第9話 弱ったあなたに送る 前編

 肌寒い十一月の普段と変わらない下校時間のこと。正確には十一月の割に過ごしやすい気温だと多くの人が口にするけど、寒がりな上に今日は体に違和感がある私からすれば震えが止まらない。車内は暖房が効いているはずなんだけど。

 寒気がするのに体は熱っていてすごく心地が悪い。確認はしていないが体感で分かる。

 完全に風邪を引いた。

 頭も痛いし、少しだけど吐き気もする。今年は健康な一年を過ごせると思っていたのに、やらかした。親に「またなの?」って嫌味を言われたくなくて、気をつけていたつもりだったのに。

 だけど、高校に入ってからは、軽い風邪なら薬等で回復してお母さんに気づかれないようにしている。今日だって、きっと、上手くやれる。

 そう、耐えている時だった。


「熱い。泉、熱がある……」


 不安──どころか悲しそうな表情で未羊が私の額に触れて呟く。


「ああ……大丈夫よ。これぐらい」

「ダメ。泉、我慢しないで?」


 いつになく真剣な眼差しで私を見つめながらそう言った。

 すると、未羊は自分の膝に両手を広げて、


「少し横になって?」


 と、まるでお母さんになったかのような笑みをこちらに向ける。


「ん……」


 体調がきつく、未羊の優しさが身に染みたこともあって、私は素直に彼女に従った。温もりと感触にクッションのような居心地を覚えるその膝で、珍しく未羊が起こしてくれるまで私は眠りについた。節々が痛くて怠い私の体を僅かに落ち着かせてくれた。


「泉……?」


 しばらくして、私を優しく呼ぶ声とそっと叩かれる肩に目を覚まし、重たくなった体に何とか言い聞かせて起こす。正面の窓ガラスに焦点を合わせると、電車は最寄駅のホームに到着する寸前であると分かった。


「降りなきゃね……」


 寝起きと体調不良によって消え入りそうな声で呟き、立ち上がろうとした時──頭がクラクラして合わせたばかりの焦点がぼやけ、後ろに向かって倒れそうになった。両肩に触れて支えた未羊が私をゆっくり座席に降ろしてくれたのだ。


「掴まって?」


 私の前に屈み、扉が開いたと同時に未羊はそう言った。

 なるべく迷惑は掛けたくないが、悩んでいる余裕も無いので、彼女の背中に体を預け負ぶってもらうことにした。


「ごめん……ありがとぉ……」


 未羊に支えられながら二人で降車する。

 親にバレる前に自力で回復するつもりでいたけど、想像以上に体が弱っているのか未羊の介抱から離れられなくて、今回は厳しい気がしてきた。


「みよぉ……あったかい……」


 それから、未羊の背中に揺られてしばらくが経った時、


「いらっしゃいませー」


 ……??

 想定していなかった男性の爽やかそうな声が、意識が曖昧な私の耳に入ってきた。

 いらっしゃいませ??

 気になるけど、気に留めていられる状態ではなく、私は変わらず未羊に身を任せた。きっと、駅前のコンビニを通り過ぎたとかの話だろう。

 私の体は再び睡眠を求めていった。




 目を覚ますと、そこにはくりっとした瞳で私を覗く陽葉の顔があった。

 ここが松本家の未羊の部屋だと気づいて急に緊張が走るけれど、一方でまだ自宅に連れて行かれなかったことに安堵してしまう。


「よかったぁ……具合はいかがですか?」

「あ……少し寝たから、さっきよりは……迷惑を掛けてごめんね?」


 ホッとした様子で訊ねる陽葉に答えながらベッドに潜っている体を起こす。体を動かしてみても確かに下校の時よりも気分は悪くない。


「いえいえ! 私達のことは全然気にしないでください!」


 と、陽葉が顔の前で両手を横に振っていると、小ぶりな土鍋が乗ったお盆を抱えた未羊が入ってきた。


「お粥、出来たよ〜」

「二人で作ったんです。よかったら食べてください」


 未羊がベッドの隣のミニテーブルにお盆を置き、鍋蓋を開けると、湯気が立ち昇る真っ白なお粥が姿を現した。隣にはたくあんと梅干しの小皿が添えられている。

 気持ちはすごく有難いけれど、私はお粥が苦手だ。味があまりしないし液状にしたお米の食感がどうも受け付けないと言うか。それでも私の為に二人が頑張って作ってくれたことを思うと、断る気にはなれない。


「……いただきます」


 心をドキドキさせながらレンゲで小さな一口分を掬い、口に入れる。

 ……あっ。


「嘘……美味しい……」


 予想外だったので思わず呟いた。

 不快感が無くて食べやすく、味もしっかりと付いている。二口目、三口目と続けて掬っていく。お粥ってこんな美味しいものだっけ?


「ふふん。そうでしょ〜?」


 未羊は自信あり気に口角を上げた。表情の理由が気になって見つめていると、陽葉が話す。


「泉さんはドロドロしたお米が苦手だとお姉ちゃんが言っていたので、お米の形を完全には崩さないようにして雑炊っぽいお粥にしたんです」

「塩味も効いているでしょ? 足りなかったら梅干しとたくあんも一緒に」

「未羊、私の好みを分かって作ってくれたの……?」


 びっくりした。

 いつ、そんな場面があったのか思い出せないが、本当に彼女は観察力に長けているのだと改めて感心した。




「ごちそうさまでした。ありがとうね、未羊、陽葉」


 気づけばお粥を完食した私は手を合わせて二人に感謝を述べた。二人は微笑んで私を見つめる。


「そうだ。泉、私のでよければ部屋着に着替える?」


 言いながら未羊は洋服ダンスから部屋着を取り出していく。


「そうね。少しの間、借りてもいい?」

「ぜひぜひー」


 と、未羊とやり取りしながら着替えセットを受け取ると、


「それなら、私はここで失礼しますね?」


 陽葉がそう言って食べ終わったお粥のお盆を両手に持ち、未羊の部屋を出て行こうとする。


「そう? 別に気にしなくてもいいけど」


 何せ女子同士だし。

 しかし、陽葉は照れくさそうに「いやいや……」と曖昧に笑って部屋を後にした。

 同性でも気になるものなのかと考えながらとりあえず制服を脱いでいくと、なんだか意味深な声が私の耳に届いた。


「やだ……泉、大胆だって……」


 声がする方へ振り向くと、口元に手を添えて未羊が顔を赤らめていた。


「女子同士だからって無闇にそういう冗談言わないで! 本当に恥ずかしくなってくるから」

「泉、ちょっと、おっきくなってる……」


 彼女の視線はラベンダー色の布地を被る私の胸にあった。


「当たり前でしょう? あの頃なんて"無い"に等しいのだから」


 まったく、いくつの頃と比較しているのよ? これで「昔と変わらないね」とか言われたら私泣くわよ?

 しかし、よく演技で頬を染められるわね……。


 そうやって照れておきながら、結局、未羊は私が着替え終わるまで部屋から離れることはなかった。やっぱり嘘なんじゃないの。




「はい、食後のデザート。帰り道に買ったんだ」


 着替えが完了すると、未羊は駅前のドーナツ屋の紙袋をミニテーブルに置いた。


「なんだか、ゼリーやアイスじゃない所が私達らしいわね。…………え??」


 さっきの帰り道に、駅前のドーナツ屋へ寄ったってこと??

 まさかだけど、あの店員さんのような声って……


「あんた、私を負ぶった状態でドーナツを買ったの!?」

「うん。泉なら、きっと食べたいだろうなって」


 おそらく今日一番の声量で突っ込んだ私に当たり前のように答える未羊。心臓に衝撃が走る。

 嘘でしょ。じゃあ、未羊の背中でぐったり眠っている私を大橋さんに見られたかもしれない、ってこと??


「へへ。嬉しくて言葉が出ないですか?」

「ええそうねちょっと考える時間をちょうだい頼むから」


 ニヤリと覗き込んでくる未羊に早口で返す。

 一体、どうすればそんな器用なお買い物が出来るというのか。いや、再会してから何気に掴みどころの無い彼女だから変に納得してしまいそうにもなるけど。

 まあ、そんな混乱する頭もこの大橋さんドーナツで落ち着かせようかしらと紙袋を開けながらふと思ったことを未羊に訊ねる。


「未羊の分もちゃんとあるの?」

「あ、私はそのまんまイートインしてきたから大丈夫だよ〜」

「は??」


 聞くんじゃなかった尚更混乱してきた。


「じゃあ、その時の私、どうしていたのよ??」


 真実を知るのは非常に恐ろしいけど、さすがに気になって仕方がないので本人に確認する。


「冗談冗談。私のはこれだよ〜」


 そう言って、未羊はもう一つの紙袋を私の前で軽く揺らした。


「風邪が悪化するような嘘やめてよ。あんたならやりかねないから怖いわ」


 少なくとも0.3度は上がったのではないかと思う。そもそも未だに熱を測っていないけど。




「もう、こんな時間になるのね……」


 この部屋へ来て初めて壁掛け時計に目をやると、針が午後七時二十分を指し示していた。今まで時間を気にせずに過ごしていたので、経過の早さに少しだけ驚いた。

 今日は病人として来たとはいえ、心地よい時間って、こうもあっという間に過ぎていくのね。


「家に帰りたくない……」


 無意識に溢した独り言に、反射的に口を隠す。

 ベッドのそばに座る未羊が神妙な面持ちで私を見ている。


「あぁいや、今のは、ここから出るの疲れるな〜って意味で……」

「何かあったの?」


 心配そうな表情でそう聞いてくる。

 未羊は、よく私をいじるくせにたまに本気で私のことを気にかけてくる。なんだかんだで、未羊も世話焼きなんだ。


「私って、多分、どちらかと言えば風邪を引きやすい方なんだと思う。だから、最近では、私が風邪を引くとお母さんが呆れるから、気づかれない内に薬で治しちゃうんだけど、今日はいつもよりも調子が悪いから、きっと嫌な顔されちゃう……面倒くさい、って」


 弱音を吐き出すように話すと、布団に乗せた手に温もりが伝わってきた。目線を移すと、未羊の手が握るように重なっている。


「弱っている泉を見て、お母さんが何も思わないなんてことはないよ。きっと、すごく心配しているんだよ」

「そうかな……」

「大丈夫。絶対。少なくとも私と陽葉と、あと私のお母さんは、泉のことが大事」


 安心させるように温かい手で頭を撫でる未羊。それこそ、私が未羊の子供になったような気分で情けないし恥ずかしい。

 でも、払い除けることは出来なくて、されるがままでいた。


「ん……ありがとう」


 それから、あまり長居しては松本家の迷惑になるので、私は意を決し、母親に電話を掛けると、何とか伝わるように現在地を説明してここまで迎えに来てもらうようにお願いをした。

 当然、風邪を引いて未羊の家にお邪魔している現状も伝える流れになったが、母は「わかった。今から行く」とだけ答えた。

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