第7話 彼は彼女に願う

「伊月さん、一言いいかな」

「んお?」

「君、今の今まで、よく生きて来られたね、『こんな』場所で」

「んー……?」

 発言の意味が分からない、と言わんばかりに首を傾げる鈴音。その様子に恐ろしいものを感じながら、司は改めて目の前の光景を見渡した。できれば直視したくないが、ここまで来てしまった以上致し方ないことだ。

 放課後、司は鈴音と共に彼女の自宅を訪れていた。あんぱんの対価に求めた自宅訪問が「い〜よ」という鈴音の安易な一言で了承されたからである。

(……ここがうら若き女子二人が住む一軒家だって? 冗談は漫画だけにして欲しいんだが)

 そう思いたいが、何度瞬きしても司の目の前の惨状は変わらない。

 床はゴミと、鈴音が脱ぎ散らかしたと思しき服で散乱している。

 テーブルには、使用済みのコップやらカップ麺のカップやら、お菓子の空き箱やら……食べてすぐに放置したもので溢れていた。当然のように、ぶんぶんと蠅も集っている。

「リビング以外も、同じような状況……なの?」

「ううん、お姉ちゃんが家を出てからは、こことトイレとお風呂しか行かないから」

 だから大丈夫、と鈴音は何故か自慢げに胸を張るが、司の心はちっとも晴れ晴れとしない。

(僕の知ってる女子の部屋と違う。あれは二次元にしか存在しないモノだったのか……?)

 くらくらと目眩を覚える司をよそに、唯一無事なソファーに腰掛けていた鈴音がよいしょ、と立ち上がる。足下でがさ、とゴミが音を立てた。

「お茶、淹れてくる。……って思ったけど、あたしお茶淹れられないんだった……お水でいい?」

「お水は良いよ。それより、ゴミ袋を出して」

「ほ?」

 「何で?」と言わんばかりの反応に思い切り眉を寄せつつ、司はブレザーを脱いだ。

「僕の理想を守るために、この部屋だけでも掃除する。いいね?」

「する必要あ」

「ある。僕の理想のためだ。黙ってゴミ袋を差し出しなさい、今すぐ」

「……ほーぅい」

 鈴音は素直に両手を挙げて、がさごそと足下を鳴らしキッチンへ向かった。あまりにも危機感の薄い小さな後ろ姿に戦慄を覚えながら、司はワイシャツの袖を捲り上げる。

 鈴音のような百合の申し子はぬいぐるみに囲まれ、清潔な石けんの匂いが漂う部屋に住んでいなければいけない。美少女はいい環境でこそ、百合力を発揮するのだから。それが司の百合における美学だ。



 二時間半にも及ぶ司の奮闘の後、何とかリビングの掃除を完了させることができた。やる気のない鈴音に用意してもらった可愛いぬいぐるみやクッション、女の子らしいテーブルクロスなどを配置し、司は満足げに額の汗を拭った。

「お〜……さすが生徒会員くん、良い仕事したねえ……」

 ぱちぱちぱち、とソファーに寝そべっていた鈴音が拍手する。それに気分が良くなった司は爽やかな笑みを浮かべて湯飲みに入った水道水をあおった。

「久しぶりに良い運動をしたよ。しばらく体育の授業をサボりたいくらい、動いたね」

「うんうん。あれはいい動きっぷり。ごきぶりちゃん並みの俊敏さはあった」

「例えが嬉しくないけど、ありがと……う?!」

 と、司の視界に入ったものを見てぎょっとした。

 鈴音の手元に広げられていたのは見慣れた古典の参考書……ではなく、愛用する百合雑誌『らぶりぃ』だったのだ。

「それ」

「君の鞄から落ちてきた、拾ったの。見るつもりはなかったんだけど、捲ってたら止まらなくなっちゃって」

 鈴音がソファーの足元に置かれた司の鞄を指差す。他の教科書類はきちんと収まっていることから「落ちてきた」は明らかな嘘だと分かったが、そんなことはどうだって良かった。平然とページを捲る鈴音に司はばくばくと高鳴る胸を押さえつつ、何か言おうと口を開いた。

 が、それよりも先に鈴音が司に向かって雑誌を広げてみせた。よりにもよって、一ページぶち抜きのキスシーンを。

「君はこういうのが好きなの?」

「…………ご飯、奢るよ。だから、君が今見たものは忘れるんだ、いいね?」

 返事の代わりに、ぎゅるるるる、と鈴音の小さなお腹が鳴った。




「おいしい……あったかい……幸せ……」

 口をハムスターのように膨らませた鈴音がご満悦でハンバーグを頬張る。司はお茶をすすりながら、その姿を正面から眺めていた。ハンバーグの他はご飯と味噌汁。ご飯以外、冷凍食品とインスタントのコラボレーションで揃えた。ちなみに、全て鈴音のリクエストだ。

「ご飯以外、チンしただけだけどね」

「ご飯なら何でもおいしいから、うれしい。君のこと、神様って呼んでもいい? ご飯の神様」

「神様じゃなくて、ただの生徒会員だから」

「……ご飯の生徒会員様?」

「森本司っていう名前があるから、それで呼んでくれない?」

「ふむふむ」

 鈴音は何か考え込むように咀嚼し、飲み込んだ後、その琥珀色の目を司へまっすぐ向けた。

「とりあえず、ご飯のお金はお姉ちゃんが帰って来たら、すぐに返すとして」

「今日の夕食代はいいからね。例の本の口止め料だから」

「あの漫画のこと、そんなに秘密にしたいの?」

「人の趣味には人目についていいものと、そうでないものがある。残念ながら、僕のあれは後者だと言われがちでね。円滑な高校生活を送るためにも、君の記憶から抹消して欲しい」

「あの漫画、面白かったのになー」

「……マジで?」

「うん。絵が綺麗だったし、女の子がちゅーってしてたり、『恋人です』って言ってたりするの、初めて見たし……色んな世界があるんだね」

「……君、理解力ありすぎない?」

「そう? 初めて言われた」

 首をこて、と傾げつつ、鈴音がハンバーグを頬張る。

「話戻すよ? ご飯はちゃんとお金で返すけど、あたし的にはそれじゃ『テイク』にならないと思うんだ。お部屋のお掃除もしてもらったし、あんぱん貰った分もあるしね」

「『テイク』って、ギブ・アンド・テイクのこと?」

「いえす。うちの掟は絶対なのです。だから、あたしは君にお返しをする必要がある」

 持っていた箸をきちんと置くと、鈴音は手を組み真顔で告げた。

「君は、何プレイがお好みかね?」

「質問の意味が分かりかねます」

「夜、女子高生と二人きりでご飯。お風呂は沸いている。あとは……分かるね?」

「悪いけど、僕、女子高生は性欲の対象外なんだ。というか、女子高生は女子高生とイチャイチャして欲しいよね、ぶっちゃっけ」

「ほー。ぶっちゃけたね〜。それが本性?」

「性癖を知られたし、隠しても意味がないなと思っただけだよ」

「じゃあ、君とイチャイチャするより、女の子とイチャイチャした方が君は喜ぶ?」

「……してくれるの?」

 思わず身を乗り出して尋ねる司に、鈴音は表情を変えずに首を傾げた。

「具体的には?」

「僕の幼馴染みと告白から始まる出会いをして、隙あらばキスしたり抱きしめたりとにかく密着をしまくって欲しい」

「ほう」

「叶奈はぐいぐい来るタイプに弱いから、容赦なく責め立てて、ぐらつく瞬間までスキンシップをして欲しいね、ああ、もちろん、寸でのところで引いて、叶奈の出方を窺ってみてもいいかもね、叶奈は案外Mっ気があるところがあるんだ、そこがいじめたくなるというか、百合的に美味しすぎるポイントだと思ってる」

「へー」

「スキンシップが当たり前に取れるようになったら、再度告白して、揺さぶりを掛けて欲しいね。友情と恋愛……その狭間が百合の真骨頂、一番美味しいところと言っても過言じゃない。僕はその瞬間をこの網膜に焼き付けることができるのなら、それで人生が終了してもいい、ああ、いや、でも、愛を選んだ先の二人を見たい……今は同性同士でも手続きを踏めば家族にな……」

「な?」

「……一年A組に山内叶奈って子がいるんだけど、その子と友達になって欲しい。俺の幼馴染みで、とてもいい子だから、君のような百合的に美味し……いや、可愛い友達ができると嬉しいと思うんだ」

「で、キスしたり抱きしめたりすると」

「その下りはちょっとした冗談って奴さ。気にしないで」

「冗談、ねー」

 表情を変えず、鈴音がなるほどなるほど、と頷いた。

 司は己の煩悩を咳払いで打ち消すと、背筋を伸ばして話を続けた。

「高校に入ってから、叶奈はあんまり元気がないんだ。理由は何となく分かるけど、僕じゃどうすることもできない……というか、それは僕の役割じゃない。だから、新しい友達ができることはそんな叶奈の良い刺激になると思うから、是非友達になってくれると僕も嬉しい」

「その子のこと、どうしてそこまで気にかけてるの?」

「叶奈が僕にとって、特別な女の子だからだよ。彼女には、幸せになって欲しいんだ」

「ふぅん」

 味噌汁をずずっと啜ってから、鈴音はぽつりと答えた。

「まあ、頑張ってみる」

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