第50話 彼女は精一杯アプローチをする

「それは絶対チャンスじゃん。モノにしちまいな」


 光からの力強い後押し――の割には彼女は二学期も相変わらず原稿用紙と睨めっこしていて、あまり熱意を感じなかったが――を受けた叶奈は成り行きとはいえ、文化祭実行委員としての仕事をこなすことにした。

 と言っても、一学期からずっと単独で司が進めていたため、内容はほぼ決まっていたし、役割分担も同様だ。なので叶奈は司から指示を仰ぎ、クラスの出し物の進捗を確認したり、司に割り当てられていた文化祭の入退場管理のマニュアル作成などを手伝うことになった。

 会長から直々に手伝いに抜擢された鈴音も同じように働いていたが、彼女は大抵副会長である一途か同じクラスの希の手伝いがメインだった。鈴音は「叶奈ちゃんと森本くんと一緒が良かった」と文句を言っていたが、会長からの頼みであること、一途とは喧嘩しながらも不思議と上手くやれていることから(希とも悪い関係ではないらしい)、叶奈たちの前に現れることは少なかった。

 つまり、叶奈は司をある意味独占している状態だった。


「――つーくん、今いいかな? 文化祭のことで話しておきたいことがあるんだけど」

「ああ、いいよ。じゃあ生徒会室に一緒に行こうか」

 放課後。叶奈がそう話しかけると、すぐさま司が頷いて応じた。

「あ、えっと。もしできればなんだけど……中庭で話さない?」

「中庭?」

「う、うん。室内にこもってばかりだと気が滅入っちゃうし、気分転換にどうかなって。わたし、お菓子を焼いてきたんだ。だからそれを食べながらとか、どうかな?」

 叶奈が事前に用意していたセリフをドキドキしながら告げる。司は考え込むそぶりをした後、静かに頷いた。

「そうだね。いいよ、行こうか」

「うん!」

 司の返答に叶奈は心の底でガッツポーズをした。




 中庭はおあつらえ向きに閑散としていて、日当たりのいいベンチを確保することができた。

「あれからクラスの何人かと相談してスケジュールを作ってみたんだ。こんな感じで大丈夫?」

「……うん。いいと思う。部活動の出し物優先の子も少しだけ参加できるようにしてくれてあるし、これなら盛り上がりそうだね」

 クッキーを摘みながら、司がスケジュール表を見て頷く。その様子にホッとしつつ、叶奈は自身のスマホに目を落とした。

「あとは衣装作りと喫茶店で出すメニューを決めるのと……あ、そうそう。最初は純喫茶っぽくレトロでシンプルな看板にしようって話だったでしょ? 光ちゃんがもっと目立つようにした方がいいんじゃないかって」

「……確かに、高坂さんの出してくれた衣装案、どれも派手なコスプレ衣装だからね。それはそれでギャップがあっていいと思ったけど、やっぱり高校生の文化祭らしく明るいイメージの看板の方がいいか。それも高坂さんにデザインを頼もうか。あ、でも、衣装の方で頑張ってもらってるし、流石に負担か」

「わたしに絵心があればやりたいけど、こればっかりはちょっとねえ……じゃあ、案だけ光ちゃんに出してもらって、作るのは私と友だちでやるよ。クオリティーは下がっちゃうかもしれないけど、みんなでやれば多少は良くなると思うし」

「そうしてもらえるとすごく助かるよ。じゃあ、お願いしてもいい?」

「もちろん! できる限り頑張ってみるね」

 両手に拳を作ってやる気をアピールすると、司が微笑んだ。

「思った以上にいろいろ手伝ってもらうはめになっちゃったね。本当に大丈夫? バスケ部もあるのに」

「大丈夫。そっちも抜かりなくやってるし。そんなこと言ったら、実行委員の希ちゃんだってバスケ部と両立して頑張ってるから、わたしも負けるわけにはいかないよ」

「……いつの間に草尾さんにライバル意識を持つようになったの? 前はむしろ困った感じだったよね」

 司に問われ、叶奈は苦笑いしながらココアクッキーを摘んだ。

「前は……ね。でも、ちゃんとそう思えるきっかけがあったんだ。だから今はちゃんとライバルとして見られるようになったって言うか」

「もしかして、夏合宿で何かあった?」

「うん。あ、でも、それは秘密なんだ」

「そうか。うん、そうだよね。女子同士のことはいろいろあるだろうしね、いろいろと」

 やけにいろいろ強調しながらウンウンと納得したように頷く幼馴染に、叶奈は小さな声で告げた。

「でも……つーくんにはきっと、いつか言うと思うよ」

「草尾さんとのエトセトラを?」

「……というか、女子同士でいろいろ話してたこと、かな」

 叶奈の言葉の意図を掴みかねているのか、司がキョトンとしてこちらを見つめている。その視線に叶奈は頰が赤らむのを感じながら、ハート型のプレーンクッキーを一枚手に取った。

「それは、男子の僕が聞いていいことじゃないんじゃないかな」

「そんなことないよ。つーくんは私にとってただの男子じゃないし」

 叶奈の脳裏に浮かぶのは、中学三年生の冬。バスケ部を逃げるように辞めた後、勉強を教えて欲しいとおずおずと打ち明けた叶奈に、何も聞かずに付き合ってくれた司の姿だ。

 叶奈がバスケ部で華々しく活躍し、その姿を「プリンス」と評されていたのに対し、司は目立たなかった。成績上位者の中に並んでいたものの、最も秀でていたわけでもない。顔立ちも中性的で叶奈からすれば美人の部類に入るのだが、他に司をそう表現するものはいない。昔も今も、派手か地味かで言えば、圧倒的に地味だった。

 それでも、幼い頃から自分に対して態度を変えず、穏やかに受け入れてくれる司は、叶奈にとって「王子様」であり、特別だった。

「……まあ、幼馴染だからっていう意味なら、そうだけど。でも、だからって何でもかんでも言う必要はないと思うけどな」

 さく、とクッキーを食べながら、司が言う。

 勇気を出して少し大胆なことを言ったのに、素っ気ない。そう思ってしまったせいで、叶奈は手に持ったハート型のクッキーをぎゅっと握りしめて、さらに勇気を振り絞った。

「ただの幼馴染とか、そんな風にわたしは思ってない、よ……」

「え?」

「だから、言いたいの。つーくんに……わたし……」

 心臓の音が叶奈の中で大きく響き渡る。しかし、叶奈がその続きを口にする前に、司がいきなり立ち上がった。

「っはい! もしもし、森本です!」

「へっ?」

 いきなりスマートフォンを耳に当てた司に、叶奈は勢いで告白しようとしていたことを忘れ、ぽかんとする。

 司は何度も頷くと、

「そうですか、それは早急に行わなければ。今、行きます」

 通話を終えた司は、申し訳なさそうに眉を下げて叶奈を振り返った。

「ごめん。副会長からどうしてもやって欲しいことがあるって頼まれたから、僕行くね」

「えっ」

「あ、他に伝えたいことがあるならメッセージ送って。電話は出られないと思うから。急ぎじゃないものは返信遅くなると思う、ごめんね」

「あ、あの、つー……」

「じゃあね!」

 かつてないほどの満面の笑みを浮かべた幼馴染は、そう告げるとあっという間にその場から走り去ってしまった。

「……うわぁ」

 告白を遂げられなかった落胆と大胆なことをしようとしていた自分への羞恥心に、叶奈は真っ赤な顔で俯いた。

 その手の中で、ココア味のクッキーが粉々に砕けていることにも気付かずに。

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