眠れる羊は世話焼きJKの口を塞ぐ
小林岳斗
第1話 はじまりはいつもの帰り道
肌寒くなり、秋が深まってきたと感じる十月半ばの夕方四時。
私、高校二年の
乗り始めた時点では、満員とはならなくても乗客は多く、ほとんどの席が埋まっている。
そのまま帰宅する日もあれば、たまに寄り道をしてから帰る時もある。
中でも、特に、勉強したい日や自分へのご褒美をしたい時に駅前のドーナツショップを愛用している。気になる店員さんもいるし。最近は、節約とダイエットの為にあまり行けていないけど。今日も真っ直ぐ家に向かう予定だ。
帰りの電車の四十五分間、疲れやすい体質の割に出先で寝られないタイプの私は、スマホを使って暇を潰す。たまに電車内で眠る人を見ては羨ましく思う。例えば、今のように。
隣の私に肩を寄せ、黒がベースの赤いリボンを結んだ同じ学校の制服を纏う女子高生がすやすやと眠っているのだ。
内巻きにしたクリーム色のミディアムヘアと長い睫毛が綺麗に揃えられていて、真っ白な肌は透明感があり、桃色の唇は潤んでいる。背は私より若干低めだけど、胸の大きさでは私が完敗。体全体がやさしいシャンプーの香りに包まれていて、メーカーを参考にしたくなる。
そんな「眠れる森の美少女」につい見惚れていると、彼女が瞼をゆっくりと開いて大きく純真なブラウンの瞳を魅せた。
睡眠に掛けて「JKに擬人化した羊」と喩えた方が具体的かもしれない。隣が羊だと思うと、窓から差し込む光も相まって気分が安らぐ。
目を覚ましたのかと思いきや、羊女子はすぐにまた瞳を閉じて、うとうとと頭を左右に揺らし始める。
一緒の高校だし話し掛けようかとも考えたけど、そこまでの勇気はないし、そもそも熟睡中の彼女を起こすのは気が引けて諦めた。
だから、ただこうして、隣で気持ちよさそうに眠る彼女を羨ましくも目の保養にしている──時、
「……えっ……?」
フワッ──と、柔らかい感触を覚えた。
肩に、少女の小さな頭が乗っかってきた。よく見ると、無意識にぶらーっと広がった両腕も私の膝を触っている。
「かわいい……」
ポロッ、と心の声が表に出てしまい、慌てて口を隠す。
えっ! 何! この子、超かわいいんだけど!? これが男子なら発狂していたわね……。
と、美少女の無防備な一面に脳内を掻き乱されつつも、私は、どこか"懐かしい気分"にもなる癒しの下校時間を過ごした。
少しして、最寄り駅への到着を予告するメロディ、その後にアナウンスが車内に流れ、無事に肩が軽くなった私は立ち上がる。ここまで来ると乗客はほとんど居ない。
すると、隣の少女もゆっくりと体を動かし始める。同じ最寄りなのか目を覚ましただけなのか分からないまま、駅に着いて開いた扉から降車する。
私の最寄り駅は、快速列車が停まる割にはこじんまりとしていて、車内を見ての通り、降りる乗客も少ない。それでも、周囲にはコンビニやカフェが建っていて、全く栄えていないことはない。
改札内に併設するコンビニでホットのレモンティーだけ買って駅を出ると、よろよろと前を歩くさっきの熟睡少女を発見した。同じ最寄駅だった。
気になって動向を見守りながら帰路についていると、彼女はこけそうに、電柱などにぶつかりそうになりながらとりあえず進んでいる。
「危なっかしいわね……」
どれだけ強力な睡魔なのだろう。
そういえば、何となく見覚えのある動きな気がしたけど……なぜだろう? 気のせい?
そんなことを考えながら帰宅した。彼女とは、途中の道で別れた。
翌日の火曜日。
いつものロングシートの右端に腰を下ろして帰宅していると、しばらくしてから昨日もあった揺れる頭が視界に入る。振り向くと、今日も隣であの少女が眠っていた。さっきまでスマホをいじっていて、今になって気がついた。
本当、よく寝れるわね。もしかして、帰りの電車では毎回こんな調子なの?
「……わ」
と、思わず小声を漏らす。
少女の口元から僅かによだれが垂れていた。
ギャップ萌えの「ギャップ」がさらに凄まじくなった瞬間だった。
「いやいや……」
こんなぐてーっとした同年代の同性に何を変態じみた感情を抱いているの? と、自分の方こそ目を覚まそうと首を振る。
そうしていると、昨日のように、私の肩に彼女の小さな頭が傾き始めた。頭は夢の中で、よだれなど出ていることも知らずに。
「ちょ……ちょっとストーップ」
声量を抑えて言いながら、彼女の前に両手を広げて止めに入るポーズを作る。
気づいたのかたまたまなのか、彼女はのっそりと体を真っ直ぐに戻した。そして、またすぐに、うとうと頭が前後に揺れる……。たまたま、だ。
こんなにも眠気が強いと相当疲れているのではないかと心配にもなった。
その翌日も、私の隣でぐっすり眠りについていた。やはり、彼女は毎回こんな調子なんだ。
これは、男共に触れさせない為にも私が癒しを頂きつつ独占するしかないかな?
そんなことを考えながら眺めていると、もう一点、あることに気がついた。
次の日、私がいつも彼女が座っている席に腰を下ろすと、作戦通り、その直後に彼女が右端に座った。そして、すぐに壁にもたれ掛かるようにして夢の中へ吸い込まれていった。
私は、彼女が少しでも寝やすい体勢になるように座席の交代を試みたのだ。自分に体を預けられては色々な意味で困るのもあるけど。
気がつけば、私の中で、下校の電車で女子高生と隣になれる時間が楽しみになっていった。
一週間の終わりを迎える金曜日の帰り道。今日も私の隣(右端)に彼女が座っている。
土日の二日間はこんなひと時を過ごせないのだと思うと、少しだけ寂しかった。週明けの学校が待ち遠しくなる日が来るなど想像もしなかった。
一瞬、チラリと目をやると、今日は珍しく目を開けている彼女の姿を捉えることが出来た。起きて、スマホを操作している。
瞳がくりっとしていて、やっぱり、かわいい。
無防備な寝姿を除けば、学校ではさぞかしモテるのだろう。未だに見掛けないけど、うちらの高校はクラスが多いので仕方がない。
ついつい見つめていたので、彼女のスマホ画面も視界に入ってしまった。すると、そこに気になる文字を発見する。
「みよう」チャットアプリのプロフィールに表示された名前。
私にとってなぜだか馴染み深い三文字で、それは何かを思い起こそうとしていた。
自分の顔を正面に戻して考える。
みよう? 見よう? 妙? ──いやいや、そんな漢字を当てるはずがないでしょ。
その時、あの感触が久しぶりに肩を撫でた。目だけ動かすと、やはりクリーム色の頭がそこにはあった。席を移動した所で大して意味は無かったのかもしれない。
見ると、今日も両腕を伸ばしながら半透明な液体を垂らしていて、自分の肩に付かないか内心ヒヤヒヤだった。私は、それを「ご褒美」と受け取れるほどのいやらしい目を向けてはいなかった。
あれ?
この感じ、やっぱり何か心当たりがある気がする。
もう一度、彼女に振り向く。………………ああ!
"何か"に気がついた瞬間、彼女を無性に起こしてやりたくなった。今ではこの無防備な姿を「かわいい」なんて言葉で表したくはない。前言撤回。
眠る少女のぷにっとしたもち肌を二本の指でつねってみせると、少女はさすがに目を覚まし、ほんわかした声を上げる。
「ったたた……」
「あんた、
若干、語気を強めて訊ねると、
「……いず、み?」
隣の彼女も思い出したように、半目の状態で私の名前を答える。
平日の一週間、私の隣でずっと眠っていた少女の正体は、松本未羊。小学校で一緒だった同級生で、それ以来の再会だ。
私は、当時の未羊を「天然なかわいい子」なんて響きでは片付けていなかった。
確かに昔から容姿は整っているのだけど、このように、とにかくだらしがない。ふらふらしていて、授業中も堂々と机に突っ伏して眠るし、お陰で成績も良くないおバカキャラ。いつでもぼんやりで何も考えていなそうな、そんな女の子。
未羊のことは「呆れた残念美少女」という目で見てしまい、どうしても「しっかりして」と声を上げてしまうのだ。
「この感じ、よく見ると未羊でしかないのに、全然気がつかなかった……。高校、一緒だったのね」
「小学生以来だから、思い出せなくなるよねぇ。じゃあ、おやすみ──」
持ち前ののんびり口調でテキトーに相槌を打って再び壁に体を預けようとする未羊の肩をガシッと掴む。
彼女はまだ眠そうにゆっくり振り返る。
「再会してしまったからには、そのだらしない格好も! よだれも! これからは私が見過ごさないからね?」
未羊の体と口にビシッと指を差して宣言する。
決めた。
正体が未羊だと分かった以上、自分の隣で無防備にされては気になって仕方がないので、これからは私が未羊の目を覚ましてみせる。
伝えると、未羊の体に触れて姿勢を正し、リュックの左ポケットから取り出した青色のハンカチに彼女の口元のよだれを染み込ませる。
口を拭かれる未羊が言ってくる。
「わ……お母さん……」
「うるさい。誰が老けているって?」
「そうは言っていないけど……」
すると、ようやく意識がはっきりしてきたのか、今度は未羊から私に話し掛ける。
「変わっていないね。泉」
「あんたには負けるわよ。見た目も名前も『羊』で、相変わらず眠る気満々よね……」
私は、心の中で、松本未羊を「眠れる森の美少女」から「眠れる残念羊」に訂正した。
確かに未羊の言うように、自分も自分で、あの頃と変わらず彼女のお世話を焼いてしまったけど。
その時、後ろ髪がくいっと軽く引っ張られる感覚がした。見ると、未羊が私の青みがかった黒髪の一つ結びをぶらぶらと揺らしていた。なんだか、くすぐったい。
「ちょっと! 人の髪で遊ばないでっ」
「泉も充分に可愛いよ?」
「えっ、何? いきなり?」
不意に思いがけない発言をした未羊の意図が分からない。が、すぐに心当たりがある気がしてきた。
……ひょっとして、月曜日に私が思わず呟いた言葉が未羊の耳に届いていた?
「まさか、あんた、あの時に起きて────んっ」
ちゅ。
言い掛けた私の口を塞ぐように未羊の唇が重なる。プリンみたいに柔らかな感触で、ほんのり暖かい。脳がとろけそうになり、顔も熱ってきた。
未羊相手に気持ちよくなってしまった所で我に返り、慌てて彼女から顔を離す。
「え……」
何何? この子??
さっきまでだらしなく眠っていたくせに、数年ぶりに再会した同級生にいきなり……。それも、まだ完全に乗客が降り切ったとは言えない電車内で、女子同士で…………どうして??
私の中で、未羊は、"何も考えていなそうな小学生"から、"何を考えているか分からない高校生"へと変わってしまった。
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