第2話 それはドーナツのように甘くもちもちな
ついさっき、小学校以来の再会を果たした同級生・松本未羊に、下校の電車の中で"キス"をされた。
意味が分からずに硬直してしまったが、正気を取り戻して未羊に声を上げる。
「は? あんた……何してんの??」
「ただのスキンシップだよ〜 小学生の頃は、こんな風にじゃれ合ったりしなかった?」
「それは、まあ……」
笑ってゆったりと話す未羊に納得してしまう。
確かに、今よりも子供だった頃の私は、未羊がベタベタくっ付いてきても「やめてよ」と言いつつも普通に受け入れていた。
そうだよ。これは小学生時代の延長なんだ。何を
「それに、泉だって、さっき"間接キス"したでしょ?」
「え? いやいや……してないしてない」
思い返してから自分の顔の前で手を横に振ると、
「泉、自分の口や手を拭いたハンカチで私のよだれを拭いたでしょう?」
「わ……そうだ」
ニヤリと未羊に言い当てられ、思わず目を丸くして口元に手を添える。
「どうして分かったの?」
「あの頃の泉はそうやってハンカチを使っていたからねぇ」
自分の昔からの癖で間接的でも口付けをしたこと、それを未羊に完全に気づかれていたことに私の頬は再び熱を帯びる。
「あんた、何気によく見ているのね?」
「ということで、もうちょっと体貸して?」
未羊は「んしょ」と、私を壁代わりにしてもたれ掛かる。暖かくて柔らかい背中の感触が伝わってくる。
「座席の壁にしてよ。交代してあげたんだから」
とか言いつつも、結局、されるがままで、特に未羊を退かしたり離れようとはしなかった。彼女はまたすぐに眠りについた。
揺れる静かな電車の中、こうして温もりを伝え合いながら、二人で同じ最寄駅を目指す。未羊の体温と窓から差し込む陽光に、私も久しぶりに出先であくびを零した。
なんだか、心地がよかった。
数分後に、電車は最寄駅の到着を予告する車内放送を流した。私の背中に寄り掛かる未羊はまだ眠っている。
「起きなさい? もう着くわよ?」
未羊の肩を揺らすと、彼女が寝ぼけ眼を開いて声を出す。
「え、なに……?」
「こっちが聞きたいわよ。本当、どうして、そんなに眠れるの?」
疑問をボヤいていると、未羊の瞳は再び閉じようとしている。窓に駅のホームが映り始めた。
「ほら! あんたもこの駅なんでしょ?」
もっちりほっぺを軽くつねってみると「ったい……」と呟いて、未羊はようやく目を覚ました。
電車が止まり、間もなくドアが開こうとする時、私は立ち上がって彼女に手を差し伸べる。
「ドーナツ屋、行くわよ? 今日だけご馳走してあげるから」
未羊の小さな手が、私の手にぎゅっと掴まった。
完全には眠気が飛んだとは言えない未羊の手を繋いで、私は、駅前にある行きつけのドーナツショップに彼女を連れて行った。目を覚ます目的で、喜びそうなお誘いを提案してみた。
高校に入ってから学校帰りにたまに訪れるこのお店は、私が物心ついた時から存在している。周囲には新しい店舗が次々に建つので以前に比べて客入りは減ったけれど、私を含む常連さんにこよなく愛されるドーナツ屋だ。
まあ、私が好意を持っているのはお店自体だけでなく……
「未羊、ドーナッツが好き」
「なんでア〇ニャみたいな喋り方?」
隣でパロディ言っている子はさておいて、
「こんにちはー 今日はお友達と一緒ですか?」
可愛らしいドーナツがずらりと並ぶショーケースの後ろで、二、三十代ぐらいの男性店員があっさりとした顔に爽やかスマイルを浮かべて私に声を掛ける。途端に胸の鼓動が早くなった。
私は、このドーナツ屋の店員の
高二の春頃から、気づけば常連になっていた私に明るく話し掛けてくれるようになり、営業かもしれないけどそれが嬉しくって、いつの間にか恋に落ちていた。
「こん……にちは! あっ、この子は、お友達と言いますか腐れ縁と言いますか羊と言いますか……」
「何を言っているの?」
いつものトーンで未羊の声がツッコむ。私の顔はさらに赤みを増したはず。
本当よ。
今のに関しては未羊が正論。私はいつになくド緊張で変な返しをしてしまった。
「ははは。透かさず拾ってくれる良い相方さんですね」
「いや、ちがっ……」
そうやって笑う大橋さんに訂正したいのに、上手く話せない。
うわぁ……。
今、絶対に私が天然なボケ役で未羊がまともなツッコミ役だって思われた……。普段の私なら、そうはならないのに!
お会計を済ませ、私達はドーナツ等を乗せたトレーを持って二人用の席に座った。
私はチョコレートドーナツとホットコーヒーを、未羊はフレンチクルーラーとボンボローニとアイスカフェラテを選んだ。
「……自分達のヘアカラーまんまのチョイスね」
「二人の再会に乾杯だね〜」
「あぁ、そうね」
向かいの未羊が嬉しそうに差し出すグラスにコーヒーのマグカップで軽く触れて、乾杯をする。
そのまま手元のコーヒーに静かに息を吹いてから一口啜り、チョコドーナツを頂く。
ドーナツの甘味とコーヒーの苦味が調和して、相性が抜群だ。このセットはやっぱり外せない。ホットを選んだこともあって心身ともに温まり、寒くなり始める時期の冷え性としては救われる。
だから、未羊を見て「よくアイスを飲めるなぁ」と思う。眠気は覚めそうだけど。
「泉はそれだけでいいの?」
「私、徹底はしていないけどダイエット中だから。これでも贅沢している方よ」
「え〜、痩せているのに」
「そんなことないわよ」
私は制服の袖を捲ると、未羊に向かって腕を伸ばす。
「ほら見て? この二の腕、少し太くない?」
「わー、もちもち〜」
未羊は癒されるかのような顔をし、細い手指で、私の二の腕をすりすり、もみもみとひたすらに触ってくる。
やだ……どうして、される側の私まで若干気持ちよくなっているの?
「ちょ、そんなに触らないでよ」
「私のほっぺつねったお返し〜」
止めようとしても、未羊は私の二の腕をなかなか離してはくれない。
てゆーか、私だって、自ら腕を差し出さなければよかったのだ。小学生の頃のように、つい、恥ずかしげもなく未羊に自分の体を触らせてしまった。それこそ、恥ずかしい。
「は、はい。もうおしまい! 早くドーナツを食べなさい?」
私が腕を引こうとすると、ようやく彼女の手は離れた。
それからフレンチクルーラーを美味しそうに食べる彼女を見て、あることに気がついた。
「そういえば、未羊、食べ方が綺麗になった? 口周り、あの頃みたいに全然汚れていない」
「高校生にもなれば、さすがに人目が気になるからねぇ」
「ちゃんと変化した所もあるのね。…………あれ?」
この子、そう言う割に車内では無防備に爆睡していなかったっけ??
「私のお世話、したかった?」
ニヤリ顔で未羊が訊ねてくる。
「何を偉そうに。私は、仕方なくお世話を焼いているんだからね?」
「そっか〜」
「ねえ! そのニヤニヤした口角やめて!?」
「あのー」
私達がくだらない会話をしている中に大橋さんの短い声が聴こえた。
振り向こうとした次の瞬間──
「でも、今度は私の番かもね?」
未羊は周りが彼女以外に何も見えなくなるぐらいに顔を近づけ、人差し指で私の湿った唇を一直線になぞると、それを自分の口の中へ運んだ。
きょとんとして、未羊を見つめる。
「……何?」
「ドーナツ、口に付いていたよ」
未羊はそう言って微笑む。
まさか、未羊じゃなくて自分が口元を汚していたなんて……。
「私が未羊にお世話をされるなんて……ちょっと屈辱」
「あの、談笑している所にすみません」
項垂れていると、改めて、大橋さんの声が私達に届いた。二人して大橋さんに目を合わせる。
「せっかく新しいお客さんを連れて来てくれたので、よければ一枚ずつ貰ってください。ドーナツの引換券です」
大橋さんが説明しながら差し出した長方形の小さな紙を、私達は受け取った。
「ありがとうございます! ずっと大切にします!」
「もったいない」
急激に気分が上がった私は、未羊からまた大橋さんの前でぼそっとツッコミを喰らう。
口にドーナツを付けていたことといい、今日の私はどうかしている。情緒不安定気味。
──あれ?
もしかして、未羊、私の口元を大橋さんに見せないように、顔を近づけて拭いてくれたの? なぜか指だったけど。
未羊のさりげない気遣いに照れくさくなる一方で、胸の辺りは仄かに温かくなった。
「泉〜、いっずみ〜♪」
金曜日の夜。
私、松本未羊は、いつになく上機嫌で、部屋の中を一人うろうろしながら泉の名前を即興のメロディに乗せる。
「あはっ♪」嬉しくなって、両手で頬を包んで笑いを零す。
また、会えるとは思ってもみなかった。
言われるまでは眠たくて、綺麗になっていて気がつかなかったけど、話してみると、泉はあの頃の泉のままだった。今日は本当に良い日!
「……あ。そういえば、連絡先、交換していない」
でも、大丈夫だよね。
泉のことだから、私が気にしなくたって──きっと。
それよりも……
「泉に顔を近づけた時、ちゃんと、キスしているように見えたかなぁ?」
口周りの汚れを拭うように見せて彼女の唇に触れたけど。
本当は、しっかり者の泉の口にはドーナツの一欠片も付いていなかったけどね?
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