第14話 彼女は彼女と勉強する


 季節は六月。中間テストを前に、叶奈は一人絶望していた。


『ごめんね、叶奈。テスト期間に入ると部活動ができなくなるから、その前に生徒会の仕事をあらかた済ませなくちゃいけなくて、忙しいんだ』


 勉学のことは司頼みだったのだが、その司本人に多忙のため勉強に付き合えないと断られてしまったのだ。忙しい、という言葉通り、司は毎日のように生徒会へ通っているようで、放課後はもちろんのこと、お昼休みですら叶奈の前から姿を消してしまう。唯一交流できるのは朝の登校だけだが、この貴重な時間を勉強で費やすのはあまりにも惜しかった。

(つーくん、中学までは勉強に付き合ってくれたのに……でも、仕方ないよね。生徒会、すごく頑張ってるみたいだし)

 帰りのホームルームが終わって十五分も経たないうちに姿を消した司の机を見つめ、叶奈は深々とため息をついた。

「叶奈〜、部活はどうすんの? 行くっしょ?」

「……今日はやめとく。勉強しないとマズイし」

「でも頼みの綱の森本いないんでしょ? 諦めた方が早くない? あたしみたいに」

「光ちゃんみたいに割り切れないよ〜。わたし、ほんっとに頭悪いんだから。高校最初のテストで赤点取りまくってつーくんに恥ずかしいところ見られたくないし。

ねえ、光ちゃんも勉強しようよ〜」

「叶奈、あんた、あたしも赤点常連だって知ってて言ってる?」

「分かってるけど、一人でやるより二人でやる方がまだマシでしょ〜」

「創作活動ならはい喜んで〜!って言えるけど、勉強は謹んでお断りするわ。あんたが部活行かないなら、あたしも家帰ってゲンコーしよ〜っと。じゃね〜」

 そそくさと教室を出て行く光に「裏切り者ぉ〜」と恨みがましく呟くと、叶奈はスマホに目を落とした。

「今日に限って、誰も捕まらないんだよねえ。希ちゃんもギリギリまで部活出るって言ってたし……」

 なんとか救いの神、最低でも勉強仲間を見つけようと足掻いてみるが、本当に誰もいない。ふと、最後に最近友だちになったばかりの鈴音の顔が浮かんだが、叶奈はすぐに首を振って消した。

 あれから、鈴音からの接触はないし、学校で会うこともない。彼女がスマホを忘れたというので連絡先の交換もしなかった。隣のクラスなので何度か覗きに行ったものの、鈴音の姿を見つけることはできなかった。

(授業にほとんど出てないって噂だし、勉強自体好きじゃないのかも。誘ったところで流石に断られるよね。それに、いくら友だちになったからって、まだあの子がどういう子か分からないし……いきなり交流するのはちょっとなあ)

 最後の可能性にばつ印をつけると、叶奈は仕方ない、と机に並べていた教科書とノートをカバンにしまい込んだ。



 やってきたのは図書室。テスト前だからか、ちらほら勉強する生徒の姿が目立つが、叶奈の知り合いは誰もいない。

(期待するだけ無駄だよね。とりあえず、自力で頑張ろうっと)

 一番奥の、誰も座っていないテーブル席の一角を陣取ると、叶奈は持ってきた教科書とノートを並べた。どの科目も得意ではないが、比較的マシな現代文から取り組むことにした。理系は最も苦手で、数字を見るだけで目眩がしてしまうため、最初から取り組むのは悪手だと思ったのだ。

「う……」

 しかし、開いた現代文の長文読解に叶奈は思わず呻いてしまった。

 理系よりは比較的マシとはいえ、得意と言えるほどではない。授業を受けてきて飽和した頭で見るそれはより難解なものに思えて、叶奈は初っ端から躓く自分を感じてしまった。

(も、もうちょっと短い文章とかないかな……)

 教科書をめくってできる限り短め且つ易しい文章の問題を探していると、チリン、と小さな鈴の音が彼女の鼓膜をくすぐった。

「隣、いい?」

「へ? えっ?!」

 思わず大声を上げて仰け反った叶奈だったが、すぐにここが図書室だということを思い出し、両手で口を押さえた。そんな叶奈をよそに、声を掛けてきた彼女——鈴音は右隣の席に腰掛けた。チリン、と彼女の胸元で鈴のペンダントが可愛らしい音を立てる。

「あ、あの……どうして……」

「勉強しに来たの。テスト、近いから」

 事も無げに鈴音はそう答えると、抱えていた本をどさり、とテーブルに置いた。叶奈が広げている教科書ではなく参考書で、全て背表紙に図書室のラベルが貼り付けられている。

「テスト範囲……分かる?」

「えっ」

「あたし、授業あんまり受けないから分かんなくて。クラスに友だちいないし」

 じっと琥珀色の目が叶奈を見つめる。

「お、教えるのはいいけど、大丈夫? 授業に出てないなら範囲分かっても分からないんじゃ」

「大丈夫。お姉ちゃんに散々やらされて、高校卒業レベルの問題なら解けるから」

「え……?」

「……だめ?」

「う、ううん、だめじゃないけど……伊月さんってすごいんだね」

 そう告げると、鈴音はムッと桜色の唇をへの字に曲げた。

「鈴音だよ。叶奈ちゃん」

「あ、そ、そっか、ごめん、鈴音ちゃん」

「叶奈ちゃんも勉強?」

「うん。って言っても、わたしは高校卒業どころか、中学卒業もアヤシイくらい勉強できないから頭抱えてたとこ」

「じゃあ、教えよっか?」

「い、いいの?」

「うん。テスト範囲教えてもらったから、お礼に」

「そ、そんな、テスト範囲教えるくらいでお礼なんていらないよ。でも、教えてもらえるのはすごく助かるから……お願いしてもいい?」

 もちろん、と頷いた鈴音は嬉しそうだった。


「そう。今のやり方でもう一回こっちの問題もやってみて。できるはずだから」

「う、うん……えっと……」

「慌てて解こうとしないで、ゆっくり時間をかけて」

 遠くで雨が窓を叩く音をバックに、叶奈は鈴音の指導を受けていた。

 鈴音の教え方は勉強が苦手な叶奈にも分かりやすかった。専門用語を用いずに、叶奈が分かるレベルにまで解き方を噛み砕いてくれる。普段は授業にはてなマークを飛ばしてばかりいる叶奈も自信を持って「分かった!」と言えるようになり、あれほど難解に思えた問題がすっと頭に入るようになったのだ。

「うん、合ってる。もう一回、一人でできそう?」

「うん! すごい、つーく……幼馴染に何回聞いてもなんとなくしか分からなかったのに、今日は一発で分かるようになっちゃった」

 叶奈がパッと顔を輝かせながら告げると、鈴音も嬉しそうに目尻を下げた。

「叶奈ちゃんの飲み込み早いからだよ。これだけ分かるなら、何でもすぐに理解できるようになると思う」

「うーん、それはどうかなあ……鈴音ちゃん、かなり噛み砕いて説明してくれてるでしょ? スラスラ解けるようになるにはまだまだ練習が必要かも」

「明日も勉強、教えようか?」

「い、いいの?」

「うん。叶奈ちゃんに会えるなら、あたしも嬉しいし」

 さらりと言われて、叶奈は思わずシャーペンの芯を折ってしまった。

(そ、そうだった。鈴音ちゃんはわたしが好き……なんだった。一瞬忘れてたよ)

「安心して。だからって付き合って、なんて言わないから」

「そ、そんな風には思ってない、けど……」

「叶奈ちゃんのことは好きだけど、それとは別に、叶奈ちゃんと普通に友だちになりたいの」

 はにかみ、鈴音が新しいページをめくる。

「数学は一旦終わりにして、英語、やろっか。できそう?」

「う、うん。お願い、します……」


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