第6話 たまには賑やかな夜も
「未羊、起きなさい! 起きて!?」
電車が終点の駅に着いてしまったことを知った私は、加減も気にせずに夢の中にいる未羊の肩を大きく前後に揺する。
未羊は重たい瞼を擦りながら目を開けると、こちらに首を傾げる。
「まずいわよ。ここ、終点!」
「泉、起こしてくれなかったの……?」
「ごめん、私も一緒に寝ちゃって……。この電車、間もなく車庫に入るって放送があったから、急いで乗り換えるわよ?」
未羊の手を引っ張って小走りで降車すると、自分達の最寄りと大差ない小規模の駅が広がった。外は完全ではないとはいえ暗くて、十月最後の十七時半はしっかり冷え込んでいる。
未羊の手を握ったまま、変わらない速度で乗り換え先のホームに移動する。幸いにも私達がホームに着いて数分してから来た電車に乗って、いつもの下校と同じ四十五分を掛けて最寄駅を目指す。
乗車位置の関係なのかロングシートはなく二人席が設けられ、未羊を窓側にして二人で腰を下ろす。
思いっきり、油断した。
途中で未羊が起こしてくれたりすれば助かったけど、普段、隣で様子を見ている限り、やはり頼める相手ではない気がする。前回みたいに爆音を使われても困るし。
「……さすがに、もう眠たくならないわね」
「終点まで体力温存したからね」
下校の電車時間に変わりはないものの、私達の姿勢はいつになくピシッとしていて、目はバッチリ開いていた。
「しまった。今日、お母さんパートだから自分で夕食を用意しなきゃだ」
ふと、大事なことを思い出して独り言つ。
私は、小学生に成り立ての頃に父を病気で亡くし、母と二人家族だ。保険金だけでは家計が厳しい為に、母はたまにパートとして働きに出ている。私も短期でアルバイトをした経験はあるが、今は学業に専念しているので助けられていると実感する。今日のように一人の夜は簡単に作るか買うかして晩御飯を済ませるのだけど、午後六時の手前にして未だ帰りの電車内、何も考えていなかった。
「じゃあ……ウチ、来る?」
「えっ?」
予想にもない未羊の言葉に振り向く。
「せっかくだから、ウチに食べにおいでよ。まだ、新しい家には来たことないでしょ?」
「悪いわよ。突然だし、どうせ今日も簡単に済ませるだろうし」
「悪いのは体の方だよー 大丈夫。みんな大歓迎だから」
「まあ、家族が問題なければ……」
と、私は積極的に誘う未羊のお言葉に甘えることにした。久々に未羊の家に行きたい、未羊の家族に会いたい気持ちもあったので。
──それから時間が経過して、残り約五分でようやく最寄駅に着こうとする時だった。
未羊は首をこくっと上下に揺らし、大きな瞳は今にも閉じようとしていた。
「え、今!?」
このタイミングで未羊は再び睡魔に襲われていた。さっきまでは目が冴えていて余裕そうだったのに。
彼女の瞼は次第に下がっていく。
「待って、寝ないで! あと五分もしない内に着くのよ??」
私はどうにか寝かすまいと慌てて未羊に声を上げる。届いたのか、彼女は重たい瞼を少し上げて眠気に耐えるようにキープする。
「ふわあぁ……」
しかし、未羊はあくびを零すとまたゆっくりと目を閉じていく。
駄目だ。この子ったら、どれだけ疲れているの?
「ちょっと……これで寝過ごしたらいつ帰れるのよ!?」
六時十五分頃。未羊の体に触れ一時的にでもどうにか彼女に目を覚ましてもらって、私達はようやくお馴染みの駅に到着した。
街灯が無ければ歩けないと思う程に空は真っ暗に染められている。「秋の夜長」という言葉は聞くけど、こんな暗い時間に駅から出たのは久しぶりだ。
お世話になる松本家への手土産を買うべく、彼女の家を訪ねる前に駅前のドーナツ屋へ足を向ける。
隣の未羊は覚束ない足取りで左右に揺れるように歩いている。睡魔を完全には撃退し切れていないようだ。
そして、私から離れて電柱に向かい始めると、
「こっち」
私は未羊の肩を後ろから掴み、電柱を避けるように彼女の体を押しながらドーナツ屋を目指した。
十一日ぶりにドーナツ屋に入ると、今日も爽やかな男性店員がショーケースの後ろで「いらっしゃいませ」と笑顔を浮かべていた。大橋さんだ。やった、ツイてる!
純粋に嬉しい気持ちと緊張で、内心興奮気味になる。
「こんばんは! 今日はいつもより少し遅めの時間なんですね」
「ああ、えっと……」
「はい。私達、終点までねすご────んむぐもご!」
どう誤魔化そうかと悩む私を差し置いて馬鹿正直に話し出す未羊の口を瞬時に塞ぐ。
未羊ってば、大橋さんに何恥ずかしいエピソードを聞かせようとしているのよ! 大橋さんも大橋さんで「あ〜察し」って表情で笑わないで!
「あの、違います! 今日は部活で帰りが遅くって……」
「長時間かけて帰るという"帰宅部"の活動がありましてね」
いちいち私のイメージを下げるような言葉を挟む未羊に「ははは」と笑う大橋さん。
この子、私に恨みでもあるの!? 事実だから否定が出来ないのが悔しい。いっそ眠ったまま一人で歩かせた方がよかったかしら?
冗談はさておき、未羊はこれで本当に目を覚ましてくれた。
睡眠の深さには驚かされるけれど、それぐらい学校では神経を使っているのだと思うと「お疲れ様」以外の言葉は見つからなかった。
誘導する未羊の隣を歩き、彼女が生活するマンションの一つの部屋に到着した。
未羊は「ただいま」と扉を開けると、暗く染まる玄関の照明を壁のスイッチで点けてから私を招き入れる。
「お邪魔します」
色や配置は多少異なるものの、構造や広さなどは小学生の頃にたまに遊ばせてもらった松本家とほとんど変わりはない。
そう眺めている時だった──。
「遅い! お姉ちゃん!」
幼さが残るも芯の通った高い声を響かせながら、一人の少女が左角から出てきて玄関に姿を現した。
パステルカラーの青緑に染まるロングヘアは麗しく、私達よりも小柄な体には黄色系で仕上げた長袖ルームウェアを身に付けラフな格好をしている。そして、未羊に似て端正な顔立ちをしているが、その表情は彼女と違ってシャキッとしていた。
未羊の三学年下の妹で、六年前の引っ越し以来の再会だ。ということだから、今は中学二年生なのだろう。私も小学生の時にたまに未羊と一緒に遊んでいた。
「また、今日もだらーっと寝過ごしてきたの?」
姉の世話を焼くように陽葉が言う。
未羊、私が居ない時にもやらかしていたのか。
「陽葉、久しぶり。あの、お恥ずかしいことに、私も未羊と一緒になって寝過ごしちゃって……夜分にごめんね?」
「お、お久しぶりです! また会えて嬉しいです! てゆーか、お姉ちゃん、泉さんを連れて来るなら一言伝えてよ……! こんな部屋着のままで……」
あの頃から大人になった陽葉は私に畏まってお辞儀をしてから未羊に怒ると、頬をほんのり赤らめて両腕で自分の服を隠す。
小二から六年が経った今では、陽葉はすっかり思春期の女の子だ。
てゆーか、
「あんた、私がここに来ること話していなかったの??」
「お母さんには伝えてあるよ」
「こっちにも教えてくれないと! ほんと、恥ずかしい格好をお見せしてすみません」
「全然、そんなことないって。自然体で可愛いよ?」
悲観的な陽葉に正直な言葉でフォローする。
「いやいや! 絶対に泉さんの方が可愛いです!」
今度は謎に自信に満ちた表情で褒め返す陽葉。今までに無かった「泉さん」呼びと合わせて、何とも照れくさい気持ちになる。この子、いつの間にかお世辞まで言えるようになって。
なんだか、今の陽葉は、大橋さんを前にしている時の自分と少し似ている気がした。
それ以外は、小学生時代から変わっていない、人当たりが良くて、おませで、しっかり者の女の子。
「あのね? 陽葉は家でも学校でも私の正反対なんだ」
「え? 学校の未羊とも正反対、ってことは……」
突然、未羊から出た一言について考えようとした所で「お姉ちゃんってば!」と陽葉の声がすると、本人から真実の詳細を告げられる。
「あの……私、家とは違って、学校ではほんとうっかりってゆーか鈍くさいってゆーか。勉強も出来ないおバカ系だし……」
「外面悪くて内面良い……」
直感が口をついて出る。
陽葉は想像以上に未羊と対照的だった。普段からキチッとしていて溌溂な印象だったので、少し衝撃を受けた。
「陽葉は、学校ではドジっ子だけど、
「でも、私はお姉ちゃんみたいにぐうたら寝ていないしだらしなくも変人でもないからね!?」
「そうよね? ビックリした」
陽葉の無防備な姿は、やっぱり想像がつかない。
「こんな踏み込んだことを聞いてもいいのか分からないけど、学校で気を抜いたりして、例えば男子から好かれなくても平気なの?」
「私、男の子には興味がないんですよ♪」
「あっ……そうなんだぁ」
あまりに気にしていない様子だったので、これ以上、彼女に聞けることは何もなかった。
「ごめん、お待たせ」
二人に未羊の部屋に通される前にキッチンに立つ松本母に挨拶をし、お手洗いを借りてから、遅れて彼女の部屋を訪ねる。
扉を開けると、クッションやぬいぐるみがいっぱいの暖色を基調とした部屋が広がった。それでも、小学生の時と比較するとどこか落ち着きを感じる。
そんなただでさえファンシーな一室に、キュートでファンタジックな二人の少女が私を見つめて佇んでいる。一人は黒色のベールに包まれたシスターの未羊で、もう一人は紺色のとんがり帽子とワンピースを纏う魔女の陽葉。二人は仮装をしていた。
「これって……」
「ハロウィンだから仮装してみました〜」
やっぱり。軽く両腕を広げて見せびらかす未羊に納得する。
そう。今日、十月三十一日は「ハロウィーン」の日。
日本ではこのように仮装をして仲間と盛り上がるのが主流だけど、私はそういう派手な記念日にはあまり興味が湧かず、楽しみと言えば、唯一、ドーナツ屋のハロウィン限定メニューぐらいになる。今日も大橋さんに詰めてもらっちゃった。
現実離れした服でも美人姉妹だと様になっている。陽葉はコスプレは見られても構わないのね?
「さすが……お世辞抜きでかわいいわね。二人とも」
「へへ。ありがとうございます!」
「はい。泉はこれに着替えて?」
はにかむ陽葉の隣で未羊がビニールで包装された仮装セットを私に差し出す。
「いや、私は遠慮するわよ」
「松本家の恒例行事だからねー、来たからにはほぼ強制参加だよ?」
「は? 聞いていないんですけど??」
じぃー。
未羊と陽葉から期待の眼差しを向けられる。
「はぁ」私が溜め息を溢すと、二人は隣の陽葉の部屋に移動して私一人をこの場所に残した。
彼女達の熱い視線に負けた私は仕方なく衣装を着用し、陽葉の部屋を訪ねる。
「私、なんでもっと断らなかったのだろう……? 下、すごく短いし……」
全身漆黒のポンチョを身に纏い、今だけ髪を解いた頭にコウモリフードを被って二人の前に登場した。私はヴァンパイアの仮装だ。両脇のマントを広げ、改めて自分の衣装に目を向ける。ここまで恥ずかしくなるとは思っていなかった……。
ふと、シスターに顔を上げると、彼女は右鼻から赤い液体を垂らしていた。
「未羊! あんた、鼻血!」
「え……?」
未羊は自分の鼻に手で触れてようやく気がつく。
「ちょっと、大丈夫なの?」
私が近づくと、未羊は片手で鼻を押さえて数歩後退りながら言う。
「来ないで……。逆効果だから」
「え? なんで?」
疑問に思っていると、魔女まで両手で鼻を押さえながら、
「あ……ごめんなさい、私も血が……」
「怖い怖い。吸血鬼だから私に吸え、って言ってる?」
これも仮装の演出なのかと疑ってしまいたくもなる。
それから、松本姉妹は血が垂れた鼻に丸めたティッシュを詰めると、パシャパシャとヴァンパイアをスマホで撮影し始める。
「あんた達、どうせならもっと可愛い人を撮りなさいよ」
「え? 泉って気づいていないだけですごく美人だよ?」
「はい! 美人です!」
「二人してからかわないで!」
全然似ていないかと思えば、なんだかんだで息が合っているじゃない。
鼻血が治ってくると二人も被写体になり、ツーショット、スリーショットを撮っていった。
始めは羞恥心が勝っていた私も、途中から三人で過ごす楽しい時間の方が強くなっていった。
ただ……どうしても突っ込みたい点がひとつある。
「ねえ? 絶対に松本家恒例行事じゃないでしょ? 私が来たからでしょ??」
「「へ??」」
姉妹揃ってとぼけないで。
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