第11話 ちょこっと気になること

 十一月の第二月曜日。無事に風邪が治った私は、週明けから登校することができた。タイミングが良いのか悪いのか、今日から後期中間テストの勉強期間に入る。

 何事もなく午前の通常授業を終えてお昼休みに入ると、私はいつもよりも早くお弁当を済ませて未羊を中庭へ呼び出した。


「どうしたの? あ、風邪治って良かったねぇ」

「うん。あのさ、そのことなんだけど……」


 柔らかな笑みを浮かべる未羊を前に、緊張するので早速本題に繋がる"あるもの"を鞄から取り出す。


「これ。昨日、お母さんと作ったチョコなんだけど、食べる? 看病のお礼、っていうか」

「今日ってバレンタインだっけ?」

「バレンタインじゃなきゃ渡しちゃダメなの!?」


 とぼける未羊に思わず強いツッコミを入れる。何でもない日にチョコを渡すことを不思議がられると恥ずかしくて。


「そんなことないよ。ありがと〜、泉」


 未羊は首を横に振ると私が両手に提げる紙袋を嬉しそうに受け取った。


「まだ授業まで時間があるし、自販機があるベンチでティータイムにしよう?」


 そう提案して未羊を連れて行くと、ホットのミルクティーを二人分買ってその一本を未羊に手渡す。ここまでを含めて彼女へのお礼だ。ペットボトルに籠る温もりがかじかんだ手をほぐしてくれる。


 二人でベンチに腰を下ろしたところで、いきなり未羊が私の額に触れてくる。体調を気にかけてくれているのか。


「心配しなくても、もう熱はないわよ」

「いや……泉がいつになく優しいし積極的だからまだどこかおかしいのかな、って」

「今度風邪引いたら移してやるから覚えてなさい?」

「また私に看病してほしいってことね? 素直じゃないなぁ〜、あいたっ」


 未羊のご厚意なのだろうと受け取るもその予想は虚しく相変わらずふざけてきたので、ボトルで彼女の背中を突いてやった。

 ただ、言われてみると普段よりも未羊に尽くしている気がしなくもない。おいしい〜、とチョコを食べる手が止まらない未羊を見てなんだかんだ彼女と居ると飽きないなと感想を抱く。


「そういえば、お母さんと仲良くなったんだね」

「まあ、うん。今は忙しくて余裕がないけど、元々料理やお菓子作りが好きな人だから」

「二人の相性の良さがしっかり伝わる味だね」

「そんなこと分かるの?」


 はい、と未羊が指で私の開いた口にチョコを入れてくる。

 やはりチョコでお母さんとの相性が明確に分かったりはしないけど、甘くて濃厚で想像よりも美味しかった。

 黙って味わっていると未羊が顔を近づけて口端を上げてきた。言った通りでしょ? と表情が伝えてくれる。

 少し腑に落ちない……けれど、今の私にはそんなことよりも他にモヤモヤする点がある。


「なんだか、視線を感じるのだけど。たぶん未羊のことよね?」

「知ってるよ」


 未羊は気に留める様子もなく自然な流れで即答する。


「何とも思わないの??」

「今に始まったことじゃないからね。ほら、私、外面良くて内面悪いからモテモテなの」

「それ長所みたいに使う言葉じゃないと思う」


 ──いや、そんな漫才のような掛け合いすらどうでもよくなる発言が聴こえてきたのだけど……。


「ちょっ、今に始まったことじゃない、ってどういうこと??」

「泉が風邪を引く少し前から気配を感じていたんだよね。だから、十一月に入ってから?」

「思ったよりも前から……」


 不審に思いそうっとチラ見してみると、小柄な男子生徒らしき人物が視界に入った。今は私達に目線を向けていない。ひ弱で消極的な雰囲気だけど、異性であることを考えると警戒しないわけにもいかない。複雑ではあるけどせめてもの百合男ゆりやろうのパターンを願うといった所か。

 肩をコンコンと叩かれる感触を覚えて顔を戻すと、未羊はこう言った。


「大丈夫。ただ少し気になる程度で、私は何もされていないんだから」


 安心させるように微笑む未羊。本心なのかポーカーフェイスなのか、無理しているようには感じられない。本人よりも私の方が心配しているなんて不思議だけど、未羊らしい。

 とりあえず、私はそんな彼女を信じることにした。




 翌日の学校の休憩時間のこと。


「あれって……」


 未羊が属する六組の廊下を通過しようとした時、たまたま教室の出入口で未羊と見覚えのある男子生徒が会話している瞬間を目撃した。思わず立ち止まり、前回同様に気づかれないように陰から様子を窺う。

 昨日、未羊に視線を送っていた彼だ。今日は姿をしっかり目に映すと、私のクラスメイトの川野かわの寛斗ひろと君であることが判明した。男子の中では背が低く、童顔で、控えめな性格の子。中学生に間違えられても不思議ではない。

 信じると決めた矢先にこの展開はいかがなものだろう。

 そう思っていたが、未羊が困惑している様子は見受けられず、彼女はいつも通りの穏やかな笑みを乗せて川野君と言葉を交わしていた。


「休憩時間の時、川野君と何を話していたの?」


 下校時刻の午後四時過ぎ。未羊と隣り合わせに座って電車が動き出した時に私は意図せずにそう質問していた。


「えっ? なんで泉が知ってるの?」


 知られていることに驚くように未羊が言葉を返す。これでは私の方が怪しいと誤解されかねない。


「いや、たまたま通り掛かったら二人が見えただけよ?」

「私と仲良くなりたいからお話したい、って声を掛けてくれて、少し立ち話していたんだ」

「何それ? 仲良くなりたい、って、どういう……」

「そんなに心配しなくても大丈夫だよー ほら、あの子、普通にいい子そうでしょ?」

「まあ、悪い人には見えないけど」

「それか私に嫉妬してくれているの?」

「それはない」


 意地悪そうな笑みでからかう未羊を制すように言う。

 ──ないのであれば、私は何をそんなに不安になっているのだろう。内気で人畜無害そうな彼を警戒する必要はないはずなのに。

 と、考え事をしていると、いつの間にやら隣の彼女は私の肩を借りて眠りに落ちていた。

 車内の暖房に未羊の体温が加わって、こっちにも眠気が移ってくる。




「……やば。今、どこ??」


 眠りから覚めて意識がはっきりすると、顔を上げて周囲を確かめる。最寄りの一駅前に向かっている道中であることが分かり、内心安堵する。

 最近、未羊のお陰で車内で仮眠を取れるようになってきた。少しでも体力を回復できるのは嬉しい反面、乗り過ごさないか、という懸念は拭えない。


 未羊の方は、安定して未だに熟睡中。いや、今日はたまたま寝相が良いから表面からでは伝わらないだけで爆睡かもしれない。私の肩から離れ、後ろの窓に頭を置いている。

 今日はどう起こそうかと思った時、なんだか"無性にしてやりたい"ことが頭に浮かんだ。

 周辺に人が居ないことを確認すると、未羊に顔を至近距離まで近づけ、彼女の薄桃色の唇にそっと私の唇を重ねる。

 あの時のキスのお返し──いや、仕返しだ。

 女同士だけど……未羊、こんなに柔らかくって、気持ちがいいんだ。

 顔を離した、その瞬間。

 未羊は、まるで御伽噺おとぎばなしのお姫様のようにゆっくりと瞼を開け、私を見つめ、そして──じわじわと頬を赤く染め上げていく。

 体を起こすと小さな手で口を隠し、顔を逸らしては、たまにチラチラと私に目を向けてくる。

 まさか、こんなにもすぐに起きてしまうとは思ってもいなかった。私まで顔が熱い。てゆーか、

 未羊が、照れている……?

 未羊は私に平気でキスをしてきたのに……どうして??


「そんなに照れないでよ……。こっちまで恥ずかしくなるから……」


 しばらくの沈黙を破って私から話し掛けると、緊張で声が弱々しくなっていた。


「してきたのは泉の方だよ……?」


 彼女も芯の通らないフニャとした声で答える。まあ、それは正論なんだけれども。


「私は、未羊が前にしてきたから仕返しただけよ?」

「まさか、泉がするなんてまったく思わなかったから、突然のことにビックリして……」

「自分からしてきた時は平常心だったのに」

「するのとされるのとではワケが違うの……!」

「変わんないじゃん」

「変わるよ!」


 つい今までか細かった声を張り上げる未羊。

 あの穏やかな未羊がここまで動揺するなんて珍しい。さすがにマズイことをしてしまったか。私は未羊を落ち着かせようと伝える。


「大した意味はないから、お願いだから気にしないでよ。ほんと変に照れるからさ……」

「意味のないキスは……それはそれでイヤ」

「えぇ……」


 頬を膨らましてそっぽを向く彼女につい、呆れた声が漏れる。

 未羊、意外にも面倒く──いや、難しい一面があるのね。


 ……でも、軽い気持ちでしたはずなのに、なぜだか、すっごく、ドキドキした……。

 長年一緒にいる未羊相手に。不思議な感覚。



 

「はああぁぁぅ……」


 帰宅し、自室に入るなり、私は言語化しない声を吐き出しながらベッドに突っ伏す。

 今日は、本当にドキドキした……。

 まさか、泉があんな大胆な行動に出るとは思わなかった。今でも泉の唇の感触が体全体から離れてくれない。

 ──だけど……


「泉にとっては、やっぱり、深い意味なんてない軽いキスだったのかなぁ……」


 言葉にしてみると、少しだけ、切なくなった。

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