第12話 お勉強しといてよ

 翌日の放課後、来週の試験に向けてテスト勉強会を開くことにした私と未羊はいつもの帰路で松本家を訪れた。ちなみに、今日も未羊は最寄駅のギリギリまで寝て私が慌てて起こす羽目になった。

 午後五時。未羊の部屋のテーブルを陽葉を含めた三人で囲むと、教科書やノートやお菓子を広げて、テスト勉強と同時進行で陽葉の課題も見る時間がスタートした。


「そういえば、今日はいつものドーナツじゃないんですね?」


 バタークッキーを齧りながら陽葉が何気なく聞く。駅前のドーナツ屋さんのことだろう。


「テストが終わるまであのドーナツ屋さんはお預けにしているの。自分へのご褒美があれば、気合いも入るでしょう?」

「ついでにダイエットにもなるから、って」

「余計なこと言わなくていい」


 手の甲で隣の未羊の膝を叩いてツッコむ。

 未羊の言う通りそれもあるけど節約にもなるので、我ながら名案な気がした。ダイエットと言ってもそこまで力は入れないので、今日は代わりに三人で分けられるような長方形の箱入りのクッキーと個装のチョコが詰まった大袋をコンビニで調達した。


「ちょっと休憩〜」と伸びをした未羊は、床にだらりと仰向けになるとそのままこう言った。


「陽葉、分からないことがあったら泉に聞いてね?」

「別に構わないけど、私よりあんたの方が成績いいんだからね?」


 あまり認めたくはないけど。面倒くさがって私に役目を押し付けているのがよく分かる。


「でも、私も泉さんに教えてもらいたいです!」

「まあ、陽葉がそう言うのなら。今は英語?」

「そうです。英語って、あれがこんな読み方に変換するんだ〜って発見が面白くって結構好きなんです」

「なるほど。言われてみると、そうね」


 勉強が苦手という陽葉が、私が感じたこともない観点から科目に興味を示していることは純粋に素敵だと思った。感心しながらペットボトルの微糖のホットコーヒーを口へ運ぶ。


「そういえば、泉さんの『泉』って英語で何て言うんだろう? トリビア?」


 むせた。まだアニメチックに吹き出さなくてよかった。


「陽葉、それだと『くだらない』って意味になるわよ……ゔゔんっ」

「は……! ごめんなさいっ!」

「ふふ……一ノ瀬くだらない……」


 寝転んだままぼそっと笑う未羊に微かな苛立ちを覚える。

 てゆーか、どうしてウチら世代がその番組を知っているのよ。


「じゃあ、ウォーターサーバー?」

「珍回答連発ね……」

「ヘキ○ゴンみたいだね」

「ちょっと一回フ○テレビから離れない?」


 だからウチら世代がネタに使うものなのか。


「お姉ちゃんはジンギスカンだよね!」

「いつになく陽葉がボケに回っている……」

「やだなー 私はダブルシープだよ〜」

「何それ。……ああそういうこと」


 十二支で用いられる未と動物の羊だからダブルなのか。それっぽい英単語を生み出さないでちょうだい。

 まあ、名前だけじゃなく相変わらず存在自体が羊っぽい彼女は……


「分かってはいたけど、寝たわね」

「寝転んだ時点で怪しかったですよね」


 仰向けのまんま、いつの間にやら夢の中へ潜り込んでいた。勉強して疲れたのだろうけど、あなたさっき寝たばかりじゃない??

 ということで、勉強会開始から約三十分後、参加者は一人脱落して二人になってしまった。


「しょうがないんだから」


 呟きながら未羊のベッドから桃色の毛布を一枚お借りすると、ふわっと眠れる羊に被せてやる。

 心なしか口角を上げて眠る未羊に、そんなに気持ちがいいのかと自分にも頬の緩みが移る。


「泉さんも、相変わらず優しいですね。世話焼きというか」

「そう? いやぁ、普通じゃない?」

「当たり前のこととして動けるって、やっぱり根が優しいんですよ。──もしかして、相手がお姉ちゃんだから?」

「あぁ〜そうかも? 未羊にはついお節介を焼いてしまっている気がする」


 陽葉の発言からそんな何気ない会話が発生し、彼女が指摘したことについて考えてみる。未羊が危なっかしいからとはいえ、確かに私は積極的に未羊の面倒を見ている。

 陽葉は芝居がかったような悪戯な笑みをこちらに向けて言った。


「ほんと、仲が良いですよね。私、嫉妬しちゃいますよ?」

「こら。からかわない」

「へへぇ」


 小さな頭に優しくチョップすると、あえてなのか陽葉は乾いたトーンで軽く笑った。前回の二人きりになった時にも感情が薄くなる瞬間があって、これも彼女の特徴の一つなのかと思ってしまう。


「泉さん、お姉ちゃん起こしますか?」

「まあ、勉強って頭使うから、今回は許してあげようかな」


 と、今日もなんだか未羊を甘やかすことに決めてから、私はうっすら気になっていたことを陽葉に告げる。


「あと、長い付き合いなんだし、私のことは『さん付け』しなくていいわよ? なんだか照れるし」


 陽葉の律儀な性格は長所だけれど、私の前では砕けてくれていた方が落ち着く。


「わかりました。──泉ちゃん。これからも仲良くしてください」

「もちろん、だけど敬語はそのままなのね」


 畏まった言葉遣いでお辞儀までする真面目さは変わらないけれど、純粋な眼差しを向けてはにかむ陽葉は今でもかわいくて、私にとっても妹のような存在だった。


 未羊が熟睡中に、私達はそんなやり取りをした。

 二人だけで盛り上がってよかったものかと一瞬は悩んだが、しばらく起きなかったので、気にする必要はなかった。十九しち時前にそのまま松本家で夕食をご馳走になったのだけれど、その直前まで未羊は寝ていた。




 翌日の、学校のお昼休みのこと。


「あの、一ノ瀬さん……!」


 席に座って食べ終えたお弁当箱を鞄にしまっていると、どこかから聴き覚えのあるテノールボイスで名前を呼ばれた。声の方向へ振り向くと、


「……あ、川野君?」


 そこには、最近、私達の話題に上がっているクラスメイトの川野君が立っていた。まさか未羊だけでなく私にも話し掛けるとは思わずに少し驚く。

 すると、彼はもじもじとした様子で私にこう言った。


「あの、聞きたいことがあるんですが……今、いいですか?」

「いいよ。どうしたの?」

「よかったら、人が少ない場所でも大丈夫ですか?」

「……うん」


 同級生の私に敬語を使うやはり内向的そうな彼の突然の提案に、とりあえず乗ることにした。

 人気ひとけのない場所で聞きたいことって何だろうかと不思議とドキドキしながら川野君に着いて行くと、階段前の廊下で彼の足が止まる。

 それから、川野君は緊張からか強張った顔で私を見据えて、


「実は、僕、松本さんのことが好きなんです」


 意を決するように、内に秘めた想いを告げてくれた。

 川野君は未羊に真剣に片思いをしていたのだ。こっちがガチ恋男子だったかぁ……。

 納得と言えばそうなんだけど、直接言葉にされると心がびっくりする。


「……そうなんだ?」

「でも、一ノ瀬さん、よく松本さんと一緒に居て仲良しだから女子同士の中に僕が踏み込んだら迷惑かと思って、確認したかったんです」


 遅れて返した私に川野君は話の続きをした。


「まあ、少し驚いたけれど……そこまで気にする必要あるのかな?」

「だって、松本さんと一ノ瀬さんが交際していたら男の僕は邪魔みたいなものじゃないですか」

「えっ、待って? 交際??」

「あ……違うんですか??」


 強張っていた表情が弛緩して、心なしかほっとした調子になる川野君。

 まさか、彼まで私と未羊の関係を誤解していたなんてさすがに思いもしなかった。どうして、こうも私達を百合だと疑う人が多いのか。まるで「イチャついている」とでも言いたげな。


「ないない! 未羊と交際なんかしないわよ」

「よかったぁ……」


 私が否定すると川野君は口端を上げ、これで本当に安堵の表情になった。

 その勢いのままか、私は彼にこんな提案を持ち出された。


「あの、よければなんですけど、協力してもらえませんか?」

「えっ」


 そこまでの考えには至っていなくて、落ち着いて頭の中で整理をする。

 私が、未羊と川野君が結ばれるように手伝う、背中を押す。と、いうこと……。


「一ノ瀬さん?」

「あぁ……うん。いいよ」

「本当ですか!」


 断る理由が思いつかずに反射的に了承すると、彼の表情や声色はさらに晴れやかなものになった。

 正直な所、二人とも穏やかなイメージだからお似合いな気がしなくもなかった。


「あ、でも、来週からテスト期間だから……」

「大丈夫です。今は自分も松本さんもテストに集中して、落ち着いてから告白します!」


 緊張からすっかり開放された様子の川野君に私も少しだけ安心した、一方で……

 なぜだか、心が微妙にスッキリしない。モヤっとしている。

 それは……どうして?

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