6章百合→僕は解釈違いです

第46話 彼は現実逃避する

「ねえ、すず。正直に答えて。私と森くん、一体どっちが好きなの?」


 正門をくぐり抜けた時、不意に花がそう尋ねてきた。

 すずはハッとして自分の後ろで立ち止まった花を振り返る。いつも明るい花の茶色の瞳に浮かんだ不安という名の涙――それにドキドキしながらも、すずは努めて冷静に口を開いた。

「もしかして……見ちゃったの? あたしが森くんに、その……キスされたとこ」

「っ……見るつもりなんてなかった。あの日、私、部活が早く終わったから、すずと一緒に帰りたいなって思って教室に行っただけなの。そしたら、森くんとすずが……」

 あの時のことを思い出し、すずは口の中に苦いものが滲むのを感じた。

 花以外に触れられたという忌々しい記憶を早く忘れたくて、あのあと何度も口をゆすいだ。記憶を上書きしたくて、花に無意味に「キスしよう」と誘いたくなった。でも、それだけはできなかった。間接的でも、花の唇が他の誰かの色に染まるなんて嫌だったから。

「知ってる? すず、森くんと噂になってるんだよ。本当は付き合ってるんじゃないかって」

「えっ」

「でも、私もそう思っちゃうよ。だって、二人、すごく仲良さそうだもん。私よりもずっと似合って」

「違うよ!」

 花の言葉を遮り、すずが彼女の肩を掴む。花がびくりと体を震わせた途端、涙がジワリと溢れる。思わず唇を寄せたくなったけど、できなかった。あの忌々しいキスの感触の残る唇で花に触れたくない。

 でも、それを花は不安に思ったようだ。

「ねえ、なんでいつもみたいにキスしてくれないの……? 私とはもうキスしたくない?」

「……ち、違うの。あたし……あたし……花が汚れちゃうのが嫌で……」

「汚れちゃう? どうして?」

 涙に濡れた花が顔を近づけて問いかけてくる。すずの罪悪感と花への思いが混ざり合い、彼女の目頭も熱くなっていく。

「っ、あたしは、花だけだよ……! あたしの全ては花のものなの! なのに、花以外の誰かが触れた唇は汚れちゃってるから、花に触れさせたくないの!」

「すず……」

「あたしだって花に触れたい! キスしたいよ! だけど、だけど、あたしはもう汚れちゃったから、だからっ……」

 涙交じりに思いを吐き出すすずを止めたのは、花の唇だった。甘くてしょっぱい味がすずの口の中に広がる。

「……全然、汚くなんてないよ。すずの味しかしない」

 唇を離して、花がはにかむ。

「花……」

「大丈夫。すずは汚れてない。私がたくさんキスをして、忘れさせてあげる。だから、お願い。私から離れないで……」

 再び顔を近づけた花に、すずは涙をこぼしながらそっと瞼を閉じた――。





「――よし。間に合ったな」


 そう呟いて、司はキーボードのエンターキーを押した。ノートパソコンのディスプレイに映し出されていた小説――『花とすず』の二次創作が無事投稿サイトの最新ページに表示され、数秒待つことなく『いいね』の評価が付き始めた。この一週間の傾向から見れば、おそらく日付が変わる頃には三桁台になるだろう。そして、間違いなく『森』――司のハンドルネームだ――が投稿した『花すず』二次創作の中で最も評価が高い一作になる。それはこれまで二次創作の読者として投稿作品の傾向を知っている司だからこそ、自信を持って言えることだった。

 徐々に積み重なっていく評価。コメント欄も少しずつ賞賛のメッセージが付いている。それを横目に、司は最新回の『花とすず』やサマニジで手に入れた戦利品を読み返す。

 この夏はとても充実していた。憧れだったサマニジに行けたし、夏の風物詩・海へも行けた。宿題も滞りなく済ませ、夏合宿で進めておくように言われていた文化祭に関する書類も完璧だ。その余暇で、初めて二次創作に挑戦し、ハンドルネーム『森』としての活動に没頭することもできた。

 そして、司の最大の推しである幼馴染と同級生のカップリングも多数拝むことができた――が、それに関しては思い出を振り返ることを脳が勝手に拒絶する。それに関連して、海へ行ったこともあまり思い返せない。


 なぜなら、思い出してしまうからだ。

 彼女の言葉を。

 そして、彼女の唇の感触を。


「……っ、違う違う違う! あれは夢幻だ! 三次創作だ! 解釈違いだ!!」


 一気に流れ込んできた映像、音声を司は必死に首を振って追い払った。

 そう、自分は何も見ていないし、聞いていない。

 可愛らしい同級生が自分に好意を持っていると告白したことも。

 その唇が自分のそれと重なって、ほのかに潮の香りが鼻を通り抜けたことも――と、そこまで鮮明な記憶が蘇ったのを機に、司は自分のベッドに飛び込み、己の頭をバコバコと枕で叩きまくった。はずみで眼鏡がベッドに落ちるが、そんなことにいちいち構っている余裕はない。

「っ、僕は、認めない……あれが現実だなんて……現実が地雷なんて……!」

 枕で己の頭を押さえつけながら、司は低い声で唸る。

 二次創作の執筆で必死に記憶を誤魔化し続け、己の感情をもコントロールしたつもりでいたが、あの『解釈違い』はそんなものでは決して消えないようだ。

 明日からはいよいよ新学期。あれから一切の連絡を絶っているし、向こうからも連絡はないが、学校に行ってしまえばうっかり会ってしまう可能性がある。


(苦渋の選択だけど、しばらく伊月さんとの接触を控えよう。叶奈ともさり気なく距離を置こう。幸い、二学期が始まれば文化祭関連で忙しくなるし、実行委員としての仕事もあるから二人に構える余裕はなくなるし……あの二人の百合を拝めないのは残念だけど、しばらく間を置いて、伊月さんにはあの告……もどきが気の迷いだと思えるレベルまで、僕への関心を下げないと)


 ベッドからゆっくりと起き上がり、司はぼやけた視界をじっと見つめて決意を固めた。


(伊月さん、叶奈、ごめん! 明日から、僕は生徒会長×副会長推しになる!)


 

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