第42話 彼は彼女に面を貸す

「いーい? ここで見たこと誰かに言いふらしたりしたらどうなるか……わかってんでしょうね、後輩」


 賑やかな海水浴場の空気が背後から感じられる中、海の家の裏手側へ連れてこられた司は一途に睨まれていた。

「その格好、似合いますね、小花副会長」

「似合わないわよっ! こんな屈辱的なカッコ!」

 腕を組み、そっぽを向く一途は心底嫌そうだ。しかし、いつものハーフアップではなく小さな三つ編みを作っていることや三角巾を身につけているところはきつい印象の彼女の雰囲気を和らげているし、鈴音とお揃いの緑色のエプロンにも可愛らしいキツネのワッペンブローチをつけていて、これはこれで愛らしくて司的には好感が持てた。むしろ、童顔なのだから、このくらい可愛いに全部りしてもいいのではないかと思うくらいだ。

(敢えてそうしないのは、生徒会長と釣り合う女性になるためってところか。さすが副会長、筋金入りの百合属性の持ち主だな)

 密かにそう分析する司を、一途が訝しげに首を捻る。

「あんた、今超失礼なこと考えてなかったでしょうね?」

「いえ、労働に励まれる小花副会長はとても美しく、まさに清く正しいと思いまして」

「嘘臭さ満載の言葉を真顔で吐くわね、アンタ……とにかく! これはあたしが好きでやってることじゃないの、そこも勘違いしないように」

「伊月さんのお姉さんにやらされていると伊月さんから聞きましたが」

「……そうよ。このオンボロの海の家のオーナー、伊月真緒の同級生だとか何とかでね。ごほうび……ンンンッ、じゃなくて、脅されて無理やりアルバイトさせられてんのよ。もうじき夏休みも終わるって言う、このいや〜な時期にね」

「なるほど、そのご褒美とやらに生徒会長が関わると」

「違っ……う、わよぉ? 別に? この海水浴場の近くに? 会長のお爺様の別荘があってぇ? たまたま? 会長がこの時期に保養にいらっしゃるからぁ? あわよくばそのお姿を拝見するためにわざわざ来てるわけじゃなくってねぇ?」

「姿を見るだけですか? どうせならチャイムを鳴らして遊びに行ってもいいんじゃ」

「そ、そそそそそそんなことしてみなさい?! 夏休み終了前にあたしが召されるわよっ! 本望だけどね!」

 その光景を一瞬でも想像したのか、「召されちゃう……」と呟いて一途が恍惚の表情を浮かべる。が、すぐさま表情を引き締め、司を睨みつけた。

「ともかくっ! このことは他言しないこと! 特に会長には絶対言っちゃダメなんだからね!」

「はぁ」

「返事がヌルいわよ、後輩! はい、小花副会長様絶対服従しますでしょ!!」

「あの、小花副会長」

「何よ、口答えする気?! ほんっとにクソ生意気な後輩ね、アンタ!」

「もう手遅れです」

「はぁ?! 何言って」

 ギャンギャンと喚く一途の言葉を奪ったのは、彼女の右肩にぽん、と乗せられた手だった。


「やっぱり。聞いたことのある声だと思ったら、君だったんだね、一途」

「はひ?」


 一途の後ろからひょっこりと顔を出したのは――司は途中で彼女の接近に気付いていたため驚きはなかったが――縁だった。見慣れた制服姿ではなく白いワンピースに麦わら帽子という絵に描いたようなお嬢様の出で立ちの縁に、ピクリとも動かなくなった一途だけでなく、司もまじまじと彼女を見つめた。

「こんにちは、会長。こんなところで会えるなんて驚きです」

「本当だね。私もまさか一途と森本くんに出会えるとは思っていなかったよ。しかも一途は随分と愛らしい格好をしているね」

「ひゃい?! ら、らめです、かいちょ、み、見ないでくださぁい」

 先ほどまでの威勢の良さが嘘だったかのように、しおらしくなった一途が頰を赤らめて自分の体を抱きしめた。

「隠さなくてもいいのに。本当によく似合ってるよ、一途」

「ヒャアッ! あ、ありがとごじゃいましゅう……」

「会長、どうしてこちらに?」

「知人に会いに顔を出したんだ。この海の家の主人は祖父の教え子でね、よく遊びに来てくれと連絡してくれるそうなんだけど、なかなか行けずにいて申し訳なく思っていたそうなんだ。そこで、私が急遽代理で会いにきたのさ。まさか、君たちに会えるとはね。嬉しいよ」

 もはや縁の姿を見ているだけで理性が溶けに溶けているのか、だらしのない笑みで一途が無意味な相槌を打っている。それを横目に縁の話を聞いていた司はある可能性に気がついた。

「海の家の主、というのは店長さんですか? ってことは伊月さんのお姉さんとも……」

「ああ、彼女も教え子だったそうだ。私もさっき知って驚いたんだけどね」

「ふふ、まさか私のセンセイが一途ちゃんの憧れの先輩のおじい様だったんてね。世の中狭いわねえ」

 縁の背後から現れた真緒に司もびくりと肩を揺らすほどに驚き、蕩けていた一途も「ぎゃっ!?」と悲鳴を上げた。

「案内してくださってありがとうございます、伊月さん」

「いいのよ〜。芦屋センセイにはたくさんお世話になったし。何より一途ちゃんと懇意にしている先輩さんとこうしてお知り合いになれて嬉しい限りだわぁ」

「まさか一途の元家庭教師だったとは……本当に世間は狭いものですね」

「ほんとほんと〜。よかったわねえ、一途ちゃん。だぁいすきな先輩に会えて。嬉しいでしょ?」

 ニコニコと一見人の良さそうな笑みを浮かべて、甘ったるく告げる真緒の頭と腰から悪魔のツノと尻尾が見える――他人事ではあるが、司はどんどんと顔色を失くす一途に初めて心の底から同情した。

(まあ、貧乏くじ引かされる属性ツンデレ百合は定番だから仕方ないか……)

 と、哀れみ半分百合萌え半分で一途たちを見守っていると、縁の隣に並び立った真緒が司に向かって手招きした。


「ところで、そこの不純ボーイの生徒会員くん」

「……僕のことですよね?」

「もちろん、貴方以外いないわあ。ちょっと面を貸しなさい。鈴音ちゃんの保護者として大事なお話があるの」


 拒否権なんてない、とばかりに真緒のニッコリと笑う目の奥が怪しげに輝く。その眼光に司は戦きながらも、頷くしかなかった。

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