第26話 眠れるクリスマス

 一瞬、頭が真っ白になった。

 悲しい話なんじゃないかと少しだけ覚悟はしていた。だけど……未羊がまた引っ越してしまうなんて、今まで考えてもみなかった。

 しかし、そう言われれば、納得がいってしまう。

 これまでにも未羊は転校が多かった。

 冷静に考えれば有り得る話。松本家は、転勤族なんだ。

 それにしたって、来月なんて、いくらなんでも突然すぎる。

 どうしてだろう。やっぱり、これから始まるという時に、みんな、私の前からいなくなる。まさか、未羊まで……。

 いやだ。認めたくない。

 私は思わず立ち上がり、未羊に詰め寄った。


「そんな大事なこと、どうして、もっと早く伝えてくれなかったの!」

「ごめん、私も、つい昨日聞かされたばかりだったから……。たぶん、私達に納得してもらう為に直前に伝えたんだと思う」


 未羊は座ったまま比較的冷静に答える。


「じゃあ、未羊と陽葉二人でここに残るっていうのは? ほら、この前も両親不在で一緒にお泊まりしたじゃない? 私も頻繁に会いに行くから、だから──」

「泉」


 未羊が突っ走る私を制止するように名前を呼ぶ。私が黙り込むと、


「ごめんね。本当に、ごめんなさい」


 丁寧に、控えめな口調で謝った。未羊は、大人しく現実を受け入れたのだろう。

 これは決まった話なんだ、と、突き付けられた気になる。

 わかってる。他人が、でしゃばり過ぎだって。

 それでも……

 離れて行く未羊を止められないと分かった途端、涙が溢れ出した。反射的に両手で目を覆い、啜り泣く。

 未羊が悩む間もなく私の前へ来て、この身を抱きしめる。


「どうしてっ……ぐす……どうして、こんなことばかり……」

「やだやだ、泣かないで……。私も、泣いちゃいそうだから……」


 慌てながらも優しく笑う未羊の声が、震えていた。

 泣けばいいのに。そう言おうとしたけど心に留めておいた。


「私のそばから消えない、って、言ったばかりなのに……。いやだよぉ……」

「約束、破っちゃってごめんね。でも……すぐにまた、会えるから」

「わかんないじゃん……」


 未羊はそっと背中を摩って私を慰める。

 また子どもと母親のような立ち位置になってしまったけれど、感情を抑える余裕がない。


「私も、同じだよ。新しい場所で馴染めるかもわからないし、この町が大好きだから、ずっと、ここにいたい……」


 未羊も本心を打ち明けた。声はずっと変わらず、震えたまま。

 それでも、結局、未羊は泣かなかった。

 やっぱり、私が特別悲しんでいるだけなのかな。

 やっぱり……私の片想いなのかな。


 あの後、私は、しばらくして泣いて困らせたことを未羊に謝罪し、最後に時間を掛けて現実を泣く泣く受け入れてから解散した。

 翌日以降、私は、未羊に断りを入れて、一人で登下校した。来月には離れ離れになってしまう好きな子と今まで通りの平日を過ごすのは、つらくなりそうで勇気がなかった。学校が冬休み前最後の週だったので、未羊との登下校は、涙の月曜日が最後となった。

 未羊への想いを伝えようか悩んでいた所に引っ越しの話が乱入したので、告白は諦めた。

 私は、あの日以降、無気力な日々を送っていた。




 十二月二十二日、金曜日。

 とうとう学校最終日となった今日も、泉と一緒に学校に行けなかった。泉から連絡がなく、私からも誘いづらくて、そのまま一日を終えた。

 さすがにちょっと悲しくて、自然と俯きがちに帰路についていた。

 玄関扉を開けると、


「おかえり……うわ、暗!」


 リビングから顔を覗いた陽葉が私を見るなり驚く。


「あぁ……やっぱり、陽葉も今日は帰り早いんだね……。冬休みだもんね……?」

「いやそんなことはどうでもいいから。ついに、今日も泉ちゃんと登下校しなかったんだね……」


 陽葉が玄関前に来て、私を見ながら同情する。

 すると、陽葉は一変して、どこか楽しげに言った。


「そんなお姉ちゃんに速報です」


 暗い空気に合わない言葉に、私はしばらく俯いていた顔をのそっと上げる。


「イブの日だけど、私、ここで友達とパーティーするから、お姉ちゃんはしばらくどこかへ行ってて?」

「えぇー、ひどい……」


 何かと思えば突き放すような発言が飛び出た。落ち込む私に更なるダメージを与えてくれる。


「あーもう、そうじゃなくって! お姉ちゃん、察しの良さと容姿と包容力だけが取り柄なんだから分かるでしょ?」

「陽葉……」


 私としたことが。本気にしてしまった。

 あれは、彼女に会えなくて落ち込んでいる私へのさりげない気遣いだったんだ。

 ……でも、


「いっぱい褒めてくれるんだね。やっぱり良い子だ」

「違う! いや、全部本音だけど今伝えたいことは違くって!」

「わかってるよ。陽葉は優しい、ってことだね」

「もぉー」


 ようやく口角を上げて頭を撫でると、陽葉はしょうがなさそうに受け入れた。

 それでも、私は申し訳ない思いを乗せて陽葉に言った。


「……でも、相手は、その気じゃないんじゃないかな」

「後悔、してもいいの?」

「したいわけないよ。だけど……」


 この場では、結局、決断できなかった。

 会いたい。けど、わかりやすい性格の泉なのに、引っ越しの件を告げて以降の彼女の考えていることはよく分からない。

 何が正解なんだろう。




 十二月二十四日の夕方四時。

 街は「クリスマスイブ」だと浮かれているが、私にそのような予定はなくて、ベッドで仰向けになってただ呆然としていた。

 イブの日にこんな鬱屈とした気分だなんて、一年前の私が知ったらチキンを片手に仰天するだろう。

 その時、ミニテーブルに置かれたスマホが断続的に振動を鳴らし始めた。ベッドから降りてスマホを手に取り画面に表示された「陽葉」の文字を確認すると、応答する。


「もしもし?」

「泉ちゃん? 突然だけど、今日って予定空いてる?」


 陽葉が告白以降からの砕けた口調で私に訊ねる。その人懐っこい喋り方は思ったよりも早く馴染んだ。

 しかし、こんな日が沈み始めた時間に本当に突然だ。それに、吹っ切れたはずの陽葉がイブの予定を聞いてくることが驚きだった。


「いや……うん。空いていなくもないけど……」


 予定はないけど予定を埋める気力もなくて、曖昧な返事をする。


「よかったぁ! じゃあ、せっかくのクリスマスイブだし、ぜひお姉ちゃんを誘ってくれない?」

「えっ……? どうして?」

「お姉ちゃん、泉ちゃんと会いたいはずなんだけど、自分から誘う勇気がないみたいで。だから、泉ちゃんが積極的に連れ出してよ」


 お節介を発動する陽葉からの意外なお願いに、私は無言になり考える。

 私だって、未羊に会いたい。

 だけど、会ったら、引っ越しのことが頭に浮かんで悲しくなりそうだし、未羊への恋愛感情を隠したままイブを過ごすのは違う気がした。


「ごめん。私も会いたい気持ちはあるけど、ちょっと厳しいかも」

「時間も、会いたい気持ちもあるのに、厳しいの?」


 陽葉の純粋な疑問に言葉が詰まっていると、


「もしかして……私達が、もうすぐ引っ越しちゃうから?」


 私が踏み出せないでいる原因を的中させた。

 私は、尚更何も言えなくなる。さっきから自分の弱さを突きつけられる。

 その時、


「泉ちゃん、何か言ってよ!」


 陽葉の声が強く耳に響いた。中学生の女の子に本気で怒られている。いや、陽葉が相手だと年齢なんて関係なく思える。


「私、嫌だよ。泉ちゃんの臆病で、お姉ちゃんが最後まで泉ちゃんに会えないままお別れするの……」


 陽葉の声が途中から震え出す。

 しかし、その声量は次第に再び強くなっていき……


「泉ちゃんは、本当に、それを望んで言っているの? 大好きなお姉ちゃんに何も伝えられないまま、離れ離れになってもいいの!?」


 瞬間、私は、目を覚ました。

 小学二年生のある日、塞ぎ込んでいた私に女の子が天使のような笑顔で話し掛けてくれて、クラスで初めて友達が出来た。その日から、私は彼女に夢中になって目で追っていた。いつもふわふわしていて、よく眠る姿はまるで羊のように愛らしい。

 五年生のある時、女の子の転校が決まり、すごく悲しかったけれど泣く泣く受け入れた。六年後、私達は運命的な再会を果たし、たった二ヶ月なのに彼女の新たな一面をたくさん見つけた。私をいじって楽しむお茶目な所、そのくせサービス精神が旺盛な所、真面目に勉強すれば実は頭が良かったこと、そうなるまでに相当な努力を重ねていたこと。

 思えば、初めて会ったあの日から、ずっとそうだったんだ。

 ずっと、松本未羊のことが好きだったんだ。

 この想いを秘密にしたまま離れ離れなんて絶対にできない。

 伝えなきゃ。ううん? むしろ、今、すごく伝えたい気分だ。

 早く、未羊に会いたい。


「陽葉、ありがとう。私、今から未羊に会って来る!」


 逸る気持ちを抑えられずにそう宣言すると、


「応援しています!」


 陽葉から改めて背中を押してもらい、通話を終了した。

 私はすぐにクローゼットを開き、白シャツと紺のジーパン、そして黒色のウールのロングコートで大人っぽいコーデを完成させると、鞄を持って飛び出すように部屋を後にした。

 イブの日の外は、日没を始めていて薄暗く、街灯や多くの家が光を照らしている。

 私は、気がつけば、未羊に連絡も入れずに松本家を目指して走っていた。

 マンションの付近まで来た、その時。

 数メートル先に、遠目でも分かる、クリーム色のミディアムヘアの美少女を発見する。未羊だ。

 思わず速度を高めて彼女の前に着くと、目を丸くして私を見つめる未羊に訊ねる。


「どうして、ここに……?」

「陽葉から『家に友達がたくさん来るから外へ出て』って、この着替えを渡されて、それで……」


 自分の服装に視線を注ぎながら未羊が言う。ピンクのハートを右下に大きく描いた白いウールのセーターと黒のミニスカートで女の子らしく仕上げている。

 おそらく、私と未羊を鉢合わせる為の陽葉の作戦なのだろう。それで、おしゃれまでしているのだ。


「泉こそ、どうして……? こんなマンションの近くに……」


 未羊にそう聞かれ、私は、決断する。


「どうしても伝えたいことがあって、未羊に会いに来たの」


 緊張と未羊を目の前にしたことで涙腺が刺激されるが、自分に強く言い聞かせる。

 今だ。ここで、未羊に九年分の想いを伝えるんだ。


「私、ずっと前から、未羊のことが好きだった。でも、当時はまだ小さかったし、いつも一緒に居たし、他にも色々あって、つい先日まで自分の感情に気がつかなかった。だから、自分でもビックリしてる。遅くなってごめんね」


 言い訳がましい上に緊張で棒読みっぽくなったけれど、一度、深呼吸をして整えてから続ける。


「見た目通りの物腰の柔らかさや愛らしい仕草が魅力的で、最初に話し掛けてくれた時から、いつの間にか目で追っていた。再会してからも新たな一面をたくさん知って、もっと心が惹かれたの! 大袈裟じゃなく羊の天使みたいな……そんな未羊が、私はずっと大好き!!」


 感情が高まって少し恥ずかしいけど、悔いはない。未羊に、しっかりと想いを伝えられた。

 未羊は、心なしか驚いた調子で口を小さく開き、静かに私の告白を受け止めていた。

 その時──


「えっ……嘘、嘘嘘。…………夢みたい……」


 私は、思わず目を見張った。

 未羊の大きな瞳から、透明な宝石のような雫がぽろぽろと零れ落ちていく。一粒一粒が大切なもののように感じられて、目が離せない。

 驚きの光景に、私の溢れそうになった涙は止まった。

 未羊が、泣いている。

 未羊は早足で私に身を寄せると、力を込めてぎゅっと抱き着く。


「ずっと……ずっとずっとっ、こうなる日が来ることを望んでいたのっ……! 泉も私のことを好きでいて、いつか泉から告白されないかな、って……夢みたいなことを思っていた。だから、つい、誘惑してみたりして……。可能性を感じた時もあったの。それでも、私達は女の子同士だし、自分の勘違いかな、理解してもらえないんじゃないかなって、不安だったっ……!」


 未羊が泣きながら吐き出す秘めた思いが、これまで私が隣で見てきた彼女の顔と重なる。

 未羊は、私が知らない複雑な感情を抱えていつもそばに居たんだ。

 今日だけは泣くまいと、私は、未羊の背中を力を込めて摩る。

 少しして、私の体から離れて、


「小学生の頃から気になってはいたけど、再会した時に確信したの。危なっかしい私を守ってくれる、強そうに見えて実はかわいい泉に恋をしているんだって。私もっ……泉が、ずっと大好き……!!」


 未羊は、告白の返事として、私に抱く想いをありのままにぶつけた。

 勇気を出してよかった。

 私達は、お互いが気づいていないだけで両想いだった。

 その事実が嬉しくて、しかし未羊がもうすぐ居なくなってしまう現実を突きつけられ、ついには私の涙腺も崩壊した。

 二人して目尻に涙が浮かぶ顔を見せ合い、


「未羊がこんなに泣く所……初めて見た」

「泉は人のこと言えないでしょう?」


 そして、笑い合った。

 未羊がそっと瞳を閉じたのを見て私も目を瞑ると、未羊の唇に向かって顔を寄せる。前回と変わらない、蕩けるような質感。少しだけ違う点は、あの頃以上に未羊を意識してしまっていること。




 私達は、指を絡ませながら手を繋ぎ、すっかり暗くなった町の中を歩いている。

 道中にある数々の一軒家が照らすイルミネーションに「綺麗だね」と口にしながら一ノ瀬家に向かっている、そんな時だった。


「泉、ちょっと電話が来たから一度手を離すね?」


 私が頷くと未羊は手を離し、鞄からスマホを取り出して応答した。

 自然とお互い足を止めて通話を待機していると、しばらくして未羊が私に向き直る。


「お父さんの転勤がキャンセルになって、引っ越しの件も、無しになったみたい……」


 未羊は、ぽかんとした表情で私に告げた。


「えっ……!? 嘘!?」

「本当……本当だよ! 泉! 声が明るかったから、お父さんからしても悪い話じゃないのかも!」

「よかった……。うん、本当によかった!」


 次第に状況を理解した未羊と一緒に大喜びをした。絶大な安心感が押し寄せてきて、また泣きそうになった。

 ……でも、これこそ冷静に考えてみれば有り得る話かも。数ヶ月程度で住まいを変えるのも大変なことよね。




 恋人同士のクリスマスイブはあっという間で、未羊と私は、消灯した部屋の中、お揃いのパジャマ姿で同じベッドの中にいた。

 急遽交際に発展して一ノ瀬家で二人きりのパーティーを開催して一夜を明かすことになったので、未羊に私のパジャマを貸してあげたのだ。

 一夜を明かす、とは言っても、今日の二人に疚しい意味はない。


「チキンもケーキも美味しかったねぇ」

「クリスマスだからって、ちょっと食べ過ぎたかも……」

「私の七月十七日と泉の十月十一日までご馳走はお預けかな。なんて」

「未羊も、私の誕生日、覚えてくれていたんだ」

「もちろん。しばらく先だけど、絶対にお祝いしようね?」

「うん」


 日を跨ぐ前にして未羊も私も眠たくなってきたので、ただ、体を寄せ合い睡眠という欲に身を委ねるだけ。


「おやすみ。泉」

「おやすみ。未羊」


 こうして、私達は私達らしく、夢の中で、クリスマスの日を迎える。

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眠れる羊は世話焼きJKの口を塞ぐ 小林岳斗 @10212136

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