第14話 せんとうに行こう

 午後三時過ぎの車窓に映る空は淡い青色で、さすがの十一月下旬でもまだ明るく感じた。

 先程、ついに全科目のテストを終えたうちの学校は、最終日の午後が一教科のみであることから通常より一時間早い帰宅を許された。それは、三日間の疲労が溜まった我々生徒達へのささやかな救いになる。

 これには、さぞかし隣の少女も爆睡だろう──と思いきや、なぜだか瞳はぱっちり開いている。意外な状況に少々驚いていると、


「これから、ドーナツ屋さんでお疲れ様会、やる?」


 未羊がそう提案をしてくる。もしかすると、私を誘う為に頑張って起きていたのかもしれない。だとすれば、彼女には少し申し訳ない。


「あぁー、やりたいけど、お疲れ様会をする体力がないぐらいに疲れちゃったかも。ごめんね」

「それは真のお疲れ様だね」


 しかし、にこやかにジョークで返してくれたので安心した。


「あと、テストの結果を知るまではあまり落ち着かなくて、ドーナツ屋さんは来週までお預けでもいい?」

「泉らしい」

「でも、それよりも前に行きたかったら全然一人で行っていいからね?」


 すぐさま補足を入れた私に未羊は横に二回首を振ると、ふわりと微笑みながらこう答えた。


「いいよ。テストが返ってきたら、一緒に食べに行こ?」

「……うん」


 照れくさいけど、なんだか嬉しくなって心なしか私の口角も上がった。

 最近、私は「未羊と一緒に居たい」と素直に認められるようになった。この感情を確信させたのは、未羊の健気な努力がひしひしと伝わってきた昨日の話。今更ながら彼女の魅力をまたひとつを知れたし、立場逆転の時もあるけれど、未羊を守りたいから。




 午後四時頃に帰宅すると、自室に入り、私は逸る気持ちを抑えられず早速ルームウェアに着替える。そうして、疲れと開放感からベッドに倒れ込むように仰向けになった。ふかふかで気持ちがいい。毎晩使用しているけど、ここ数日は試験等から緊張していて、じっくり感触を味わったのは久々だ。毛布をかければ外気で冷えた体がじんわりと暖められていく。すぐに目もとろけてきて、私は眠りについた。


 ……しばらくして、ピコン、とすぐ近くからチャットの通知音が鳴り、意識が徐々に戻っていく。


「……んぇ?」


 隣のデスクへと手を伸ばし、音がしたスマホを手に取ると、家に着いてから一時間半が経過していることに気づく。それまでの間、小さな電子音で目覚めてしまう程度の浅い睡眠を取っていたらしい。

 画面には、未羊からのメッセージも表示されていた。


『泉、戦闘に行こう』


「寝ぼけてベタなミスしないでちょうだい」


 午後五時五十分。松本宅を訪れた私は、玄関から現れた未羊にチャット画面を見せつけながらツッコむ。既に白パーカーと黒スカートに着替えており、行く気満々のご様子。

 メッセージを開いた瞬間、おそらく「銭湯」を打ち間違えたのだろうと察すると体は自然と着替えて入浴セットをトートバッグに詰めると未羊の家に向かっていた。なぜ真のお疲れ様の私が銭湯へ出掛けることにはこんなに前向きなのか。リラックスは出来そうだけど。


「ごめんごめん。よく『お風呂』のことだって分かったね?」

「それ以外に無いからよ。逆に何と戦うの? 睡魔?」

「すいませんとう」

「寒くなってきたわね。早く入りましょ」

「相変わらず寒がりだね〜」

「あなたのおかげでね」


 他人事のように笑いながら家の奥へと入っていく未羊の背中に言ってやると、五分ほどして「お待たせ」と玄関へ戻って来た。いや……うん。本当に思ったより待ったかも。私が来る前にでも準備しなかったの?


 まあ、とにかく、結果的に、銭湯でお疲れ様会第一部を開催するみたいな流れになった。

 ちなみに、なぜ私を銭湯に誘ったのかと言うと、松本家のお風呂が壊れた上にたまたま両親が家を一日留守にしているかららしい。




 紺色に染まる真っ暗な空の下を未羊と並んで歩く。十一月下旬は夜が長いから物淋しく感じるし、空気が冷たい。

 私達が住む場所の近くにスーパー銭湯があるので、足は自然とその方向に進んでいる。未羊と一緒に行くのは初めて。というか、彼女と入浴すること自体が初体験だ。

 ──なんだか馴染み深い声が聴こえてきたので、足を止めて振り向いてみる。


「えっへへ。でもでも、一度失敗すれば次は大丈夫でしょ〜」


 かつての私と同じ中学の制服を着た"見た目がすごく松本陽葉"な子が呑気に喋ると、同じ服装の女子に「十回はやらかしてるだろうが」と胸辺りにツッコミを喰らわれていた。会話の詳細は分からないが、ドジっ子としっかり者の掛け合いを少し離れた位置から見物する。いや、まさか、


「未羊、確認だけど、あれって陽葉?」

「うん。どこからどう見ても、正真正銘の松本陽葉だよ?」


 未羊がそこまで言うのだから認めるしかない。

 あの天然中学生は松本陽葉だ。陽葉も家と学校でギャップが凄いと話には聞いていたが、実際に目撃するとなかなかパンチが効いている。

 そんな陽葉と目が合った。──陽葉、顔真っ赤。


「……コホン。あんた達、数学の授業を体育の時間と勘違いして体操服でグラウンドに行ったって、天然すぎるでしょ?」


 気を取り直したように咳払いしてから、同級生であろう女子三人に向かってしっかり者ぶる陽葉。さっきのキャラを無かったことにしようと演技しているのだろうけど……まあ、芝居くさい。


「それ昨日の陽葉のことじゃーん」

「ははは、自ら暴露してて草」


 陽葉のそばに立つ女子二人がばっさり訂正。陽葉、二度目の赤面。かえって私の中で陽葉のうっかり者のイメージが強まっただけだ。


「ごめん、陽葉。私が鈍感だったら信じきれたかもしれないけど……」

「いや泉は鈍感じゃん」


 ちょっと何言っているか分からない隣の子はほっといて。いや、本当に分からないけど。


 それから、私達は陽葉の紹介によって女子三人と簡単な挨拶を交わす。

 三人は、陽葉とは同級生兼美術部仲間らしく、今は部活帰りとのこと。言われてみれば、確かに帰宅時間が遅い。また、制服からして、どうやら彼女達は私の後輩に当たるらしい。何気に陽葉の先輩になるのだと初めて知った。


「陽葉、お帰り」

「お帰り、って……家までまだ十五分もあるんだけど」

「大丈夫。このまま銭湯に連れて行くことにしたから」

「えっ、私、勝手に予定組まれているの……?」


 未羊の平然とした返事に困惑し目を丸くする陽葉。これは陽葉の正論でしかない。


「お風呂、壊れちゃったもん。しょうがないよ。ついでに泉も暇だから着いて行くって」

「うわ。自分から誘っといてその言い方」


 まあ一理あるけど。


「そっかぁ〜 泉ちゃんも一緒なら、このまま行っちゃおうかな〜 もーしょうがないな〜お姉ちゃんってば♪」


 しかし、陽葉はさっきと打って変わって一瞬でご機嫌モードに。あれ? よく分からないけど、なんだか私のお陰で一瞬で受け入れてくれちゃった。

 今日の陽葉はテンションが激しく変わるなぁ。

 そう思っていると、彼女は、すぐに何かを思い出したように落ち着きを取り戻す。


「──って、私の着替えはどうするの?」

「お姉ちゃんがセレクトして持って来ましたー」

「えぇー……」


 笑顔の未羊とは反対に陽葉は分かりやすく嫌そうにする。いくら姉相手でも、もしくは姉相手に衣類をいじられたことに引いている様だ。それで未羊は準備に時間が掛かっていたのか。

 ふと、残された陽葉の友達に目をやる。「何を見せられているんだウチらは」とでも言いたげな視線を松本姉妹に向けていた。これは私がしっかりしなくちゃな……。




 私達三人は、スーパー銭湯に到着した。チェーン展開している、大きくも小さくもないちょうどよい規模のお手頃施設。

 入口へ向かう途中で陽葉が私に話し掛ける。


「さっきの私は、その、泉ちゃんに何と言ったらいいのか……」


 それってどの陽葉だろうかと一瞬迷ったぐらいには数分間で色々な彼女を見たけど、学校時の陽葉のことだろう。


「私は、どの陽葉も魅力があって良いと思うよ」


「そうですかね」と、陽葉は照れくさそうに口端を上げる。私が肯定する前に、彼女はそのままこう伝える。


「でも、あの子達と居ると楽しいんですよ。うっかりミスしちゃった日でも気にしないでいられちゃう。課題、家に全部忘れたりしても」

「うん。陽葉もお友達も心から楽しそうに見えたよ。課題の総忘れはさすがに気にしてほしいけど」


 それでも、陽葉の明るくなった表情に安心する。

 学校では天然をいじられる陽葉は、小学生時代の未羊と重なるものがあった。やっぱり、姉妹だから似るのかな。


「ところで、二人とも、今日はまるで天使と悪魔のおそろコーデですね。いいなぁ……」

「おそろコーデ? ──あっ」


 羨んでいるような陽葉の言葉に自分と未羊の服装を交互に見ると、全身黒のパーカー&長ズボンコーデの私と白パーカーの未羊が視界に映る。なるほど……言われてみれば、まあ。


「悪魔……」


 館内に入ると、入館料を支払い、臙脂色えんじいろの暖簾をくぐり、更衣室で脱衣し始める。


「「…………」」


 この二人と一緒に入浴するのも着替えるのも初めてだからか、女子同士とはいえ少し緊張しながら一枚一枚脱いでいく。二人も同じ感情なのか、無言の時間が続いている。

 右に目線を向けると、隣には純白の下着を纏っただけの色白な未羊が立っていて「確かに天使みたい」と恥ずかしいことを思ってしまった。奥では陽葉が水色のブラを外している最中で、彼女の成長に少々驚いてしまった。あら? もしかして、私よりちょっとだけ大きい??




「泉ちゃん、あそこ、ちょうど三人分ぐらい空いています!」

「そうね。ほら、未羊も早く?」

「……へ? あっ、うん」


 私達は、それぞれに全身を洗い終えてから、集まって大浴槽を目指した。タオルで前を隠していても肌けてしまう部分はあって、気恥ずかしく、同時に二人の姿を見て少しドキドキしている。それでも気分は高揚していて私達の数歩後ろで歩く未羊を呼ぶと、彼女は心ここに在らずの反応を見せた。なんだか、いつもと様子が違う。

 自然と更衣室と同じ並びになり、タオルを外すと、三人で大浴槽に体を潜らせる。


「はあぁ……気持ちいい……」


 家のお風呂よりも温度が高いけど、熱々のお湯が冷えた全身に染み渡っていく。この時期の私にはかえって嬉しかった。


「やば……」


 その時、隣の未羊からそんな声が聞こえてきた。湯に気持ち良くなっている私は見向きもせずに「なぁに……?」と腑抜けた声で返事をする。


「銭湯が、本当に戦闘だったかもしれない……」

「何を言っているのぉ……?」


 脱力中ではあるものの意味不明な発言をする未羊に気になって体を向けたその時──私は一瞬で正気を取り戻してしまった。

 下半身のみタオルで覆う熱った未羊が浴槽の淵に腰を掛け、両手で鼻を抑えている。そこから、ぽたぽたと血が滴り落ちて、胸元やおへそに模様を描いている。まいった、鼻血だ。


「未羊! のぼせるの早すぎ!!」


 慌てて浴槽から出て未羊と同じように腰を下ろすと、彼女に体を寄せて様子を窺う。ここは、タオルで血を拭き取って、鼻を抑えて、すぐにでも退室させるべきだろうか。


「だから、泉ちゃん! 駄目です! 今の状態でお姉ちゃんに近づくなんて殺人行為です!!」

「私の何がイケないの!?」


 立ち上がって止めに入る陽葉に思わず声を荒げる。お陰で陽葉の全身がはっきりと視界に入ってしまい、私まで若干のぼせた感覚になる。

 えっ、近づいたら殺人行為? どゆこと??


「だって、私も、そろそろやば……うぅっ」


 その時、陽葉の鼻からも流血が始まり、両手で抑えながらその場にしゃがみ込む。ん? これ、デジャヴだな……?


「何これ? お湯に鼻血の効能でもあるの?? いや、そんな効能あってたまるか」


 やっぱり私の頭ものぼせたのか、普段なら有り得ないノリツッコミを繰り出している。


「銭湯中の流血ぐらい、容易に想像できたはずなのに……私……」

「その言い方だと、本当に戦闘の最中みたいに聞こえるわね。いいから早く上がりなさい?」


 戦闘ネタを引っ張る未羊にそう促すと、ようやく腰を上げてタオルで鼻を覆いながら出入口へと向かった。


「私も、泉ちゃんがおっぱいちっちゃいからって油断していた……」

「今、初めて陽葉にブチギレそうになったわ」


 直後に陽葉もそう言い残して、未羊と同じような体勢で浴室を後にした。

 また、私よりも若干大きいのが怒りに拍車をかけている。まだ中学生で成長段階というのに。やっぱり姉妹そっくりだなぁ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る