第51話 彼は彼女に提案される
「ちょっと。何で今日も来てんのよ、新人」
「昼食時もやらなければいけないことがあるので来ているだけです。忙しい時期なので」
昼休み。今日も弁当を持って生徒会室に現れた司に、一途がじろ、と睨んできた。
「別に毎日来る必要なんてないから。呼び出された時だけ来てりゃいいのよ。今、あたしと会長は大事な話をしてるんだから帰んなさい。邪魔よ」
「どうぞお気になさらず。隅で中間テスト対策をしてますから」
「気になるっての! って言うか勉強しに生徒会室に来るんじゃないわよ!」
「ここの方が落ち着きますし、分からない問題があれば会長たちに聞けるのでちょうどいいと思って」
「後輩の分際で先輩を利用しようとするんじゃないわよ!」
髪を逆立てて怒りを露わにする一途に、まあまあ、と縁がその肩をポンポンと叩いた。
「森本くんには普段頑張ってもらっているし、文化祭も大切だけどそれに気を取られてテストの結果が悪化してしまっては元も子もないからね。特別に許可するよ」
「う〜……会長優しすぎます〜!」
「そんなことないさ。むしろ、森本くんには頼りきりで先輩として何かできないことはないか考えていたところだったから。そうだ、飲み物を奢ろう。適度な糖分補給は勉強に必要だからね。ミルクティーでいいかな?」
「いえ、そんなお気になさらず、僕のことはどうぞ壁か椅子かテーブルだと思って」
「そうですそうです! 椅子にミルクティーなんて奢る必要ないです!」
さり気なく司を貶しながら主張する一途に、縁はにっこり笑って立ち上がった。
「いいじゃないか、私だってたまには先輩ぶりたいんだ。一途もどう? 君はいちごミルクが好きだったよね」
「だっ、ダメです、かいちょ〜! あたしが買ってきます! だから会長は絶対! ここから動いちゃダメですから!」
「そうかい? じゃあ私の分はいいから森本くんのミルクティーを頼むよ」
「いいえ! ミルクティーは会長の好きなものなんですから、必ず買ってきます!」
そう言うなり、一途は財布を掴んで生徒会室を慌ただしく出て行ってしまった。
「ふふ、後輩想いな先輩で良かったね、森本くん」
「……お金はちゃんと払います。後が怖いんで」
「気にすることないよ。一途のことだ、一度奢るといったら奢らせないと気が済まないと思うからね。気にせずミルクティーをもらうといいよ」
「はぁ……会長がそうおっしゃるなら」
仕方なく司がそう告げると、縁はうんうんと満足げに頷いた。
「ところで、森本くん。君は伊月さんと山内さん、どちらと付き合うんだい?」
「………………はい?」
思わず両耳に手を当ててしまった司に、縁が微笑みながらゆっくりと近づいてきた。手入れの行き届いたロングヘアが痩身な彼女を包み込むかのようにふわふわと揺れる。
「告白されたんだろう? 二人から」
「はい?」
「それに困ってしまって、二人から逃げるために生徒会室へ毎日通っている。違うかい?」
「あの、何をおっしゃっているのか、よく……」
「森本くん。私は関心のある人の観察が趣味なんだ。その人の趣味趣向から口に出すことの憚られる秘密まで、可能な限り何でも知りたいと思う質でね」
長テーブルを挟んで向かい側までやってくると、縁は微笑んだまま首を傾げた。
「幼馴染でバスケ部のエースの山内さん。同級生で猫のような気まぐれさを持つ伊月さん。君の心はどちらに傾いているのかな?」
「…………あの、困ります、生徒会長」
「ふふ、困った君も可愛らしいね、森本くん。さあ、どっちだい?」
どうやら逃げ道はないようだ。
そう悟った司はため息をつき、努めて平静に答えた。
「まず、訂正させてもらうと、伊月さんからは確かに告白されましたが、叶奈……山内さんからは何も言われてません」
「そうなのかい? じゃあ、そう言う雰囲気を醸し出していただけだったんだね」
縁が意外そうに目を丸くする。実際、本当に叶奈からそう言う雰囲気を感じ取った自分はともかくとして、見ていたわけではないのに雰囲気だけで察することができている縁に、司はいろんな意味で肝が冷えた。
「ええ、まあ……でも、僕は彼女のことをそう言う風には考えていないというか……」
「じゃあ、君の本命は伊月さん?」
「……いや、尚更考えられないというか……そういう考え自体が地雷というか……」
「地雷か。随分とセンシティブな言い回しをするんだね」
縁はニコニコと楽しそうだが、司は話すたびに冷や汗をかき、胃の辺りがズシンと痛む。時折そわそわと落ち着かなくなるし、とにかく、自分自身のリアルな恋愛について考えること自体が駄目だった。これが百合妄想ならいくらでも考えられるし、熱く語れるのだが。
「と、とにかく、僕はどちらとも付き合つもりはなくて……」
「では、そう伝えた方がいいんじゃないかな。彼女たちとは文化祭の準備でも顔をあわせる機会があるのだし」
「それは……そうなんですけど……」
縁からのもっともな言葉に司は口ごもった。
「まあ、多少なりとも関係にヒビは入るね。男女三人の恋愛関係というものはそうなりがちだから」
「……いいんです。僕が逃げていれば。二人との友情や二人の関係を壊すことは望んでいませんし。平穏が一番です」
「本当に逃げ切れると思うかい? そうやっているうちに山内さんも告白してきたり、二人がそれぞれ君に思いを寄せていると知ってしまったら、君が逃げていてもヒビは入ってしまうけれど」
「……もういっそ僕が退学すれば、全て解決するとは思いませんか?」
「それは極端じゃないかい? まだ君には二年青春を謳歌する時間があるんだから、そんなもったいないことはしない方がいい」
「じゃあ、どうすればいいんでしょうか……青春を謳歌したのちに桜の樹の下に埋まるしか……」
さらに考えが極端になっていく司に、縁は微笑んで告げた。
「では、私と交際してみないかい?」
「…………はい?」
「もちろん、フェイクだよ。でも、彼女たちの前では本物の恋人として振る舞うんだ。そうすれば、二人同時に振ることになるし、君が一番危惧している彼女たちの関係悪化も防げる」
ぽき、と司の手元のシャーペンの芯が折れた。それを見て縁は唇の端をさらに吊り上げる。
「私は全く構わないよ。君を心から愛することはないけれど、君自体のことは好ましく思っているからね」
「そ、それは」
「誰かと恋愛関係になることが『地雷』な君にとってこれ以上ないいい交際だと思うけどね? さあ、どうする、森本くん。私と付き合ってみる気はな」
「お待たせしました、かいちょ〜〜!」
威勢良く開かれたドアの向こうから、一途がドタバタと駆け込んできた。向かい合う司と縁を目にして一瞬凄まじい形相になったが、すぐさまにこやかになって司の前に紙パックのミルクティーを置いた。
「はい、後輩。副会長様からの施しよ。ありがたく納めなさい」
「あ、どうも」
「ありがとう、一途」
「いえいえ、なんのこれしき! 会長にはこちら、新発売のミルクティーを買ってきました! あたしと一緒にぜひシェアしましょ〜」
五百mlのペットボトルを縁に持たせると、一途はにこにこと縁が座っている椅子ごと司から引き離し始めた。
「ふふ、私とシェアしたくて一本しか買ってこなかったのかい?」
「そんなことないですぅ〜、たまたまぁ、一本しかなかったんですぅ〜! 人気商品だから仕方ないですよねぇ〜」
「そうか。それはしょうがないね」
ミルクティーのペットボトルとともに濃厚な百合の世界を作り上げる二人を見つめ、司は微笑みながら思った。
会長とフェイクで付き合ったら、僕の命はペットボトルのようにぺちゃんこにされるだろう、と。
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