幼馴染の百合フラグを拝みたい青春だった。
もくせい
1章僕と彼女と百合の青春
第1話 彼の青春は百合色をしている
特定の何かに心を奪われる瞬間は、前触れなく訪れる。
朝起きて、学校へ行って、友達と談笑して、家に帰って、宿題をするフリをして漫画を読んで、眠る。
「ときめき」は、その当たり前だったサイクルを全て破壊し、一人の人間を丸ごと変えてしまうのだ――当時、小学五年生だった
〈 『あたし、小学生の頃からずっと花のことが好きだった』
はらはら、と生き急ぐ桜雨の中、仁王立ちした少女が真っ赤な顔で立ち尽くしている。
少女——すずの視線の先には、呆然とした顔で佇む幼馴染みがいる。
『嘘、だよね? だって、私とすずは親友でしょ?』
『ごめん。本当はそんなこと、一度だって考えたことないの』
驚愕に見開かれた花の目が、微かに震えながら閉じられて行く。花の長い睫毛を、桜の花弁がするり、と撫でて、落ちる。
『私の恋、ずっと応援してくれてたのも、嘘?』
『花に幸せになってもらいたかったのは本当。でも、本当の本当はね、ずっとあたしの方を向いて欲しかったの。花が森行くんに本気だってこと分かってたから、この気持ちはあたしの中に閉じ込めておくつもりだったけど……もう、無理』
すずが一歩前へ進み出ると、花が一歩後ずさりする。
おずおずと瞼の奥から姿を見せた花の目は、不安で揺れていた。
『あたしを見てよ、花。あたしは、花を傷つけたりしないし、裏切らない。約束するから、どうか、お願い』
『そんなこと言われても……っあ』
花の言葉を遮るように、すずが彼女に抱きついた。
『花、好き。大好き』
『……っすず……』
『お願い。あたしを見て、お願いだからっ』
勢いを増す桜雨の中、二人の少女たちが抱き合う。
――『桜雨の中、花が選ぶのは〈友情〉?それとも――次回・七月号をお楽しみに!!』 〉
「つーくん! おはよ〜っ!」
次回予告の太文字に匹敵するような、元気のいい少女の声に、森本司はふと顔を上げた。
桜色のリボンを靡かせて、『現実』の幼馴染みが目映い笑顔を浮かべてこちらに手を振っている。
司は抹茶色のブックカバーで覆われた冊子——もとい、雑誌を閉じながら軽く片手を挙げた。
「おはよう、
「ごめんねえ、遅くなっちゃった……って、わ、その分厚い本、何?」
「古文の参考書」
司はさらりと嘘を吐いた。
「へ〜、そんな分厚くて大きな参考書があるんだ。漫画雑誌と同じくらいの厚みじゃない?」
「そうだね。その分、読み応えがあって面白いよ。叶奈も読む?」
司が叶奈の方に本を差し出すと、彼女は目をまん丸にして首をぶんぶんと勢い良く左右に振った。
「えっ?! え、えっと……ま、また今度でいいかな」
「そう。いつでも言ってね」
司が本を引っ込めると、叶奈はあからさまにほっと安堵の息を吐く。
漫画以外の本は苦手な叶奈が、司の『古文の参考書』を読みたいと言い出す可能性はゼロ。だから、この嘘は叶奈によく効くのだ。
「あ、あのね、つーくん」
「何?」
「……っい、いい天気だよね! 梅雨なのにじめじめしてなくて! 外で思い切り体を動かしたい気分になっちゃうね!」
頬をなぞるように流れるチョコレート色の髪をくるくると指先で弄りながら、叶奈があはは、とどこか乾いたような笑い声を上げる。
分かりやすく何かを誤摩化した叶奈の態度に、司はじっと彼女を見つめた。
叶奈の頭の両側面で揺れる、桜色のリボン。
それを目にした途端、司の脳裏に小さな記憶が浮かんだ。
(ああ、そういうことか)
叶奈が口に出せなかった言葉の検討がついた。司はふっと微かに唇の端を吊り上げる。その小さな変化を、視線を彷徨わせている叶奈が気づく様子はない。
「そうだね、運動オンチの僕には最悪の天気だ」
「もー、つーくんってば相変わらずインドア〜。たまには一緒に運動しようよ」
「遠慮するよ。運動するより、運動するのを見ている方が好きなんだ」
「あれ? 見るのは好きなの? てっきり見るのも嫌なんだって思ってたけど」
きょとん、としてこちらを見る叶奈に、司は唇に乗せていた笑みを深めた。
「うん、むしろ大好きだね。叶奈は特に運動神経がいいし、見ていて気分が爽快になるよ」
「え、わ、わたしっ?」
まん丸に見開かれた叶奈の目。その向こうに映る自分の笑みを見つめながら、司は頷いた。
「叶奈ほど気持ち良さそうに体を動かす女子はそうそういないと思うよ」
「そ、そうなんだ……へへ……」
叶奈の頬に赤みが差し、その視線が足下に落とされる。
幼稚園児の頃から変わらない叶奈の照れてる時の癖を横目に、司は左手首の腕時計をチェックした。
(さて、そろそろ、か)
司の心の呟きに反応するかのように、『彼女』は姿を現した。
叶奈の無防備な背中に抱きつく、と言うとびきりのシチュエーションで。
「叶奈、おっはよ〜!」
「ひゃっ?!」
背筋をぴん、と伸ばして仰け反った叶奈。その彼女の背中にぎゅっと抱きついている短髪の少女に、司は親指を立てた――心の中で。
「おはよう、草尾さん」
「おっす、森本くんっ」
ぴっと左手を額に寄せて敬礼のポーズを作ったのは、
希の控えめな胸の中で、叶奈が居心地悪そうに体を揺らした。
「の、希ちゃん……いきなり背後から抱きつく挨拶は止めてってばあ……」
「朝の叶奈は隙ありまくりだからさ、つい抱きつきたくなっちゃうんだよね〜」
「も、も〜……分かったから、離してえ」
「いいじゃん、減るもんじゃないしー」
けらけら笑う希に悪びれた様子も、叶奈を抱きつく腕を離す素振りもない。
その光景にそっと手を合わせたくなる気持ちを抱きながら、司はくす、と笑いかけた。
「仲がいいね、二人とも」
「いやいや、ぼくたちライバルだから。今は友達だけど、コートの中では火花散らしてるからね。ねっ、叶奈」
「ら、ライバルなんてそんな、わたしなんて全然」
「もー、その謙遜、『プリンス・ヤマウチ』に似合わないって!」
「そ、その名前はNGだってばあ!」
二人の女子のやり取りに、司が口を挟む隙間はない。いや、それでいいのだ。
(眼福眼福。実に素晴らしい。これがあるからやめられないんだよな……叶奈の朝練登校に付き合うのは)
司が心の中で静かに手のひらと手のひらを擦り合わせていると、希が叶奈の右腕に自分の左腕を絡ませた。
「ほらほらっ、朝練始まっちゃうよ、早く行こっ! ごめんね、森本くん、プリンス貰ってくね」
「どうぞどうぞ。僕もこの後日直の仕事があるし」
「ありがと、森本くん! ほら、叶奈」
「ま、待って、希ちゃん、わたしっ……!」
ぐいぐいと引っ張って行く希に、叶奈が未練がましそうに司を振り返る。
ぱちり、と合った視線に司はにこりと、笑い、
「言い忘れてたけど、叶奈、リボン、似合ってるよ」
「えっ!」
「いってらっしゃい」
「つ、つーくん、あ……って、希ちゃん、ストップー!!」
真っ赤になって必死に叫びながら、叶奈がどんどん遠ざかって行く。
それを見送りながら、司はもう一言付け加えた。二人には聞こえないよう、小さく。
「草尾さんと、お幸せに」
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