第3話 隣席の魅惑
怒涛のような平日五日間と土日が明け、また、新たな一週間が始まった。
月曜日の、すっかり風が冷たくなった秋の午後四時。今日も私は、お馴染みのロングシートの右端から数えて二番目の辺りで腰を下ろして電車に揺られる。
いつもと変わらない──ことはなかった。
違和感を抱いて首を動かすと、私の隣、つまり、ロングシートの右端に未羊の姿がない。
特に約束をしたわけではないけれど、これからは隣に未羊が居るものだと思っていた。何に対してか分からないけれど、不安な気持ちになる。
「未羊……?」
意識せずに、未羊の名前が弱々しい声色で口から零れる。
と……
「呼んだ?」
私に問い掛ける声が聞こえた。
振り向くと、ロングシートの右側に設置される銀のポールに掴まり、中腰で顔を覗かせる未羊がそこには居た。
今の声が彼女の耳に届いていたと思うと、頬が熱くなった。
「ちょっと、どこに行っていたの? ちゃんといつもの右端に座っていなさいよ!」
「指定席なの……?」
「そうよ。これからは、私がぼんやりで危なっかしい未羊の目を覚まさせるのだから」
「決められた席って新幹線みたいだね。『のぞみ』ならぬ『いずみ』」
「指定席ネタはもういいから早く座ってよ」
「は〜い」
どこか満足そうな笑顔で未羊は私の隣に座った。未羊の肩が私の肩に触れる。
「だけど、私も毎回、同じ時間の電車で寝るとは限らないよ?」
「寝る前提なのね」
とはいえ、彼女の意見は正しかった。
「まあ、そういう日もあるだろうから……あの、もし、未羊が今日みたいに居なかった時のために、連絡先の交換しない? 今日みたいに居なかった時のために」
「どうして強調したの?」
「いいから交換するわよ?」
「わ……強制に変わった」
さっきから余計な口を挟む未羊は、機嫌がいいのか鼻歌を鳴らしながらスマホを取り出す。それから、お互いに画面を操作して、連絡先を教え合った。
なぜだかホッと安心した所で──ふと、思った。
未羊には私の隣ではしっかりしてもらいたいだけで、彼女が私から離れることには何の問題もないんじゃないの? と。
自分が未羊に何を求めているのか、少し分からなくなってきた。
「ところで、もしかして、未羊って今月に転校してきたばかり?
そういえば、と、気になって彼女に訊ねる。
「うん。そうしたら、泉もおんなじ学校だって知って驚いたよ〜」
「家から近い高校を選んだからね。え? てことは、地元に戻って来た?」
「そうそう。それも今月からね。あの頃に住んでいたマンションじゃないけど」
未羊は、小学五年生の時に私が通っていた学校から離れた。父親の転勤により、他県へ転校したのだ。
……未羊の最後の登校日、私、なぜか、すごく泣いていたような? 本人は泣かずに私を抱き締めてくれたっけ? 恥ずかしい過去を思い出してしまった。
小五のある日から先月の高校まで、未羊がどんな学校に通っていたのかは知らない。
普通の子よりも転校が多いから、こんなことも気になって聞いた。
「友達は? 出来た?」
「出来たよ。ママ」
「もういい。聞いた私が馬鹿だった」
未羊にそっぽを向ける私。
何よ。こっちは心配して聞いたのに、まるで「お節介が発動した」とでも言うように私をからかって。
「ごめんごめん。私は近所のおじいさん役でいいから〜」
「家族ごっこで余りそうな役は自分が引き受けるから怒らないで、みたいに言わないで!?」
私の肩に両手を添える未羊に強めのツッコミを入れた。
話題は変わらず学校に関するもので、今度は未羊から口を開いた。
「泉はクラス、何組?」
「私、三組。未羊は?」
「六組だよー この学校って十クラスもあるんだねぇ。ビックリしちゃった」
「本当。おかげで、高校ではまだあんたを見掛けないわね」
「このまま、学校では会えなくて、下校の時にしか一緒に居られない運命かもね? 漫画みたいに」
何が楽しいのか、未羊は私に顔を覗かせてニヤニヤと冗談を言う。
「フラグに聞こえるからやめてよ」
「会えないの、嫌なの?」
またニヤニヤする未羊の脇腹を肘でど突いてやる。ちゃんと手加減をしたから痛がっている様子は無かった。
乗り始めてから二十分ほどが経った時、
「眠いの?」
俯き加減に閉じようとする目を開けては繰り返す未羊に声を掛ける。
頷いたのかうとうとしているのか、彼女はゆっくり首を縦に振る。ああ、もう聞くまでもないね。
それからすぐに、未羊は今日も睡魔に身を委ねた。体を僅かに前後に揺らしている。今回こそは最後まで起き続けるのではないかと一瞬は思ったが、そうはならなかった。
思いのほか姿勢は悪くないので、しばらくは寝かせておいた。私も少し眠たくなったし。
しかし、最寄りの一つ前の駅を出発した所で私の出番が来た。私達が降りる駅にはここから約五分で到着するけど、未羊はまだ目を覚まさない。さて、今日はどのようにして未羊を起こそう?
──つん。
とりあえず、頬をつついてみるけど、
「ビクともしないわね」
つんつん。つんつんつん。
触り心地がよくて、起きないことが分かっても、続けて人差し指で頬に触れてしまう。
その手はやがてパーに開き、未羊のほっぺを包むようにして撫で回す。
つねった時から感じていた。すべすべしていて、もちもちで、とけてしまいそうなぐらい柔らかい。
いや。思えば、彼女は小学生の頃からこんな頬をしていた。離そうにも、離れられない。
「ああぁぁ……」
……って!
私は何をとろけるような声を出しているの!? あー、怖い。
別の意味で自分の目が覚めたと同時に、私の手はようやく未羊から離れた。
その瞬間、
「へっ……?」
眠る未羊の手が私の……股の上に乗っかり、つい、高い声が出てしまう。少し、ほんの少しだけど興奮のような気持ちになった。あんた……よりにもよってどこに手を置いているのよ?
さすがに退かそうと未羊の手をそっと掴むと、かわいい形をした手に思わず未羊の指を軽く広げて自分の指を絡ませる。あったかい。手繋ぎが一番温もりが伝わるような気がして、寒がりの私には救われる。
別に、気持ちよくなりたくて触っているんじゃない。これは、そう。あくまで未羊を起こす作戦のひとつ!
ゴンッ──!
「えぇ……」
前から後ろに揺れた未羊の後頭部が窓ガラスに勢いよくぶつかり、鈍くて固い音が響いた。
いかん。今のはさすがに起きる。私はバレる前に慌てて握っていた手を離した。──って、いやいや、そんなことより……
「ううぅ……いたいぃ……」
目を覚ました未羊が痛そうな声で頭を抱えて俯く。
今はそっちの心配をしなきゃよ、私。
「ご……ごめん、未羊!」
「え……? 泉が殴ったの……?」
「んなわけないけど! 私がちゃんと起こしていれば、窓にぶつけずに済んだのよ」
うるうる泣きそうな瞳で見上げてくる未羊の後頭部を撫でる。
認めます。彼女を起こす作戦とはほぼ無関係で、癒しを求める為に彼女に触れていました。
まあ、結果的に目を覚ましてくれたことには安心したけど。あと、ガラス割れなくてよかった。
「うぅー いたい、いたいよぉー」
未羊はつい今まで痛がっていた表情から打って変わって、ニヤつきながら、分かりやすい棒読みで頭を押さえる。
あれか? 起こさなかった私に罪の重さを知らしめているつもりなのか?
「もう。こんな時でも何をふざけているの?」
「へへへ」
すっかり頭の痛みなど気にしていないかのように未羊は笑う。つられるように私も口角を上げる。
ああ、もう。調子が狂うなぁ。
でも……こういう仕草が、未羊のかわいい所よね。
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