第18話 思春期の初デート
凍てつくような風が肌に触れる土曜日の午後一時前。
雪の結晶を大きく描いた空色の長袖シャツの上に白いニットカーディガンを羽織り、下は足を細く見せる為に紺色のジーパンをチョイス。私的冬のおしゃれコーデでベンチに座り、泉ちゃんを待っている。
ここは一ヶ月前の夜に泉ちゃんと会話した時と同じ公園で、通話内で彼女が待ち合わせ場所に提案してくれた。これはもう、私達の思い出の場所になりそうだ。
「わ……緊張する……」
緊張と寒さによって体が震え、手を擦り合わせる。
もうすぐ泉ちゃんとお出かけ──いや、とうとうデートが始まる。
この服装で良かったのか。私との時間を果たして泉ちゃんに喜んでもらえるのか。次々と不安な点が浮かんできてしまう。
一度、深呼吸でもすべきだろうか。そう思い、両腕を軽く広げ、すぅーっと息を吸った時だった。
「お待たせ、陽葉〜」
このタイミングで現れた泉ちゃんと目が合い、瞬時に頬が熱くなった。
やばい、深呼吸していた所を見られたかも。「心の準備をしている」とバレていたら恥ずかしい。幸い、口を大きく開けていないので気づかれていない可能性もあるけど。
──でも、
「あっ、あぁ……」
そんな恥ずかしい思いは、冷風と共にすぐに吹き飛んだ。
泉ちゃんは、混じり気のない真っ白なロングワンピースに黒のコートを重ね、その中間を取ったようなグレーのマフラーを巻いたモノトーンコーデを纏っていた。シンプルだが、清楚で美しい容姿とすらっとした体型を持つ彼女にとても似合っている。それでも顔付きは年相応の泉ちゃんには「大人びた高校生」という言葉がしっくりと来て、私の好みのど真ん中に刺さり、目が離せなかった。
「泉ちゃんっ」と勢いよく立ち上がった私は、衝動的にこう言った。
「その、めちゃめちゃ可愛いです……」
「そう? 陽葉相手でも、面と向かって言われると照れるわね……。嬉しいけど」
泉ちゃんは微妙に目を逸らし、後ろで一つに結んだ髪をいじりながら返事をする。私にもこういう反応をしてくれるんだ。嬉しかわいい。が、しかし。そんな泉ちゃんと二人きり、という夢のような状況で私は平常心で過ごせるのか。既に胸のドキドキが激しく、冷えていた体は熱を帯び始める。またとないチャンスだ、積極的にアプローチしないといけないのに。
私は、意を決して泉ちゃんの手を握ると、
「それじゃあ、早速行きましょ?」
「えっ、あ……うんっ」
"しっかり者のお姉さん"のイメージが強い彼女の柔らかい感触に癒されながら、目的のカフェへと歩き出す。泉ちゃんは想定外だったからか一瞬は戸惑うも、すぐに受け入れ着いて来てくれた。
わあぁ……。偉そうだけど、私が泉ちゃんをリードしていて、本当に彼女が出来たような気分。
公園から泉ちゃんの家とは反対方向へ五分歩いた所で姿を現したのは、住宅街にひっそりと佇む白一色に染まった木造の小さなカフェ。
友達と遊びに出かけた時に何気なく入ってみると、お皿に盛り付けられたクレープという斬新なスイーツが美味しくて、一見目立たない建物と写真映えするメニューのギャップにすぐに虜になった。
「わぁ、かわいい……!」
運ばれたばかりのスイーツを宝石のような瞳で見つめながら甘く朗らかな声を放つ泉ちゃん。かわいいのは泉ちゃんです。と、心の中で即答する私。
彼女の目線の先には、艶やかな白いお皿に乗せられた薄黄色の長方形がある。正体は、丁寧に巻かれた冷製クレープ。生クリームが詰まった生地をナイフで切り、フォークでお皿の縁を彩るソースを付けて召し上がるスイーツだ。泉ちゃんはミックスベリーソース、私はチョコレートソースを選んだ。お皿の隣にはどちらにもホットドリンクを注いだマグカップが置かれていて、セットメニューとなっている。
泉ちゃんは早速一口分にカットしたクレープを口に運ぶと「おいしい!」と大きく開いた目で私を見つめる。
少女のような泉ちゃんを見つめ返しながら、私も弾んだ声で話し掛ける。
「泉ちゃんは、本当に甘いものが好きですよねっ?」
「わかるの?」
「普段から見ていたらわかりますよ〜 あと、目が乙女みたいにキラキラしてる」
緩んだ口元で伝えると、泉ちゃんは恥ずかしそうにこう答えた。
「なんだか未羊みたいなことを言うわね……」
「え……」
一瞬で口角が下がった気がする。
わー……お姉ちゃんもそんなことを言っていたのか。ちょうどライバル視したばかりだから一緒にされると複雑。あと、お姉ちゃんの名前が会話に出てきたことも。
彼女は困ったように口角を上げて、
「ちょっと。露骨に嫌そうな顔をしないの」
「いや、別にお姉ちゃんそのものを嫌がっているとか、そういうんじゃないですけど」
「そうなの? なら……」
なぜなら、泉ちゃん、あなたを巡る恋のライバルだからです。なんて口が裂けても言えるわけない。
なので私は首を振り、
「全然大した意味じゃないですよ。でも、よかった。紹介した甲斐がありました」
「うん。本当にありがと!」
泉ちゃんは心底嬉しそうな声で無垢な笑顔を見せる。それによって再び自分の気分も上がった。
想像以上に女の子らしく可愛い面を持っているのだと知れて、私としてもデートに付き合ってくれてこんなにも喜んでくれる泉ちゃんに感謝しかない。
「泉ちゃん、時間ってまだありますか?」
マグカップに両手を添えてカプチーノを飲む泉ちゃんに訊ねると、彼女はカップをソーサーに置いてから答えた。
「うん。特に予定もないし大丈夫よ?」
「それなら、泉ちゃんが行きたい場所ってあります? あるなら行ってみたいです」
「あぁー、そうねぇ……。全然考えていなかった」
ですよね。
私にとってはデートでも泉ちゃんからすればあくまでカフェを紹介してもらうだけだろうし。しょうがない、しょうがない。
「あ、なければ別にいいんですけど──」
「そうだ、あそこは少し行ってみたいかも」
泉ちゃんに案内されて着いたのは、カフェ付近の停留所からバスで十分ほど進んだ場所に広がる日本庭園。
数年前に造られたこの庭園は、十二月とは思えないぐらいの緑に生い茂る木々や池を囲むように置かれた石が優雅な和を演出していて、同じ市内でも私達が暮らす庶民的な町とはかけ離れた光景に胸が踊る。
私と泉ちゃんは、池に架かる木造の橋の上に立っていた。
「本当に良い所ね。心が洗われる感じがする」
「わかります! 紹介してくれた泉ちゃんには感謝ですね」
「ううん? それは私の方よ」
私が何気なく言ったお礼に彼女は顔を向けるとすぐに被りを振り、
「一応地元だから気になってはいたけど、自分の家からは少し遠いし行く機会もなかったから。今日、陽葉が誘ってくれたお陰でやっと来れた」
微笑みながら、そう伝えてくれた。
泉ちゃんは、私からの唐突な質問に素敵な場所を選んでくれたし、この二人きりの時間に度々笑顔を向けてくれる。
これは、もしかして、上手くいっているのではないか……?
「これは、コイだね」
「ふぇっ……!?」
池を眺める泉ちゃんが呟いた瞬間、私の口からやけに高く変な声が飛び出た。心臓の鼓動が急に早くなり一瞬にして体が熱くなる。
だって、まさか、私が望む展開になりそうな言葉を掛けてくるなんて……。
「こ……恋!? 泉ちゃん?? それ、本気で言っていますか??」
「え、普通にコイでしょ? ほら、錦鯉も泳いでいるし」
「あ……あぁー」
彼女が指し示す先で茶色や金色の鯉や錦鯉が悠々と泳いでいて、落胆した納得の声が零れる。興奮していた体も冷めていく。
恋じゃなくて、鯉……。
なんだか虚しいけれど、別に嘘を言われたんじゃないし泉ちゃんは悪くない。むしろ私の早とちりに問題がある。いっそ鯖でも泳いでくれていたら勘違いせずに済んだけど、それはそれで大問題だし。あぁ、今日の夕飯は鯖のみぞれ煮がいいな。などと現実逃避をしている時だった。
「私、本当にいい妹を持ったなぁって感じ」
「……妹」
泉ちゃんに満足そうな笑みで頭を撫でられ、今度は心に暗雲が掛かったようにモヤモヤする。私の身体、忙しいな。
ううん? 決して、嫌というわけじゃない。大好きな泉ちゃんにこんなにも可愛がってもらえて光栄だ。しあわせ者だ。だけど、今のままでは終われない。「妹から恋人に昇格する」という切実な願いが私にはあるから。
「さあ、鯉もいいけど違う場所にも────んっ」
思わず先へ歩き出した泉ちゃんの手を掴み自分の方へ寄せると、私の唇は温かく滑らかな質感を持つものに触れた。女の子特有の甘くていい匂いとシャンプーの香りが私の顔中を包み、この上ない心地よさと興奮で死にそうになる。
いい加減、関係を進展させたくなって、泉ちゃんに唇を重ねてしまった。
彼女から顔を離すと、
「こんなことしちゃう妹でも、いいんですか……?」
キスをされても、まだ妹扱いを続けますか?
そんな思いを込めて泉ちゃんに告げる。
「──へっ……?」
泉ちゃんは状況が分からないでいるような困惑した表情を見せる。
そりゃあそうだ。私、なんて大胆で強引なことをしているのだろう。我に返り、羞恥心と後悔がどっと押し寄せて来る。
「あっ、すみません。ちょっと予定を思い出してしまって、私、帰らなきゃ。今日はありがとうございました、それじゃあ!」
私は矢継ぎ早に言い訳すると、この場所から抜け出すように小走りする。泉ちゃんから距離が遠ざかると速度を上げ、帰路についた。体力の消耗と絶大な不安が重なり息づかいが激しくなる。
「はあっ、はあっ、はぁっ……!」
やっちゃった、やっちゃった、やっちゃった。
ついさっきまで泉ちゃんとしあわせなひと時を過ごしていて、まだまだ続くはずだったのに、感情を抑えきれずに恥ずかしい行動をとって気まずくなって勝手に強制終了。それも、せっかく私の「行きたい場所」という質問に答えてくれた泉ちゃんのオススメの庭園を回っている途中で。デート、台無しにしちゃった。
もし、私の想いがバレてしまっていたらどうしよう。妹どころか変な子に降格したらどうしよう。合わせる顔がないよ……。
次々と浮かび上がる後悔に押し潰されそうになりながらバス停を目指し、十分間揺られ、家路を歩いていた、その時。
「陽葉?」
正面から声を掛けられ、項垂れていた頭をのっそり上げると、お姉ちゃんが居た。
すると、お姉ちゃんが最初に掛けた一言は、デートの感想でも泉ちゃんと一緒かどうかの確認でもなく、
「大丈夫? 何かあったの?」
私の顔つきやオーラから察したのか、同情するように、眉をひそめ憂いを帯びた瞳で心配をする。
その心遣いに堪えきれなくなった私は、姉の体に両腕を回して抱き着くと、
「わああぁぁん……! お姉ちゃんっ……ぐすっ、わたしっ、どうしよう……?」
柔らかな温もりに縋るように声に出して泣いた。
自分一人では抱えられなくなって、つい、お姉ちゃんに吐き出してしまう。泉ちゃんに向き合ってもらうには立派にならないといけないのに、むしろ最近になって子どもっぽさが増してきてしまって悔しい。
「よしよし。大丈夫だよー、陽葉」
お姉ちゃんは安心させるように微笑み、頭をそっと撫でる。
「ぐすっ……ごめんなさい……」
「あらあら。どうしちゃったの」
いきなり路上で泣き付いてしまい既に申し訳ないけれど、相手が相手なこともあって罪悪感が更に高まった私は、顔を上げ、涙を拭いながら姉に一番の原因となる件を告げた。
「ごめんっ、私……泉ちゃんにキスしちゃった」
「は……??」
「お姉ちゃん、怖いよ……」
打ち明けた瞬間、真顔になり幾分か低い声を出すお姉ちゃんに背筋が冷えた。威圧感とかはないけど、姉の見たことがない反応に少し怯える。
「ごめんごめん。いや、ちょっと予想外だったから衝撃受けちゃって」
「そっか。うん、そうだよね」
「キスなら私も再会した日にしたし」
「はぁ!?」
今度は私が驚く番だった。怒ってはいないけれど何となく腑に落ちない。
「まあ、そんな私でも泉との関係に悪影響は出なかったから、陽葉も悩まなくて大丈夫だよ。でも……」
「でも……?」
「想像以上に攻めにいったなぁ、って。私も油断は出来ないかも」
お姉ちゃんは小さな顎に手を添え、やや気圧されるようにぼそっと言った。
羞恥心と罪悪感は消えない。けれど、当初の「積極的に行動する」という目的は達成できたのかもしれない。
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