第13話 六年間の長い夢
月曜日から三日間にわたる後期中間試験の期間は、通常授業がテストに置き換わる以外の変化はこれといってなかった。部活は全てお休みらしいけど、私と未羊は帰宅部なので関係ない。
試験二日目のお昼休み。
午後の二教科を乗り切る為に自販機へ栄養ドリンクを買いに行った私は、教室へ戻ろうとした時に数十メートル先で未羊を発見する。私には気づいていなそうな未羊に何となく声を掛けようかと考えた時だった。
「あ、松本さん。今回のテスト、きっとウチのクラスは松本さんが一番かなぁ」
「未羊ちゃんが転校して来る前だったら、前回と同じで森山君だったね〜」
私同様に少し離れた場所から未羊を見つけたのかそんな会話をする女子生徒の声が聞こえ、思わず足が止まり耳をそば立てる。見ると、未羊のクラスメイト二人と違うクラスの子二人の合計四人による女子トークだと分かる。私とは顔見知りなだけで関わりはほとんどない。
「知ってる? ウチら、松本さんと同じ中学だったんだけど、あの子って前は今と真逆のキャラだったんだよ」
聞き捨てならないワードが飛び出てきた。
以前の松本未羊の姿を知る人がこんなに身近で見つかるなんて全く想像していなかった。しかも、「ウチら」と言ったから複数人だ。そもそも、中学時代の未羊なんて私ですら知らない。発言からして小学生の頃の彼女と変化はなさそうに感じるけれど。
なおさら会話が気になった私は、その場に立ち止まって聞き耳を立てる。
「えっ何その話? 気になる!」
「いや、これ誇張とかじゃなくガチだからね。いっつもぼーっとぼんやりしてて、授業や休み時間関係なく寝てばっかりだから結構な問題児だったし、典型的なおバカキャラだよ」
「ちょっ、やばっ(笑) それ見たすぎる(笑)」
やはり、それは私が知る過去の未羊のイメージと何ら変わっていなかった。
本人不在の場所で盛り上がる噂話にしてはあまり感じ良くはないけれど、正直、会話のネタにしたくなる気持ちは多少共感できる。
すると、もう一人、未羊と同じ中学出身らしき女子がこう言った。
「でも……その感じだから、一時期、クラスの子達から意地悪されていたよね。まあ、相手の方は"いじり"だって貫き通していたけど、あれは"いじめ"に取れるなぁ……」
突然、寒気がした。胸がざわざわして気持ちが悪い。原因は、風邪や気温なんかじゃない。頼むから嘘であってほしい噂話が耳に届いたからだ。
未羊が、いじめられていた……?
「まって、可哀想」
「ただ、本人は意外とあまり気にしていない様子だったよね? 笑っていたし」
「いや……あの表情は、どうだったんだろう……?」
「笑ってなんかいないと思う」
それは、私の平坦で無感情な声。
発した瞬間、自分がいつの間にか彼女達の前に立って話し掛けていることに気づいて内心驚いた。それでも、引き下がる気にはなれずに。
「えっ」
「優しい未羊のことだから、悟られないように、しんどくっても穏やかな自分を装ったのよ。心の中では、悲しかったと思うよ」
まるで未羊を知り尽くしているかのような物言いだ。でも、いくら未羊の中学時代をリアルタイムで見た彼女達よりも自分の方が未羊を理解しているという自負があった。
「同じ学校ならどうして助けてあげなかったの?」そう言いそうにもなったが、私が彼女達の立場なら恐れずに立ち向かえたのか考えてみると言葉が出なかった。
「一ノ瀬さん……未羊ちゃんと、仲良かったっけ?」
「まあ、いいじゃん。そうだよね? 一ノ瀬さんの言う通り、悲しかったのかも?」
訝しげな反応と分かりやすく私に同調する返事が来て、若干、気まずい空気になる。
「あ、いや……ごめんなさい」
流石に踏み込みすぎたと恥ずかしくなった私は、消え入りそうな声で謝ると足早にこの場を去った。
私ってば、未羊のことになるとこんなにもペースを崩しちゃうんだ。
どうにかテストには集中して無事に二日目を終えると、いつものように未羊と隣同士で電車に揺られる。
「…………」
「…………」
ただ、どちらとも起きているのに、いつになく二人の空間に沈黙が続く。
今日は、集合してから一度も言葉を交わしていない。乗車してからは十分以上が経過している。別に喧嘩もしていない、というか何気に未羊と喧嘩をしたことがない。
私は、あの噂話を耳にしたお陰で未羊とどう接すればよいか迷っていた。
「聞いちゃった」
静まる車内で、未羊が唐突にそんなことを口にした。思わず彼女を見ると、口角は上がっているが私じゃなく正面を向いている。彼女が急に声を出したことととそのワードに、心臓がドクンと跳ねる。
「聞いちゃった、って……まさか……」
「うん」
と、私の目を見て、変わらない表情のまま未羊が言う。「あなたの想像通りだよ」と伝えているのだろう。
昼休みの、私と女子達のやり取りを聞かれていたんだ。
「……ごめん。私こそ、勝手に未羊の過去に触れて、口出しまでして……」
「ううん? 聞こえちゃったものは仕方がないよ。それに……少し嬉しかったよ」
未羊は首を振り、それからはにかむ。
疑問を抱いて、真意の説明を待っていると、未羊は優しく微笑みながら私に伝えた。
「やっぱり泉は気にかけてくれる、私のこと分かってくれるんだなぁ、って」
「未羊……」
やっぱり、私は未羊のことを大事にしたい。優しくって、大切な、私の幼馴染だから。だから……
「聞かせてくれる? 私と離れている間に、何があったのか」
噂話を耳にしただけで終わらせないで、本人の口から詳しい真実が聞きたい。
いつも柔和な笑みを浮かべる彼女だけじゃなくて、苦しかった時期の彼女もちゃんと受け止めて、すべての未羊を知った上で、これからも一緒に居たい。
「うん」
未羊は、どこか緊張した面持ちで私を見つめ、小さく頷いた。
話しづらい内容を聞き出そうとしていることは分かっている。それでも、未羊は私になら心を開いてくれる、という自信があった。
「私、眠くなりやすい体質だから、転校先の小学校でもそうじゃない場所でもよく寝ちゃっていたんだ。想像つくでしょ?」
「そうね。未羊らしい」
こんな時でも空気を重くしないように微笑む所も未羊らしいな、と、思いながら相槌を打つ。
「小学校はそんな感じで、相変わらずいじられていたけど、ちゃんと友達もいた。でも、中学に上がってからは、なんだか今までみたいにいかなくなっちゃった」
表情は柔らかさを保っているが、若干俯いていて、声のトーンは少しずつ低くなっていった。私は続きの言葉を黙って待機する。
「最初は『もはや園児みたい』ってからかわれるだけだったけど、しばらくして机や上靴に落書きされたり、仲良くしていた子達も一緒になって笑うようになって。それでも、悲しそうにしていたら周囲に迷惑を掛けちゃうと思って笑い続けていたら、それはそれで『気持ち悪い』みたい」
「ひどい……」
反射的に飛び出た一言。
学校で気を引き締める分だけ溜まる疲労を抜きにしても、これまでの未羊の様子から察するに彼女はロングスリーパーなのだろう。そんな未羊に度々驚かされて私も時には態度が強くなったりしたけど、それを受け入れない、ましてやいじめに繋げるなんておかしい。
……今になって、あることに気づいた。
「もしかして、それがきっかけで、優等生になろうと勉強や所作に力を入れたの?」
「へへ……」
照れ隠しのように苦笑いをする未羊を見て、目頭が熱くなる。正解なんだ。
クラスメイト達がいじめてくる中、未羊だけは逃げるのでも相手を変えようとするのでもなく、自分が変わろうと一生懸命に努力していたんだ。
普通なら立ち直れなくなっても無理はないのに、どうして、こんなにも健気に頑張れたのだろう。
「まあ、それもだけど、特に頑張ったのは生活習慣の改善かな。学校で眠くならないように就寝時間を早めたり、朝には眠気覚ましにコーヒーを飲んだり、色々。そうしたら、授業もすっと入ってきて、成績もぐんっと上がったから」
詳細を話す未羊から更に努力が伝わる。
転校前最後の学校の日、彼女はお別れの直前にこう言葉を残した。
「大丈夫。私、頑張るよ」
未羊は、本当に頑張っていたのだ。
未羊の過去、そして人柄に涙が出そうになるけれど、堪える。
つらかったはずの未羊の方が今でも悲しい顔すら見せないのに、私が泣くのはおかしいから。ここは、泣くんじゃなくって……
「もー。私はこんなに饒舌なキャラじゃないのに。泉が聞きたそうにしていたから特別──」
隣で笑って誤魔化す未羊を抱き寄せ、彼女の言葉を遮る。
私が包まなくても相変わらず陽だまりのような温もりが伝わってくるけれど、心は私に温めさせてほしい。
「へ? どうしたのぉ?」
「本当に、よく頑張ったんだね。未羊」
不意の行動を不思議がる未羊の背中をゆっくり、やさしく撫でる。私がいない六年間の未羊をすべて抱きしめるつもりで、彼女に触れる。体も心も、こんなに成長して。
未羊の柔らかな両腕がそっと私の背中に回る。
「うん。おかげで泉にも会えた。私、しあわせ」
「そうね。私も」
乗客がまばらな車内で、私達は、しばらくお互いの温もりに触れていた。
いつもより、少し長い夢を見た。
今から六年前。
泉とお別れする日の小学校からの帰り道、私はマンションの部屋に入る直前で泣き出した泉の背中を撫でていた。
「泉ちゃん、泣かないで……?」
「泣いてなんかっ……ぐすっ……だって、危なっかしい未羊をお世話できる子がいなくなったらっ、未羊がいじめられるかもしれないじゃないっ……! わああぁぁん……!」
今までで一番泣いている小さな泉を抱きしめる小さな私。
私も、泉と離れ離れになったら何にも出来ないんじゃないかと怖くて、そして寂しかった。まさか、あの時の泉の不安が的中するなんて思わなかったなぁ。
それでも、
「大丈夫。私、頑張るよ。ペンケース、ずっと、大切にする」
「うんっ……」
私は泉の前で涙を見せることはなく、最後は二人とも笑ってお別れをした。
実は、この時だけ、私は泉よりも強がりの才能を隠し持っていた。──いや、本当は、今でもそうなのかも。
家に入ってすぐの玄関前で立ち尽くした私は、しばらくして泉の足音が消えると、その場にへたり込んで、
「うぅっ……ぐすっ…………うわああああぁぁん! いずみちゃんっ……! いずみぢゃぁんっ……!! もっど一緒にいたいよおぉ……!」
まるで赤ちゃんになったかのように泣き喚いた。
ぼろぼろ、ぼろぼろ。小さな体から大粒の涙が止まらない。泉と一緒だ。ううん? これ、私の方が泣いている。
滅多に泣いたりしないのに、私、どうしちゃったんだろう……?
自分でも、びっくりしていた。
それから、知らない町で、泉がいない日常を私は過ごした。
最初は不安でたまらなかったけれど、転校した小学校ではやたらと眠る私は面白がられ、結果的に友達が出来た。
だけど、このまま安定してくれることはなく、中学ではかえっていじめの標的となり、リセットされたかのようにひとりぼっち。苦しいのに、笑っていた私は、いつも一人になった瞬間にたくさん泣いた。
そんなある日、泉と交わした言葉を思い出した。
「大丈夫。私、頑張るよ」
あの時は何気ないお別れの挨拶だったそれが泉と再会する日までの約束のように思えて、私は、乗り越えようと決意をした。連絡先も知らない、まだあの町にいるとは限らないのに、精一杯に自分を変える努力をした。しばらくすると、いじめがなくなり、僅かだけど仲良くしてくれる子も現れた。
そして、高校生となり一年半が経った頃、転勤族の松本家は再びあの町へ戻ってきた。嬉しかったけど、運命的な再会などそうそう起こらないだろうと期待せずに過ごしていた。
それなのに……
「ったたた……」
「あんた、松本未羊でしょ?」
新しい学校にも慣れ出した金曜日の下校の電車内。
ほっぺたをつねる仄かな痛みに眠りから覚めると、この五日間、いつも隣に座っていた女の子が私の名前を口にした。
……嘘?
「……いず、み?」
一つ結びの青みがかった黒髪、きっと昔から愛用しているであろうシャンプーの香り、強気なのにどこか愛を感じる声色。大人っぽくなっているけど、よく見ると面影がある。泉だ。
夢みたいだ。
それとも、まだ夢の中……? ううん? だって、ほっぺた、痛かった。
夢じゃないんだ。
いや、むしろ、再会するまでの六年間が長い長い夢だったかのように感じる。
泉が、私の目を覚ましてくれたみたいに。
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