第5話 羊が眠れる理由

 未羊と再会して三回目の月曜日十六時を迎えた。

 隣席に座る現在の未羊は、とりあえず起きてはいるが、時折、瞼を擦る仕草をしている。


「何気に聞いたことがなかったけど、どうして、いつもそんなに眠たいの?」

「…………うん?」


 大分遅れてから振り向いて、それだけ返事が来た。眠たくてそれどころじゃないことが伝わる。


「ごめん。やっぱりいいわ」


 特に大事な話でも無かったので話を切り上げた。

 間も無くして、未羊は睡魔に流されるままに眠り、体が徐々にずり落ちていく。幸い、座席から外れたりはしていない。


「今日は、横じゃなく縦に下がるのね……」


 慣れてきたのか、これまで眠る彼女を見てきた私はそんな独り言を呟く。

 かと思いきや、すぐに頭も私に向かって倒れ込み、私と未羊の間に挟まるリュックに乗っかった。そういえば、今日は無意識でリュックを横に置いたから私の肩に触れることはないのだと今になり気がついた。

 定番化してきたシチュエーションにやや物足りなさを感じるも「そんな気持ちでは駄目だ」と冷静になり、


「しーせーいっ」


 未羊の肩を軽く前後に揺らすと彼女は思いのほかすぐに目を開けて、体勢を整えた。効果があったようだ。

 未羊の寝相に「相変わらず睡魔に操られているな」と呆れる一方で、今日こそ彼女を毅然とした態度で起こせたことに満足する。

 これよ。これが本来の私の役目なのよ。

 ふと、窓に目を向けると、いつもの帰り道の風景が流れている。

 前回の電車で寝過ごしてしまったので不安になって現在地を確認してみたけど、今日はさすがに問題なかった。


「泉、リュック開いているよ?」

「えっ、嘘?」


 突然、未羊からそんな指摘をされて、視線を未羊、リュックの順に移す。彼女の言う通り、右隣に置いたリュックのチャックが半分ほど開いていた。


「わ。ほんとだ……。さっき慌てて学校を出たからだ」


 すぐにチャックを閉める。しばらく開けた状態で過ごしていたのだと思うと恥ずかしくてならない。

 私としたことが…………いや? 実は自分は大してしっかりした性格ではないのでは?

 未羊と再会してからの私は、ドジは多いし、流されやすくなっている気がする。




 四時五十分頃。屋内を抜け、ほんのり青色と茜色のグラデーションに染まる夕空の下を私達は歩く。


「泉っ」


 ふいに隣の未羊が嬉しそうに体を寄せ、私の腕にぎゅっと自分の腕を絡ませる。

 未羊の柔らかな膨らみが触れるけれど、彼女はそんなことお構いなしの様子だった。


「ちょっと……恥ずかしいってば」

「金曜日、私にくっ付いて眠っていたじゃない?」

「あれは、未羊がふかふかで寝心地よかっただけで、それとこれとは別!」

「そんなに変わんないと思うけどな〜」


 ニヤニヤと覗き込む未羊に私は言いくるめられていた。

 こうやって、未羊はたまに積極的に体を密着させるけれど、どうしてそんなにスキンシップをとるのだろう?

 付き合ってもいないし、そもそも女子同士なのに、まるで、恋人みたいなことを……。


 未羊と別れて自宅の自室に到着した私は、まずはリュックの中身の整理を始めた。

 その時、中から"ある懐かしいもの"を発見して手に取った。

 先頭に羊の顔を描いた白くモコモコな生地のペンケース。未羊の私物だ。


「これって……あの時の……?」


 強く記憶に残っているペンケースに対して、そう呟く。

 それにしても、自分のペンケースと合わせて未羊の物まで持ち帰ってしまうとは。またもドジ発生か。明日、学校で早い内に未羊に返さなくてはならない。


「……でも、間違えて持ち帰るタイミングなんてあったっけ?」




 翌日、十月三十一日の学校にて。


「泉ー、数学の小テストいくつだった?」

「ごめん、ちょっと急ぎの用事があるから後でー」


 二限目の休憩時間に入った所で友達に話し掛けられるも、私は断ると教室を後にして、未羊が属する二年六組へと向かった。


「今度こそ返さなきゃ」


 昨晩、授業開始前には羊のペンケースを返すよう未羊に連絡をしたが、登校してすぐにホームルームが始まり、一限の休み時間には友達と英語の小テストの結果を見せ合う流れになってしまい、今になってようやく時間が取れた。朝に会えなかった際にメッセージを入れたら「いつでもいいよ」と返ってきたので、おそらく筆記用具を代用しているのだろうけど。

 しばらくして気づいたのだけど、十月の最終日にして、未羊と学校で会うのは何気にこれが初めてだ。今まで、相変わらず校内で遭遇することも無ければ、お互い学校で会う約束もしていなかったし、下校の待ち合わせ場所に本校を指定することも無かった。ようやく、だ。何が「下校の時にしか一緒に居られない運命かもね?」よ。

 高校での未羊の様子は、ずっと気になってはいた。やっぱり、ダラけているのだろうか。


 階段を上って右へ曲がり、二年六組の前に到着。怪しまれないようにガラス窓の隅から教室内を窺うと、私の位置から近い場所で女子三人と会話している未羊を発見した。なんだかいつもと雰囲気が違う彼女が気になって、つい、耳を澄ます。


「未羊ちゃん、英語の小テスト満点なの!?」

「確か、昨日の数学も満点だったよね?」

「転校生は優等生だったか〜」

「いえいえ……! そんなそんな」


 女子に囲まれて持て囃される未羊は恥ずかしそうに、それでいてお淑やかに顔の前で両手を横に振る。声も表情も普段みたいにぼんやりしていない。未羊の中に別の人格が入っているかのようだった。


「嘘でしょ……? あれが、未羊……?」


 彼女は、クラスで優等生として扱われていたのだ。

 しかも、小テストは二教科とも満点。かつてはおバカ系だった未羊の成績は、いつの間にか爆上がりしている。

 私もクラスの上位を保つぐらいには勉強に自信があったのだけど、非常に悔しいことに、会話にあった英語と数学の小テストでは普通に未羊に負けている。真面目に授業を聞いていれば頭が良かった、と言うことか。

 あの未羊に、私が……。

 未羊から今までで一番の衝撃と屈辱を受けていると、彼女は一瞬だけ私の視界から外れ、教室から出て、そうして私の目の前に来て立ち止まる。


「どうしたんですか、覗き魔さん?」


 わざとらしくニコリと首を傾げる(普段は)爆睡魔さん。

 学校での落ち着いた振る舞いで馬鹿にされた気がして腹が立った私は、彼女の耳元に、冷ややかに、


「帰りの電車であんたのほっぺた思いっきり引っ張ってやるから」

「ご、ごめんなさい……」


 未羊は引き攣った笑顔をこちらに向けて言った。

 今、ここで出来ることならそうしたいけど、人が多い場所でクラスの人気者に乱暴をすればいじめられそうなので、それは諦めた。


「はい、これ。遅くなったけど」


 私は片手に持っていた羊のペンケースを未羊に返す。


「ありがとう」

「あんた、学校では羊と言うより猫を被っていたのね」

「え〜、ひどいなぁ」


 とか言いつつも嬉しそうな顔をする未羊だった。

 本人には伝えなかったけれど、未羊は知らない内に私をも超えて急成長していた。




 そうして、下校時間になると、今日も未羊と横に並んで最寄駅までシートに背中を預ける。

 数分ほど、眠らないもののお互い言葉を交わすことなく静かな帰路を過ごしている時、私は気になっていたことを思い出して彼女に話し掛ける。


「あのペンケースって、未羊が小学校を転校する時に私がプレゼントした物よね? まだ使っていたの?」


 しかも、だらしない印象が強い未羊にしては当時と変わらずに綺麗なままで、とても丁寧に使ってくれていることが分かる。


 今から六年前。

 小学五年生の私は、転校することになった未羊のお別れ会が開かれた日の学校の帰り道に、未羊にあの羊のペンケースをプレゼントした。

 桃色のラッピング袋から中身を取り出した幼き日の未羊が呟く。


「……羊?」

「未羊っていっつも寝ているでしょ? あと、見た目がふわふわしているから羊」

「嬉しい。ありがとう」

「別にっ……褒めていないわよ?」


 微笑む未羊に、幼き日の私はぷいっと顔を逸らす。うわ……何よこの典型的なツンデレ。

 そして、彼女の家の前に着いた時、


「じゃあ、また……えっ?」


 マンションの部屋に戻ろうとした未羊はぐすぐすと泣く私に気づくと、そばに寄って、やさしく背中を撫でてくれる。


「泉ちゃん、泣かないで……?」

「泣いてなんかっ……ぐすっ……だって、危なっかしい未羊をお世話できる子がいなくなったらっ、未羊がいじめられるかもしれないじゃないっ……! わああぁぁん……!」


 小さかった私は、大粒の涙を零しながら、たくさん泣いた。陽だまりのような温もりに抱きしめられて。ああ、あの頃は「泉ちゃん」って呼んでいたっけなぁ。

 だらしない未羊への心配を理由にしているけれど、当時の私は、未羊以外で仲良くしていた子がほとんど居なかった。彼女への不安も嘘じゃないけど、素直になれなくて、本当は、すごく寂しかった。


「大丈夫。私、頑張るよ。ペンケース、ずっと、大切にする」

「うんっ……」


 ……あれ?

 そっか。私、寂しかったんだ。




「これからも、ずっと、使っていくつもりだよ」


 隣に座る未羊は私に微笑んで答えた。

 純粋に、嬉しかった。


 それから五分も経たない内に、気がつけば未羊は瞼を閉じていた。一度、目を離して二分後に再び様子を窺えば、彼女は私に体重を預け、小さく口を開けている。あっ、また、よだれが……。

 まったく。と、私は、安定して無防備に眠る未羊の目を今日も覚ましてみせようと心に決める。

 ……いや。

 未羊は、ただただ眠たくなるんじゃない。

 今日のクラスでの様子を見て分かったけど、未羊は、学校では真剣に授業に取り組んで優等生として振る舞う分、放課後の気が抜ける場所では溜まった疲れが開放してしまうんだ。

 そんなことも知らずに、私は、だらしない未羊にしっかりしてもらいたいと彼女の世話を焼くことばかり考えていた。

 もう、私が知る、あの頃の未羊とは違う。

 自分だって、この子と同じでよく疲れたりするんだ。これからは、どうしてもじゃない限りは、なるべく起こそうとしないで静かに寝かせてあげよう。そう決めて、口元に滴るよだれだけハンカチでそっと拭うと、以降は大人しく電車に揺られた。


「……あれ……?」


 自然と、視界が狭くなっていく。こっちにまで眠気が移ってきた。

 コン。

 未羊に頭をくっ付け、私も彼女と一緒に睡魔に身を預けることにした。


 まあ、この先は、お恥ずかしいことに王道展開になるのだけど……




「どこ!! ここ!!??」


 暗くなり辺りがほとんど見えない、しかし記憶にはない駅のホームが座席の窓に映っている。

 目が覚めた時には、電車は全く知らない駅に停まっていた。

 確認した所によると、どうやら、ここは終点らしい。

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