第8話 心・真相
一瞬、恥ずかしくなって電車の出入口に立ち止まった泉だけど、すぐに正気を取り戻して降車すると私に追いついた。もう、このまま泉だけ乗り過ごしちゃえばよかったのに。
「私、ちょっとトイレ」
「ん。待ってる」
泉に伝えると私はそそくさと改札内に建つトイレに入り、個室の扉を閉めて一人の空間を作る。その瞬間、どうにか堪えていたドキドキと興奮が開放された。
「あぁ、びっくりしたぁ……」
胸に手を当て、大きく息を吐きながら呟く。
別にお手洗い自体に目的はない。少しだけ一人になれる時間を設けて鼓動がうるさい心臓を落ち着かせたかっただけ。
──今日も電車内で眠っていた私は、自分の胸が小さな手によって揉まれている感覚がして
気づかれないようにこっそり細目にして窺うと、犯人が隣に座る泉であることが判明した。彼女と分かった瞬間、ますます感じてしまい、激しい吐息や変な声が出てしまいそうになるのを堪える。てゆーか、思った以上に恥ずかしい。ここで目を開けたら気まずくなると思って、泉の手が離れるまで狸寝入りした。
「未羊? ねえ! 未羊〜?」
「え……?」
泉が私の体を前後に揺らしようやく起こし方を変えた所で、私は目を覚ますフリをしてみせた。
「疲れているのは分かるけど、あんた、さすがに眠りが深すぎるわよ」
「そうは言ったって、
心の中の興奮を誤魔化すようにわざとらしく頬を膨らませて冗談を言ってみる。
誰のせいだと思っているの? 泉ってば、私なら「何にも気にしない」って侮っているんじゃない?
電車を降りたらこのまま泉をいじることなく離れてもよかったのだけど、自分だけが辱めに遭うのも釈然としないので、私は泉の耳元でこう囁く。
「さっき、私のおっぱい揉んでいたでしょ?」
林檎のような顔色で出口の前でパタリと立ち止まる泉に、なんとか平静を装いニヤリとしてやったのだ。
泉は私が触られてこんなに動揺しているなんて知らないだろうなぁ。
ある平日の学校にて。
何の手違いか前日に私がまた未羊の私物を持って帰ってしまったので、彼女に返しに二年六組の教室を訪れた。
「みよ──」
教室に未羊を見つけて廊下から名前を呼ぼうとした時、彼女がある男子生徒と二人で会話していることに気づいて口を噤む。
前回のように見えない場所から様子を窺うと、グイグイ話し掛けるイケメン金髪男子に未羊が困ったように笑い両手を横に振る状況が確認できた。なんだかモヤモヤするし、未羊の困っている顔は見ていたくない。
未羊は私に振り向くと教室から姿を消してしまう。やはり、こっちの存在に気づいたようで彼女がそばに来た。
私物を未羊に返してから、私は包み隠さずに訊ねる。
「さっき話していた男子って誰?」
「クラスメートの
「悔しいけどあんたの男子バージョンみたいね……金髪だし。てゆーか、彼のペースに振り回され気味だったけど大丈夫なの? それとも、あれも学校での謙虚な振る舞いの一つ?」
「うーん……興味を持ってくれるのは嬉しいけど、彼、ちょっと積極的すぎるんだよねぇ」
「えっ」
未羊の今の答え方……それって、あの男子はまさか未羊に恋愛感情を抱いているの??
もしそうだとしたら、チャラそうなイケメン男子に未羊を近づかせたくない。彼の色に染まるようなことには私がさせない!
その日の帰り道。
未羊といつものように隣同士で電車に揺られている時──無言だった私達の空間に似つかわしくない声が入ってくる。
「お? 松本さん、奇遇だなぁ」
未羊を呼ぶ若い男性の声。顔を上げると私達の前に未羊狙い(仮)の広川君が立っていた。
「あれ、広川君もこの電車なの?」
「ああ。そうだよ。それはともかく、やっぱり松本さんは一ノ瀬さんと仲が良いんだね?」
「仲は良いけど、別に特別な関係なんかじゃないよー」
「またまた。まったく。良いよなぁそういうの」
学校の時と同じように、しつこく話し掛ける広川君に未羊が困惑した笑みを浮かべていた。
私達の関係を特別なもの──例えば"恋人"などと疑い、彼はそれに嫉妬している……?
そもそも、本当に奇遇なの? 未羊に合わせてこの電車を選んで偶然を装ったのでは?
「ねえ、松本さん──」
「未羊をチャラチャラしたあなたには近づけさせない、私が
私は未羊の前に立つと両手を広げ、未羊に近づいて声を掛けようとした広川君を阻止する。と、彼が予想外の返答を口にした。
「良い! 今の台詞、グッと来た!!」
「Mとか!?」
嬉しそうな表情でやや興奮気味に声を上げる広川君に直球だけどそう突っ込まずにはいられなかった。
未羊から視線を感じて顔を向けると、彼女は珍しく目を丸くしてこちらを見ていた。心なしか頬が紅潮しているのも気になる。
「ちょっと
いつの間にか同じ制服の女子までこの場に着くと、隣に立つ広川君に向けて不満気に言った。
え、未羊に好意があるにも関わらず彼女持ち? てゆーか、下の名前、"百合男"って言うの??
集まった四人で話を整理していくと、広川君は女性同士の恋愛を意味する「百合」が大好きであることが分かった。
未羊は最近になって彼から私達が愛し合っているのではないかと疑われ、それで困っていたのだ。帰る方向も未羊に合わせたのではなく本当に同じらしく、たまに下校中の電車で私達を見掛けては癒しをもらっていたとのこと。つまり、彼等は既に本来の自堕落なこの子を知っていたのだ。
後から来た女子は私達と同級生で広川君の彼女の
ちなみに、彼の本名は
「まあ、未羊に付き纏っているわけではなくて安心はしたけど……それはそれで引くわね。勝手に私達から癒しをもらっていたって」
「本当、うちの彼氏がごめんね? 『好意がない』って分かっていても妬いちゃうもんだね」
「なんか申し訳なかったです」
世話が焼けるように笑う岡田さんに小さく頭を下げる。
「気味悪がらせていたら悪かったよ。そういうことだから、これを機に君達二人と仲良くできない──」
「え、何言ってんの? 無理無理。こっちは知らない所で百合扱いされていて恥ずかしくて仲良くできたもんじゃないわよ」
「薔薇子ぉ……」
「はいはい。よしよし」
縋り付いてきた百合男を宥めるように頭を撫でる薔薇子。いや……様々な愛の形があるのは素敵なことだと思うけれど、変なカップルに巻き込まれたなぁ。
傍目では私と未羊が恋愛関係に映るって……そんなことあるのかしら?
「それで……あなたはいつになく大人しいけどどうしたの?」
「いや……?」
隣に顔を向けると、頬が桃のように染まる未羊が目線を合わせないまま答えた。
何かに恥じらっているのか、もしや風邪でも引いたのか??
──この時の私は、風邪を引いているのは未羊ではないことにまだ気づいていなかった。
そして……
「松本さん、やっぱり、
もう一人、未羊を影から覗く男子が存在することも今の私は知らなかった。
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