第3話 彼女は乙女になりたい

「いや、そもそもバスケ部入んなきゃいいじゃん。それで解決。ハイしゅーりょー」

「ま、待って! お、おしまいにしないで、ひかりちゃんっ」


 視線を合わせず、『大事な相談』の答えを雑に出した親友に、叶奈は必死に首を横に振った。

 午前の授業を終え、迎えた昼休みの一年A組の教室。叶奈はいつも、目の前で弁当ではなく漫画の原稿用紙を広げる親友・高坂光こうさか ひかりと食事をとっていた。

 光の昼食は原稿の隅に追いやられたサンドイッチのみだが、彼女は未だにそれに手を付けないまま、淀みなくペンを動かしている。

「いやいや、どう考えてもアンタの場合、一番の原因はバスケ部に所属してることじゃん。『プリンス・ヤマウチ』って言われちゃうのも、女子にモテちゃうのも、草尾さんに絡まれちゃうのも、バスケ部にいるからでしょ」

「うぐ」

「なら、バスケ部を退部すればいいじゃん。バスケ関連がなきゃ、叶奈は運動神経が抜群にいいフツーの女子になるっしょ」

 ペンを止めた光がにやり、と怪しく唇の端を吊り上げる。書き上げたのは涙ぐみながら微笑むショートヘアの美少女—―ではなく、美少年のコマだ。叶奈の知る限り、光が描く漫画は男しか出てこない。出てきても、今描かれた少年のように中性的なキャラクターだけだ。

「や、辞めるなんて、そんな……まだ入部して三ヶ月だし、部長さんにあんなに懇願されて入部した手前、それはしづらいというか何と言うか……」

 ミートボールに差したハートのピンを弄りながらモジモジする叶奈に、はああ〜と深々と光がため息を吐いた。

「相変わらずクソ真面目っ子だねえ、叶奈は。そんなん、『わたしが辞めたいから辞めます! 部長の勧誘とか知ったこっちゃねえ!』って言っちゃえば終わりなのにねえ」

「光ちゃんは普通にできそうだよね……」

「当たり前っしょ。あたしはあたしのやりたいことしかやらないもん。何ならあたしがあの部長さんに言ったげよっか? あたしも退部しますって言うついででいいなら」

 ようやくサンドイッチを口に運んだ光に、叶奈はふるふると首を横に振った。

「な、何か角が立ちそうだからそれはいいよ、まだ入部したばかりだし。それに、辞める時はやっぱ自分の口で言わないとって思うし……」

「じゃあ、どうすんの? このままじゃ中学の時と同じ、『プリンス・ヤマウチ』のまま、女の子にモテモテの青春を謳歌することになるけど。もち、それを森本に目撃されちゃうオチね」

「や、やだあ……」

 想像したくない未来が一瞬脳裏を掠め、叶奈が狼狽える。

 サンドイッチを瞬く間に消化した光は残り一つを片手に、ようやく叶奈の方をじろり、と見た。

「まー、アンタなりの頑張りは認めるけどね〜。髪伸ばしたお陰で大分女子っぽく見えるようになったし、私服もめっちゃ頑張ってんな〜って思うもん。お弁当だってさ、昔はおっきなおにぎりとプロティン、以上! みたいな脳筋メニューだったのが、具材をハートにしたりおにぎりも動物の形にしたりさ」

「そ、そうでしょ、そうでしょ?! わたし、ちゃんと女子してるよね?!」

 ぱっと顔を輝かせる叶奈に、光がにたり、と怪しげに笑った。

「でも残念。『プリンスヤマウチ』は健在な上、肝心の森本にはあんまり響いてないっぽいのであった。まる」

 ぱく、と一口で光の口の中に消えたサンドイッチのごとく、叶奈はがっくりと肩を落とした。

「光ちゃんから見てもそうなんだ……わたしのネガティブ思考のせいじゃないんだ……」

「まあ、そもそも、森本って何考えてるか分かんない顔してるからねえ。あれがいいっていう叶奈の思考も分かんないけど」

 再びペンを動かし始めた光に、叶奈はむっと頬を膨らませた、

「光ちゃんには分からなくても、わたしにとってつーくんはかっこいいんだよ。プリンスは、むしろつーくんの方なんだから」

 その言葉に光がぴたり、と動きを止める。

 しばし考える素振りをした後、光は肩を震わせながら、ぼそりと呟いた。

「プリンス・……お笑い芸人かな?」

「違うってば!」

「いやあ、王子って顔じゃないでしょ、あいつ。どこに王子的要素あるわけ?」

 くつくつ、と喉を鳴らしてニヤニヤする光に、叶奈はがたん、と椅子をならして立ち上がった。

「あるから! だって、つーくんは……」

「僕がどうかした? 叶奈」

 背後から聞こえてきた声に、叶奈はぎくり、として声を詰まらせた。

 ぎこちなく叶奈が振り向くよりも先に、光が声の主に声を掛けた。

「おっす、プリンス・モリモト」

「プリンスモリモト……?」

「光ちゃん! の……最近ハマってるキャラのこと! ねっ、光ちゃん!」

「まあ、そんなとこ?」

 ニヤニヤする光を睨みつけると、叶奈は司の方を振り返った。

 きょとん、とする彼の右手にはギンガムチェックの包みがある。

「つーくんもお昼? それならわたしたちと一緒に食べない?」

 背後の椅子を移動しながら誘いをかけた叶奈に、司は首を横に振った。

「ごめん。生徒会に行かなくちゃいけないんだ。昼食もそこで取るよ」

「あ……そ、そうなんだ……相変わらず忙しいね」

「でも楽しいよ、生徒会。やりがいもあるし、先輩たちはみんな親切で優しいしね」

「す、すごいな〜。スカウトされて生徒会入ったって聞いた時はびっくりしたけど、つーくん、頭いいもんねえ。ほんと、幼馴染みのわたしと比べたら栗とスッポンみたいな? 感じ? あはは〜」

「そんなことないよ。叶奈だって毎日放課後は勉強して頑張ってるだろ? それに、運動神経だっていいし、誰にでも優しい。十分、魅力的だと思うけど」

「ええっ?!」

「そうだよね、高坂さん」

「んーまあ、そんな感じー?」

 雑に光が相槌を打ったが、叶奈は全く気にならなかった。

 司に褒められた嬉しさで胸がいっぱいだからだ。

「じゃ、僕は行くよ。お昼、付き合えなくてごめん」

「う、ううん……頑張って……」

 急に声が小さくなった叶奈に、司は穏やかに微笑むと教室を出て行った。

「で、プリンス・ヤマウチ。今の心境は?」

「つーくん、大好き……」

「単純な王子め」

「何とでも言ってよ。それに、王子はつーくんの方なんだから」

「だから、王子要素どこだってばよ」

「光ちゃんには教えませ〜ん。どうせ馬鹿にされるもん」

 ぷくり、と頬を膨らませ、叶奈はぷいっとそっぽを向いた。

「何だそりゃ。まあ、馬鹿にするけども」

「ううっ……と、とにかく、わたしは王子様じゃない、お姫様……なんて大それたことは言わないけどっ、つーくんに釣り合う女の子になるんだからっ」

「ハイハイ、頑張れ王子」

「もぉ、光ちゃんっ!」

 きっ、と懸命に睨みつけた叶奈だったが、小学生の頃からの親友には全く効果はなく、むしろ楽しげに笑われてしまっただけだった。

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