言われてもよく分からない。首をかしげていると、弥勒の示す先がサヤカの後ろへと変わった。


「これも縁なのでしょうか。ちょうど、我々の近くに、己の存在を明瞭に示す聖人がおります」


 振り返ると、遠くにかすかな光が見えた。日本人の平均的な視力で、ギリギリ見える距離だ。


「参りましょう」


 そう言って、弥勒は歩き出す。


(え、徒歩!?)


 少しかじった仏教説話で、十大弟子の誰かが空を飛んでいた。てっきり、弥勒もそうするものだと思っていたので、サヤカは驚愕した。


「飛行することは可能ですが、なるべく力は温存させてください。貴女を召喚し、少年から救出するので、かなりの力を使ってしまったので」

「あ、ありがとうございま……って、今心読みました!?」


 驚愕するサヤカに、弥勒はくすりと笑った。


「いいえ。貴女の表情を見れば分かります。その気になれば、貴女の思考を全て見通すことも可能ですが」

「ひえぇ……」


 誰もが1度はする妄想。もし、自分の考えていることが他人にだだ漏れだったら──なんて、ばかげた絵空事。

 空想の中だから楽しめるが、実際にそうなったとしたら嫌すぎる。サヤカは極力、何も考えないように努めた。

 そうしてしばらく歩いていると、サヤカは恐ろしいものを目の当たりにした。


「ひぃっ!?」


 地面にいたのは、目と耳と舌のない赤子だった。泣くこともせず、動くこともせず、ただそこに転がっているだけ。

 そして奇妙なことに、異形の指は、蛍のように淡い光を放っていた。


「驚いてしまうのは当然のことです」


 切なそうに、弥勒が言った。


「名無しと成れ果ててもなお、指が光を放っている……。素晴らしいことです。よほど尊い聖人か、強い縁によるものなのでしょう」


 弥勒はその場に跪くと、目を瞑り合掌した。つられてサヤカも、不恰好に会釈しながら、両手を合わせる。

 すると、弥勒はおもむろに立ち上がり、真剣な眼差しでサヤカを見つめた。


「さぁ、今こそ力を使う時です。この方の生の軌跡を辿り、真名まなを解放するのです」

「そんなこと言われても──」


 分からないと言おうとしたサヤカの頭に、記憶の波が押し寄せる。


 生まれた瞬間光を放つ指。

 王への謁見、黄金に照り輝く王宮。

 巨万の富、刹那の内に崩れる財宝。

 背負った屍。門番に打たれる痛み。

 黄金に変わる屍。

 閉められた門。母への罵倒。

 地獄の苦しみ。

 指の落ちた泥の像。修繕し抱いた願い──。


 断片的な映像が、頭に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

 そうして、サヤカは名無しの全てを見た。

 普通であれば処理不可能な情報量の、全てを理解した。

 過去。現在。未来。因果。輪廻。生と死の繰り返し。

 巡り巡ったその果てに得たのは、光輝く指先。


 彼の名は────。


「黄金の指を持つ者──王舎城おうしゃじょうの、灯指とうし


 操られるように、その名前を口にする。

 するとその瞬間、名無しが眩い光を放った。反射的に、サヤカはぎゅっと目を瞑る。

 ほどなくして、おそるおそる目を開けると、美麗な青年が立っていた。


「今の力は、宿命通しゅくみょうつうといいます」


 困惑するサヤカに、弥勒が説明をした。


「己や他人の過去や生活、前世をすべて知ることのできる力です。今の貴女が扱えるのは、現状それのみとなります」

「真○看破の強化版みたいなもんか……」


 重くてすぐに削除した某ソシャゲを思い出しながら、サヤカは呟いた。


「あの……」


 控えめに、青年──灯指が口を開いた。


「助けてくれてありがとう。ぼくは灯指……って、すでに知ってるか」


 女ならば、誰もがうっとりするような声と笑顔だった。弥勒が美形俳優なら、灯指はアイドルだろうか。短時間で、異国の美形を目の当たりにしすぎて、感覚がおかしくなりそうだ。


(わたしは灯指さんの方がタイプ──)


「サヤカさん。釈尊から尊い力を賜ったのですから、煩悩は棄てなさい」


 惚けるサヤカを諌めるように、弥勒がぴしゃりと言い放った。


「しょうがないでしょ!? 女子なんてだいたいこんなもんよ!」


 そう言い返すと、弥勒は苦い顔をした。

 何故この女が救世主に選ばれたのだろう、と思っているに違いない。


(そんなんわたしだって分からんわ!)


 ムッとした表情で弥勒を見上げるサヤカ。2人の間に、小さな火花が散った。


「まあまあ、二人とも。そのへんにしておこうよ」


 両手をあげ、灯指がなだめに入る。


「それよりも、今の状況を教えてほしいな。一体、この世界で何が起きてるの?」

「あ──」


 なんと説明するべきか。サヤカが言葉に詰まっていると、弥勒がすっと前へ出た。


「私の心をお読みください。口頭より、こちらの方が早い」


 弥勒が言うと、灯指は黙って目を閉じた。神通力を使って、心を読んでいるのだろう。2人の間には、邪魔してはいけないような、踏み入ってはいけないような──そんな神聖さが漂っている。独特な空気感に、サヤカはつい見入ってしまった。


「……なるほどね。よく分かったよ」


 灯指の声で、サヤカはハッと我に返る。いつの間にか、ぼんやりしていたようだ。


「そんな事態で、ぼくを最初の1人に選んでもらえるなんて、すごく光栄だ。もちろん協力するよ」


 灯指が、キラキラと眩しい笑顔で言った。サヤカは思わず顔を手で覆った。


(指だけじゃなく、ご尊顔まで光ってらっしゃる……)


「…………」


 この期に及んで惚けるサヤカに、弥勒は神通力を使おうとする。すると、灯指はそれを静止した。


(弥勒さん、やめよう。それ以上力を使ったら、身体がもたないよ)


(これは必要なことです。釈尊から救世主の運命を授かった者が、煩悩にまみれているのはあり得ないこと。サヤカさんには、すぐさま心を改めていただかなければなりません)


 弥勒の思考に、灯指が首を横に振った。


(大丈夫だよ。逆に考えて、サヤカちゃんはあの方に選ばれたんだ。無理に矯正する必要はないよ。これから長い旅になるんだし)


(しかし──)


「サヤカちゃん」


 弥勒の反論を遮り、灯指がサヤカの名を呼んだ。


「早速、1つめの石を探しに行こう」

「はい! ……ええと」

「大丈夫。道案内なら任せて。ぼくの指は、正しい道を指し示すんだ」


 そう言うと、灯指の指先から光の線が伸び、地を這った。まるで、道を示しているようだ。


「……これを辿ればいい、ってことですか?」

「そうだよ。まあ、徒歩になるけど」


 笑顔で答える灯指。サヤカの心に、不安が沸き起こった。


(歩ける距離なのかな、これ……)


 少し疑って、すぐに思考を放棄した。どのみち、灯指が示した道を辿るより他はない。


「分かりました。行きましょう!」


 そうして3人は、石を手に入れるための旅路に出た。


 ──その先に、おぞましい悪意が渦巻いていることを、彼らはまだ知らない……。









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