第21話 謎の男
「――それじゃあ、これから道を示すね」
灯指が神妙な面持ちでそう言った。
阿難の石と弥勒を奪われてしまったサヤカ達は、それらを取り返すべく、盗賊たちの居城へと向かおうとしていた。
彼らの間に、とてつもない緊張感が走る。それもそのはず、たった3人で敵の領域に乗り込もうとしているのだから。
「なぁ、本当に大丈夫なのか?」
重太丸が、怪訝な顔で問う。
「敵の数も強さも、全く分かっていないんだぞ。その状況で敵地に入り込むなど、犬死ではないのか?」
たかだか3人の戦力。うち1人――サヤカは戦闘経験のない素人。多襄丸ほどの豪傑や、老婆ほどの邪術の使い手が多数いたとしたら、サヤカ達に勝ち目はない。最もな指摘だったが、灯指は冷ややかな視線を重太丸へ向けた。
「だったら、きみを偵察に行かせてもいいんだよ?」
「……は?」
怪訝な顔をする重太丸。灯指は彼の肩をぽん、と叩くと、サヤカに聞こえぬよう耳元で囁いた。
「気づいていないとでも思ったか? 次ふざけた真似をしてみろ。戒を破ってでも殺すからな」
――ぞわり。
重太丸の全身に、悪寒が走る。どんな恐怖よりも各段に上のそれに、重太丸は青ざめた顔で押し黙った。
(なんかギスギスしてるなぁ……)
不穏な空気を漂わせる2人に、サヤカは居心地の悪さを感じる。気を紛らわせるように、暗闇の中をきょろきょろと見渡し始めた。
――それにしても、暗い。少しでも歩けば、底のない闇に呑み込まれてしまいそうだ。
灯指の光によって、靴や太刀などを回収できた程度には視界が確保されている。しかし、それがなくなってしまえば……。
サヤカは底知れぬ恐怖を感じ、身震いをした。――その時だった。
「っひあぁ!?」
うなじに、ぬめった何かが這う感触がした。壮絶な悪寒が走り、サヤカは思わず悲鳴を上げる。
灯指と重太丸が、何事かとサヤカの方を振り向く。そしてすぐに、灯指は血相を変えて叫んだ。
「彼女から離れろ、下衆が!!」
凄まじい怒号が響く。サヤカも重太丸も、恐怖で身体を硬直させた。
「お~怖い怖い。冷静さを失ったら、助かるもんも助からねぇぜ?」
飄々とした声が、サヤカの真後ろから鳴る。驚いて振り向くと、古代インド人のような風貌をした男が立っていた。
「い、いつのまに……」
「いつの間でもない!」
サヤカが困惑していると、重太丸が太刀を抜いた。
「貴様は何の前触れもなく姿を現した。物の怪の類でもなければ、そのようなことは不可能だ! ――貴様一体、何者だ!」
重太丸が、男に刃を向ける。男は特に臆することなく、困ったように頭を掻いた。
「何者って言われても……。自分の名前も、何してたのかも忘れちゃったんだよねぇ」
「ふざけたことを!」
「でも、これだけは分かるよ」
ふいに、男の姿が、蝋燭の火のようにふっと消えた。唐突に起きた消失現象に、重太丸は驚愕して目を見開く。
『透明になれる薬を持ってること。そして――うぉっ!?』
意表を突かれたような声の後、男の姿が露わになった。闇の中から現れた男の腕を、灯指がすでに掴んでいた。天眼の前には、男の透明化など無意味だった。
「きみの浅ましい欲望なんて筒抜けだよ。不快だから、さっさと消えてくれないかな?」
男が手を伸ばそうとした先にいたのは、サヤカ。彼は、姿を消してサヤカの身体を弄るつもりでいたのだ。その欲望まで見透かしていた灯指は、男の腕を握る力を強めた。
男は面白くなさそうな顔をすると、わざとらしく肩を落とした。
「あ~あ。せっかくキミたちを助けてあげようと思ってたのに。そんな態度じゃあ、その気が失せるなぁ」
「なんだと……?」
灯指の眉が、ピクリと動く。効果ありと判断した男は、ニヤリとほくそ笑んだ。
「キミたちの話、聞いてたぜ。大切な物を盗られたから、盗賊のアジトに乗り込むんだろ?」
「……」
「だったら、オレが作ったこの薬が役に立つんじゃねーか?」
「必要ない!」
灯指は誘いを一蹴すると、乱雑に男の腕を解放した。取りつく島もないと判断した男は、大きく舌打ちをした。
「あーそうですか! だったらそのガキの言う通り、犬死すればいいよ!」
捨て台詞を吐き、立ち去ろうとする男。薬を使ったのか、その姿は一瞬にして消失した。
――このまま立ち去れば、男と関わらなくて済む。しかし、それでは駄目な気がする。サヤカはそう直感した。
「あ、あの……!」
男の消えていった暗闇に向かい、サヤカが叫んだ。返事はない。灯指と重太丸が、ぎょっとしてサヤカを見た。
「い……っ、痛くしなければ、いいので……っ! その薬、わたしたちに分けてください!!」
「サヤカちゃん!?」
灯指が、顔を真っ青にしながら、サヤカの両肩を掴んだ。
「きみ、自分が何言ってるのか分かってるの!?」
「だ、だって……。実際、あれがあったら便利だなって。姿を消せるんでしょ?」
「だからって、自分の身体を軽く扱ったらダメだろ!」
灯指の言葉に、サヤカはきゅっと胸を締めつけられた。現実世界で、そのような優しい言葉をかけてくれる人物はいただろうか。
心が温かくなるのを感じながらも、サヤカは覚悟を決めた眼差しで灯指を見上げた。
「それで世界が救われるなら、軽い犠牲だと思う!」
「――――」
絶句する灯指。彼が何を思おうと、サヤカの意志は変わらなかった。
「へぇ。そこの男どもと違って賢いじゃん、キミ」
音もなく、男が姿を現した。真後ろから鳴った声に、サヤカの肩がびくんと跳ねる。雄の匂いが鼻腔に入り込んだかと思うと、男の腕がサヤカの身体に回されていた。
「それじゃ、この
「先払いだ」
男の舌がサヤカの耳に届くより先に、灯指が手を差し出した。
「先に薬をよこせ。ことが済んだ後、おまえが逃げないとは言い切れないだろ」
「ふぅん? キミたちがオレを逃がすなんてヘマ、するとは思えないけどね?」
「お前は、ぼくたちに性行為を見せつけたいのかい? その
灯指の言葉に、重太丸は顔を強張らせた。彼は混乱しているようで、尋常でないほど目を泳がせている。
「なるほど。たしかにその通りだ」
男は納得すると、サヤカから離れ、薬の入った袋を灯指に手渡した。
「そんじゃ、楽しませてもらうぜ……」
男は、すぐにサヤカのもとへ戻ると、彼女の身体に腕を回した。
しばらくの間、男の荒い呼吸が響き渡った――。
混沌・今昔物語集~平凡な女子大生、未来仏・弥勒に召喚されて世界を救う~ ブモー @bumo555
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