第19話 新しい学校のルーティーン
週が明けた十二月最初の月曜日の朝。凍てつくような寒さにベッドや家から出る時は覚悟を要した。
こんな時間、普通なら憂鬱に感じてもおかしくはない。しかし、今の私は、この時を少しだけ楽しみにしていた。
「おはよう〜、泉」
「おはよう。未羊」
いつもの小さく栄えた最寄駅の前で、私は未羊と待ち合わせた。今日から下校に加えて登校も未羊と一緒にすることになり、それが想像以上に私の気分を明るくさせていた。
同じ最寄駅ではあるものの、今までは私の乗車時間が一本早かったらしく、鉢合わせることがなかった。始業時間も二人一緒だというのに、なんだか不思議だ。次の電車でも間に合うと知り少しでも睡眠を確保したいことから、とりあえず未羊が普段乗る七時三十五分に身を任せることにした。発車時刻の十分前に集合したので現時点では余裕がある。
「ん、泉、いつもより顔色が優れているねぇ」
「そう?」
まじまじと見つめる未羊に少々照れながら答える。テンションが顔に表れていたのだろう。
改札口を通り、帰宅とは反対側のホームへ行くと、何となく下校時と同じ三両目の乗車位置で二分ほど待機してから到着した快速列車に乗る。そして、下校時同様に突き当たりのロングシートの右端に未羊、隣に私が座ると、すぐに列車は右に揺られた。
朝から未羊とホームで並びお馴染みの席で学校を目指す。新鮮な状況に微かに私の胸は躍っている。
「それじゃぁ……おやすみ……」
「『おはよう』を交わしてから数分しか経っていないわよ」
ゆりかご効果なのか蕩けた顔付きをする未羊の瞳がそっと幕を下ろしていく。
「改めて思うけど、この駅の時点では乗客がほとんど居ないから救われるわよね」
「…………」
「…………」
無反応だった。代わりに健康的な寝息を立てている。
もう夢の中にいってしまったのか。放課後の時みたいに徐々に眠りに落ちていくような流れはない。一瞬だ。朝の未羊はいつもこんな感じなのか。起床したばかりだろうから無理もないけど。寝付きにくい私からすれば少し羨ましい。
どうせ起きないと思い未羊に体を寄せて肩にそっと頭を置くと、冬にも関わらず暖かくて心地が良い。
眠たい時って体温が上昇する気がするけれど、未羊が暖かいのって、そういうことなのかな。
「……はっ。今、どこ??」
眠りから覚め、急に絶大な不安が押し寄せてくると、いつの間にか未羊の肩に埋まっていた顔を慌てて上げる。寝過ごしてしまったかもしれない。
すると、未羊がすっきりとした表情で笑いかけ、
「大丈夫だよ。もうすぐで到着」
「はぁ……よかったぁ」
睡魔から解放された様子の未羊を見て心から安堵し、思わず未羊の肩に後頭部を預ける。二回目だ。
乗客は明らかに増え、席の埋まり具合からか立っている人もちらほら居る。この様子だと、確かに目的の駅まであと少しだ。
「泉、最近、よく眠るようになったね」
「喜んでいいのか焦るべきなのか、分からないわね……」
「寝付けるようになったんだし、良いことだよー」
それもそうか、と納得する。
だらしなくはなりたくないけど、休息したい時に睡眠を取れる未羊を羨ましく感じていたのは事実だから。
「未羊は、頼もしくなったわよね」
「ありがとう。朝まで寝過ごしたら、さすがに遅刻常習犯だからねぇ」
「本当、その通りね」
その時、まもなく学校の最寄駅に到着するというアナウンスが車内に響き渡り、私達は停車したタイミングで席を立つと、開かれた扉から未羊を先頭に降りた。
そうして、
「さあ、こっから頑張るよっ?」
未羊は私に振り向くや否や清々しい表情で言うと、定期券をかざして勢いよく改札口を駆け抜けた。まじでさっきの眠気どうなった。
「頑張るって何!? 何も聞いていないんですけど!?」
とりあえず走り出した未羊を追いながら叫ぶ。
まさか、駅から学校まで全力疾走することを想定した上で電車を一本遅らせているのか。「もう少し寝ていたい」とかそういう理由で。嫌な予感を抱き、時刻も確認せずにとにかく走り続けた。
慣れているのかまったり羊系女子とは思えない速度で学校へ向かっていて、体力がない私は走り始めてすぐに息を切らしている。あなた、こんなボーイッシュなキャラだっけ。脳も足も追いつかないよ。
激しい呼吸と背中に感じる外気によって冷えた汗に気持ち悪くなりながら正門を潜り抜けると、中腰の姿勢で膝に手を置いてぜーぜーと息を吐く。
「あんた、はぁ……見た目に反して体力あるのね……はぁ……」
「習慣ですから。あと三分しかないから急ぐよ?」
未羊は誇らしげに腰に手を当てて言うと、私の体力など気にする素振りもなく小走りで教室を目指す。寝具のCMがよく似合う彼女は今だけスポーツドリンクのイメージキャラクターのようだ。
風邪を引いた時はすごく心配してくれたのに……。それとも「あなたの限界はそんなんじゃない」などの根性論でも持っているのか。優等生にまで成り上がった彼女なら有り得なくもない。
逆算もしないで未羊に任せてしまった自分にも責任はあるわよ。けれど、最寄りから学校まで猛ダッシュするなら一言伝えなさいよ。
ふらふらした足取りで未羊に追いつき制服の袖を引っ張る。振り返った彼女に、
「明日からは……一本早い電車で行くわよ……」
「え? でも、もっと寝てた──」
「絶対に……絶対に、だから……ね?」
「……はい」
無意識に圧がかかったからか、未羊は押し切られるように納得してくれた。
遅刻は、免れた。
帰り道も、いつものように未羊と駅のホームで合流すると通常通りの時刻の電車に乗った。
これから今日みたいに未羊と行き帰り一緒に居られることは嬉しくも緊張もしている。仲良しの幼馴染と今までよりも長く時間を過ごすだけなのに、どうして心臓がドキドキするのか。登校に誘った時もそうだ。
かわいいから……? そうだ。たぶん、幼少期のお人形のような容姿がボンキュッボンのゆるふわ美少女へと成長を遂げたことで変に意識してしまっているのだ。
などと納得した直後、未羊は私にこう言った。
「泉、駅に着いたらコンビニに寄らない?」
「いいけど、何か欲しい物があるの?」
「これからのおやつは、近所のコンビニやスーパーで買い物をしておうちカフェにしよう? 好きなスイーツを調達してもいいし、時間がある日は手作りしてもいいし!」
未羊はにこやかな笑顔でそんな提案をした。
目的はドーナツ屋の閉店以降のおやつ時間を新たに決めることだろうけど、お別れに気が沈んでいる私を元気づける意味も含めて楽しい提案をしてくれたのかもしれない。
「そうね。それが一番だと思う」
「やった〜」
と、まったり平和な会話に気づけば緊張はほぐれていた。のも束の間、
「そういえば、土曜日の陽葉とのお出かけ、どうだった?」
未羊の次なる問い掛けに再び胸がドキリとした。
だって、どうしても、別れる直前の"あの瞬間"が頭に浮かぶから。
正直、最初は訳が分からなかったけれど、後になって、実は私に"好意を抱いているのではないか"と思ってしまった。陽葉の恋愛対象を考えれば有り得なくもないから。でも、私達の関係性が「姉妹みたいな幼馴染」以外に想像できず、予感はすぐに打ち消した。きっと、私服で二人きりで遊んだせいで、その日だけ私が魅力的に映ってしまったという誤算だ。
とりあえず、その件は触れずに純粋な感想だけを口にする。
「すごく楽しかったよ。陽葉がかわいいカフェを紹介してくれたの」
「そっかぁ。楽しいなら良かった。ちょっと、色々と気になっていてね?」
触れなかっただけで確かに色々と気になる点はあるんです。
キスに限った話ではない。私を家まで送ってくれた日の夜、いきなり素っ気なくなったかと思えば一時間後にはキャラが変わったように私を遊びに誘うし、最近の陽葉の思考が読み取れないのだ。やはり、一番難しいお年頃なのか。
もしかすると、未羊はそんな妹の様子を知った上で私に話したのかもしれない。
少し経過して、電車は二人の最寄駅の手前までやって来た。
「さて、もうすぐで到着かしらね」
「ん……眠くなってきちゃった……」
「今!?」
未羊は右目を半分瞑り左目を擦りながらふにゃふにゃした声を上げる。
ちょっと待って今はさすがに違うわよ。あざとかわいくしてもダメ!
しかし私の願いも虚しく、未羊の頭は私の肩に預けられ、瞳は徐々に閉じられていく。
「久しぶりだし……たまには…………いいかもぉ……」
「いや、寝るのはいいんだけどさ、タイミング考えて〜!」
どうにか叩き起こして無事に降車すると、私達は駅付近のコンビニへ向かった。
さあ、どんなコンビニスイーツとお茶でカフェタイムにしようかしら。などと、想像を膨らませていたのだけど……
「……買い食い?」
「そうだね〜」
私達は、ほかほかの肉まんを手にコンビニ前で立ち止まっていた。
うん、いいのよ。全然。じゃなかったら断っているもの。だけど、スイーツを選んでレジ前に着いた途端に未羊が誘惑に負けて路線変更し出すと私まで影響されちゃって、気づけばただの買い食いになっていて、なんだか悔しいの。生地はふわふわでお肉の餡はジューシーで美味しいんだけど、でもね。
「今、失礼なこと考えていたでしょ?」
未羊が口端をくいっと上げて見つめる。しまった、バレたかな。
「この肉まん、未羊のほっぺたみたいでもちもちだな〜、って」
「そんなことは考えていなかったし、それは失礼の内に入らないから大丈夫よ」
よかった。全然バレていなかった。
あと、どちらかと言えば、頬というよりも…………胸?
「あー、それで思い出した。泉ってば、川野君のことを褒めすぎだよ? 人をうどん屋みたいに評価しちゃって」
「いつの話をしているのよ。あと、うどんじゃなくてラーメン……」
「どっちも変わんないよ。あーあ、私も泉をドーナツみたいに例えちゃおうかなー」
「それは、ちょっと嬉しいかも」
「ドーナツって実は油っこいんだよ?」
「遠回しに悪口言ってる、って受け取ればいい?」
未羊は「うそうそ」と楽しそうに言った。
まあ、カフェらしいかどうかは別として、こんな買い食いも王道の高校生みたいで悪くないかもしれない。
──しかし。
応援する約束をしたものの、所詮は口約束なのか、私はほとんど川野君の背中を押せないでいた。
未羊の過去に触れたりドーナツ屋の閉店に落ち込んだりとなかなか応援する時間を作れなかった。ただ、理由はそれだけではなく、彼には本当に申し訳ないけれど気力が湧いてこないのだ。
彼は、大人しいし健全そうだし、決して警戒を要する人物ではない。ないのだけど……心が、あまり成功を願っていないような。
非力な上に薄情な考えを抱いていることから、私は深く反省していた。
「本当にごめんなさい!」
翌朝。教室に着くや否や、前回と同様に川野君を階段前の廊下に呼び出すと、誠意を持って深々と頭を下げた。
顔を上げると、予想通り困惑する川野君に謝罪の理由を伝える。
「協力するって約束したのに、私、全然出来ていなくて……。川野君には悪いことをしたと思う」
「いや、いいんです。きっと、誰かに頼ること自体が甘えだったんですよ」
川野君はすぐに謙遜して答えた。
ひょっとして、私がちっとも応援しないから呆れてしまった……?
と、マイナス思考になっていた時だった。
「僕、今日のお昼休みに、松本さんに告白します!」
川野君は、炎を宿したような瞳で私を真っ直ぐに見つめ、そう言い切った。
想定外の発言に「えっ」と零す私。
非協力的なことが、かえって彼に熱を注いでしまったというのか。
「一ノ瀬さん、協力してくれてありがとうございました。それじゃあ」
「あ……待ってっ」
背中を向けた川野君が、呼び止めた私に振り返る。
え、私、何をしているの??
「……いや、大丈夫。ごめん、気にしないで」
「そうですか」
今、どうして、反射的に引き留めたのだろう。
不思議と、私の心が焦っている。
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