第15話 わがままな天使
数分後に浴室から上がると、すぐ近くに丸椅子に座る下着姿の未羊と陽葉の姿があった。のぼせた体を冷ます為の薄着なのだろうけど、ただの仲良しの幼馴染相手に、色っぽく、刺激的に感じてしまう。
鼻にティッシュの栓をしていないので、鼻血は治まったのだろうか。むしろ、今度は私の鼻がむずむずしそうだ。ひょっとして、この二人、私の裸や下着姿にドキドキして鼻血を……? まさかね。自意識過剰よ。
「えっと……二人とも、調子はどう?」
「もう大丈夫だよ」
「ご心配をお掛けしました」
すると、未羊が私の全身を上からなぞるように見て、頷きながらこう言った。
「……うん。ちょっと慣れてきたかも」
「最後まで何のことか分からなかったけど、とりあえず安心したわ」
「やっぱり鈍感ですね。泉ちゃん」
陽葉ちゃん? 今日はいつになく言葉に棘があるけど何か私に恨みでもあるの?
そのすぐ、私が上がったのを機に三人でロッカーの前に着いて着替えることになった。
「泉、この前、川野君と話したって本人から聞いたけど、どうだった?」
着替えが私よりも一段階ほど早い未羊が白パーカーを広げながら訊ねる。本人から聞いた、ということは、川野君は変わらず未羊と距離を縮めようと話し掛ける努力をしているのだろう。自分は、協力する約束をしておいて、まだ何も力になれていない。
ただ、これは、もしかすると、未羊と川野君の仲を進展させるチャンスなのかもしれない。私は藍色のブラを背中に回しながら自信を持って答える。
「そうね。未羊の言う通り、あの子はいい子だからオススメね。童顔で大人しいから男らしさは正直感じなけど、それをショタ要素が補ってくれているわ。外見も清潔感があるし、また話したくなる男の子ね」
「ラーメン屋かなんかの口コミですか?」
ほんとだ。それでしかないわ。
未羊に川野君への興味を持ってもらいたくて勧めてみたが、約束を守らなきゃという使命感で慌てて、なんだか空回りしてしまった。
「あっ、そうー」
「はい??」
自分から聞いといてつまらなそうに反応する未羊に思わず驚いて振り向く。未羊と川野君の為の回答のつもりだったのに、不満気な表情。
未羊は一番乗りで着替えを済ませると、私の疑問の声に答えることなく、トートバッグを持って使用したロッカーに鍵を挿入する。
「もう出るの?」
「知らなーい」
それだけ言い残して、私に目もくれずに更衣室から出て行った。
未羊さん……もしや、ご機嫌ナナメ?
未羊の様子が気になって追いかけるように着替えを済ませると、陽葉が女湯を出て間もない内に私も退室した。冬間近とはいえ長いこと熱い空間に居た為、久々に「涼しい」と感じた。直後、松本姉妹用に自販機で瓶の牛乳とコーヒー牛乳を一本ずつ購入。銭湯に来たら無性に飲みたくなる瓶牛乳だけれど、近い内に生産終了するらしく、知った時には正直ショックを受けた。私も後でしっかり味わっておこう。
先に陽葉を見つけると彼女がコーヒー牛乳を選んだので、もう一本の牛乳を未羊にサービスしようと姿を探す。すると、珍しく不機嫌そうにチェアに座る未羊を発見した。
「はい」
ぴたっ、とお風呂上がりの未羊の頬に牛乳瓶を当てる。
「…………」
じとっ、と無表情でこちらに振り向く未羊。なんでビクともしないのよ。気まずいから何か反応してよ。
「理由は知らないけど、機嫌直してよ」
「コーヒー牛乳がいい」
「あ……ごめん。コーヒー牛乳は陽葉にあげちゃった」
未羊なら何でも受け取る気がして先に陽葉に選ばせてしまった。憶測で物事を決めたりせずに直接確認すべきだった。
「…………」
また黙って、じろっと私を見つめる未羊。買え、と言わんばかりの目つきで無視が出来ない。
「しょうがないわね」
圧に負けた私はチェアの隣のテーブルに牛乳瓶を置くと、自販機で再びコーヒー牛乳を一本買った。飲まれなかった牛乳は私がじっくりと頂こう。
──しかし、どうやら、私はまたも誤った選択をしてしまったらしい。
「ほら、買ってきたわよ。あれ? ここに置いた牛乳は?」
戻ってみると、テーブルに立っているはずの牛乳瓶が忽然と姿を消している。
「え? 飲んじゃったけど」
「は??」
何食わぬ顔で未羊が答える。すぐに彼女に目を向けると空になった牛乳瓶を両手で抱えている。いつもの冗談じゃない、ガチだ。
「ちょっと、私、買っちゃったじゃない??」
「置いたからこれも私にくれるのかな、って。あ、もちろんコーヒー牛乳もいただくよ」
「こいつ……」
私の銭湯の醍醐味、どうしてくれるのよ。天使みたい? 天使の面した悪魔じゃないかしら?
などと文句を垂れつつも、未羊の言い分には多少納得できてしまい、一概に彼女だけを責めるのは無理があった。
仕方なくコーヒー牛乳と空の牛乳瓶をトレードした所で、陽葉もこちらに着いた。
「お姉ちゃん……よくそんなに入るね。さっきも飲むヨーグルト飲んでいたのに」
「待って、私それ知らないんだけど」
「あ。泉ちゃんが戻って来る直前に飲み終わりましたからね。私は、二本はさすがにキツイかも」
私は、勘違いをしている陽葉に向かって空の瓶を持った手を伸ばしながら言う。
「陽葉……この子、二本じゃないわよ」
「えっ……」
察したのか、陽葉の表情は未羊に衝撃を受けながら引いている様だった。
入浴後に体を動かすのも気が引けるので、帰宅は銭湯の最寄りの停車場からバスを使った。
最後尾のロングシートの席に三人で座り、約十五分間の移動で自宅にも松本家にも近いバス停を目指す。すっかり暗くなった七時四十五分現在でも、車内の照明のお陰で周囲はよく映って見える。
「バスで帰るなんて、私達にとっては新鮮ね」
発車してすぐ、左窓側の未羊と反対側の陽葉に挟まれながらふと呟く。いつもの帰り道と似ているようで違う様は少し面白い。
「わー、お腹たぷたぷしてる〜」
何が楽しいのか、未羊は両手で触る腹部に目を落としながら笑っている。
「当たり前でしょ。胃に三本分の乳製品が詰まっているのだから。あれから二人して言葉を失ったわ」
あの後、やはり買わずには終われず、改めて自分用のコーヒー牛乳を購入した。未羊がさすがに気を遣い奢ってくれるかとちょっと期待したけど、機嫌の関係からかその気配は全くなかった。
ただ、今の未羊を見る限りいつものゆるふわ女子に戻っているので、ようやく気が休まる。
「ごめんって〜」
「別にそんなに気にしていないからいいけど……具合悪くならないでよ?」
どちらかといえば、私の気掛かりは、奢ったことよりも未羊の体にあった。自分が未羊の状況ならば確実に体調を崩しただろう。
でも、現時点では調子良さげなので、この子は胃腸が強いのかもしれない。
少しすれば、未羊のことだから、バスでも何ら変わらずに居眠りすると思っていた。お風呂上がりだから尚更。しかし……
途中から、普段と明らかに様子が違うように感じられた。
「バスって、電車に比べると揺れるのねぇ」
「わー……お腹の中、すごい激しく揺れてるー……」
「未羊、顔色がすごく悪いけど大丈夫……??」
基本的に血色が良い未羊の顔色が青白い。また、いつもなら気持ち良さそうに眠る彼女だけど、真逆、気持ち悪そうにしながら起きている。
「泉、陽葉、ごめん。もうひとつだけ、我慢できないことがあるんだけど……」
「何……?」
口元に手を添えながら伝える未羊に嫌な予感を抱きながら訊ねる。
今回の言う「我慢」とは、牛乳を欲張るわがままなんかとはベクトルが異なる、どうしても制御できない内容だろう。今日、二度も鈍感呼ばわりされた私でもおそらくこの勘は当たっている。陽葉もきっと同じことを考えて、不安たっぷりな顔で未羊を見つめているはず。
数秒間の沈黙の後、顔色がさらに悪化した未羊が手のひらで口全体を覆いながら言った。
「……吐いてもいい?」
予想的中。即座に目先の降車ボタンを押した。
未羊は、大量の乳飲料とバスの揺れが相乗して嘔吐しそうになっているのだ。どこが調子良さげなのよ。私が二本分も払ったというのに、この女、勿体ないことをして……いや、そんなボヤいている余裕はない!
「わー! わー! それはさすがにマズすぎるから我慢して! 私、いつものダラけているお姉ちゃんの方が全然好き!!」
「そうよ! いい? もし、ここでやっちゃったらもう一回お風呂行きだからね? そんなことより、あんたは早く寝たいでしょ??」
「泉、背中さすらないで……おぇっ……。逆効果……」
「ご、ごめん!」
といった調子で、私達は未羊にしばらく堪えてもらおうと必死になっていた。そのお陰か、どうにか降車するまでは我慢してくれた。降車するまで、は。
降りた瞬間、跪き…………リバース。
今度は、ひたすら背中をさすってやった。
やむを得ず途中のバス停で降りてしまったので、未羊を介抱しながら十数分ほどかけて歩いて松本宅へ到着。さすがにこの状況で解散はしづらくて、私も家まで同行させてもらった。
ダイニングキッチン周辺で一人ぼーっと立っていると、部屋で安静にしている未羊に晩ご飯の確認を取りに行った陽葉が戻って来る。吐いた後だから食べ物は受け付けないかもしれないが、念の為。
「お姉ちゃん、ちょっと休んでから晩ご飯を食べるみたいです」
「あの子、何気に食欲旺盛よね……。何かリクエストはあった?」
私の問いに、陽葉がキッチンの吊戸棚から"円形の何か"を取り出して「これです」と私に見せてきた。そのパッケージには「アブラマシマシ豚骨ラーメン」と印字されてある。高カロリーなカップ麺だ。
「いや、ダメに決まっているでしょ」
トップレベルで逆効果のメニューが出てきた。未羊、あんた、今の自分の状態を分かって言っているの?
「ケチ」
突然、二人の空間に未羊の不満そうな声が差し込む。振り向くと、確かに彼女が片頬を膨らませて立っていた。
「わ! ビックリした。寝ていると思っていたのに」
「お姉ちゃん? 泉ちゃんの言うことを聞かないとダメだよ?」
「だって〜」
「消化の良いうどんや雑炊にしなさい」
まるでわがままな娘とそれを叱る二人の母のような掛け合いをしてから、私達は晩ご飯を作った。
もちろんアブラ系は諦めてもらい、茹でた冷凍うどんをあっさり醤油スープに入れて三人で頂いた。
「じゃあ、私、そろそろ帰るね」
食べ終わり、片付けを済ませた頃には夜の九時半に迫っていた。未羊も今度こそ調子を取り戻してくれたことで、トートバッグを肩に掛けて玄関へ向かおうとした時──手がふにっと柔らかい感触に包まれて、足が止まる。振り返ると、未羊が私の手を握っていた。
そして、
「今日は、そばにいて?」
上目遣いで、子どものようにお願いをする。
それって、つまり「一晩、この家に居て」って意味よね。
「えっ……?」
「お、お姉ちゃん……?」
私も陽葉もやはり驚き、少し戸惑っている。だって……
未羊って、こんなに甘えん坊で寂しがりだっけ?
「泉、ダメ?」
「まあ、特に断る理由は見つからないけど……。陽葉は大丈夫?」
「えっと……はい」
迷う時間を要したものの、陽葉は頷いてくれた。
「わかった」
「やーった♪」
承諾すると、未羊は心底嬉しそうに目を細めてふかふかボディを寄せ付ける。ああ……認めたくないけど、今日の未羊かわいいわね。
それから母にメッセージを入れ、私は松本家へのお泊まりを確定させた。
そういえば、あんなに一緒に居るのに、未羊と一晩を過ごすのもこれが初めてだ。
泉にパジャマや布団を貸したり歯磨きをしたりと就寝前の準備を済ませると、ベッドのライトを点けてから自室を消灯した。
私が横になるベッドのそばには布団に潜る泉が居て、甘えた甲斐があったと感じる。陽葉、わがままなお姉ちゃんでごめんね。
「あんた、今日は珍しくわがままね。どうしちゃったの?」
噂をすれば、お母さんになったかのような口調で泉が聞いてくる。
泉が川野君のことを熱く語るのがイヤになって、そろそろ積極的にアプローチしたくて……昨日、やさしく抱きしめてくれたから、子どもみたいに甘えてしまった。
でも、そんなことを本人に言えないから、
「うーん。なんだか、そういう気分になっちゃって」
曖昧に答えて笑ってみせる。
「あぁ、そう」
素っ気ない返事のようで、泉が紡ぐ音色は温かった。すると、それだけでは終わず、私の頭をやさしく撫でてくれて、今度は自然と笑みが零れる。
そっか。泉も、イヤではない、ってことかな。
「あったかい」
「こっちのセリフよ」
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