第11話 彼の近況に関して、わたしが憐れむ理由などございませんが
わたしたちの婚約は、公の儀式を済ませていない。
一応、春の園遊会が終わってからだと、父から聞かされたばかり。思いつきで『小姓』に扮していなければ、ここへ足を踏み入れることはなかっただろう。
衛兵の案内でわたしたちは、南北に渡る一本道が歩いている。白と赤茶の大理石が、不規則に靴音を奏でながら。
あと、どれくらいの距離を歩くべきなのか? 勝手な想像はヤメにしないと。足の速いジブリールさまに遅れを取らないように、わたしはひたすらもがき続けた。
「今年は早咲きのようだ」
「左様で……」
我が王国のみに咲く、青いマーブル模様の白薔薇が蕾をつけている。
「君もそう思うだろ? エリオル」
「は……はい」
歩みの遅い、わたしを気遣って下さるとは、感謝感激で頬が火照ってしまう!
「少し、ゆっくり歩こうか」
衛兵さん、ごめんなさいね。少しの間、ジブリールさまの演技につき合って下さるかしら。
己の立場も忘れて、薔薇に見入っていた時だった。
「あら、王甥殿下とあろうお方が、ここで何をされていますの?」
風に流された雲が雲頭上の光をおおう。地上の翳りをまとうような、冷ややかな気配と共にかの人はやって来た。
『カタリナ=オクシタニア』
波打つ黒髪を肩に流して、緋色の裾裳をたくし上げた美姫が、厳かな足取りで近づく。
反射的に片膝を石畳の上に置く。以前は感じなかった、冷ややかな気配は何だろうか?
「可愛いらしい子ね」
くっ……、年相応に見えないってことよね。
「祖母の古い友人の孫です。彼は」
「男の子なの? 全く見えないわね」
ジブリールさまのウソを見抜いている? そんな疑念を抱かざるを得ない、王女殿下の言葉尻が耳から離れない。
「では、参りましょう。小姓さんもいらしゃって!」
面を上げた先では、ジブリールさまが王女殿下をエスコートする。
美男美女の晴れ姿を、見届けている場合ではない! 立ち上がるよりも早く、わたしは二人の後に続いた。
王宮別館の二階は、側妃らと庶流の王子女が暮らしている。本来なら后腹のカタリナ殿下は、母后陛下と共に本館二階に居を構えていらした。
彼女たちが別館に移られた理由、代替わりのたびに、妻妾たちは本館を辞さなければならないため。国王陛下が退位目前で、病気療養を理由に南方に降ったのも、その一環なのだけど。
あいにくだけど、出口に近いこの位置からじゃ、王后のご容態を伺うのはムリみたいな……。何分、寝台が天幕におおわれているせいで、全く見えないわ。
それ以上に腹立たしいの。ジブリールさまったら、王女殿下との距離感が近すぎてよ! お相手はもうすぐ、帝国に輿入れなされるって、ご存知ないの?
母后ご実家のニエル侯爵家も、王太子の廃位に連座した挙句、一家離散の憂き目に遭われていて、慰めの必要があったとしても……。
『王后陛下の身のふり方にいたっては、十分な年金を保障した上で、王立女子修道院にて隠棲していただけるよう、議会がかけ合っているの』
世情に通じるローザの言葉を思い出す。万が一、動けないのであれば、別館で静養出来るように、議会にはかるべきかしら?
「母上も喜んで下さるはずですわ」
「滅相もございません」
涙ぐむ美貌の王女殿下をジブリールさまが慰めて差し上げる。こちらに近づく彼女が、ほんの一瞬だけど目尻を下げて微笑んだ。
あれ? 王女殿下だけど、こんな風に笑う方だった?
数年前、年始の挨拶のため、王宮に登城した記憶を頭の隅からゆり起こす。なんと言うべきか……あの当時と比べると、気性が全く正反対になられたような。
「そう言えば、トマスモア伯爵家のご令嬢のお体は?」
「エスメラルディーナ嬢は、実家にて伏せております」
んんん? そこ、ウソをついていいの! わたしは無言でツッコミを入れつつも、離れた場所から二人のやり取りを見定める。
「あの……母は、回復いたしますの?」
「心労が祟られたのでしょう。後で、薬湯を処方いたします」
「そう……。これから、お茶でもどうかしら?」
「また、別の機会に」
うんうん。そう来なくっちゃ! わたしのジブリールさまは。
「そうよね。春の園遊会は母上の名代で、わたしが取り仕切るの。その暁には、トマスモア伯爵家のご令嬢を伴って下さって!」
「御意」
ああああ……挨拶のためだと承知しているけど。その手っ! あゝ、ジブリールさまの唇は、わたしだけって叫んでしまいたいわ!
「ハンスはいる」
「ここに」
聞き覚えのある名前が、わたしの耳に届く。別の扉から姿を見せた相手。まさかまさかの再会……って。
あれ、ほんのりとアゴ先がたわんでいるみたいな?
「春の園遊会が終わり次第、わたしは輿入れしますの」
「おめでとうございます」
ジブリールさまの祝辞に合わせて、わたしは首を垂れる。
「従兄のハンスは、宦官として連れて行きますの」
それ、男性の生殖機能を取り除いた従僕のことよね。
「ニエル侯爵家のお取り潰しで、よるべのない彼を秘書官として連れて行くには、こうするしかなかったのよ」
怖……本人がいる前で、わざわざ言うことじゃないのに。
ぞわりと……身の毛がよだつの、多分、気のせいではない。
ハンスから発せられる、憎悪の眼差しを避けつつ、わたしはジブリールさまの背中を追いかけた。
ああ、思い出すだけでゾッとする。帰りの馬車が王宮を離れても、わたしは身慄いが留めを知らずにいる。
普通、あんな悍ましい発言、絶対に慎むべきだわ。
「あれが本性だとなると、帝国に嫁がせるのも如何がだろうか?」
「ジブリールさま」
数週間前までは、ご本人が乗り気ではなかったのだとか。
ううん……それよりも。
「ハンスが宦官になるとは」
「ああ、知っていた」
静かに足を組み直しながら、
「もっとも、報告は去勢手術の事後だったが」
ジブリールさまの口から、ことの次第がもたらされる。
「……」
「……」
それ以上、何も話すことがないまま、馬車は離宮への道を走り続ける。
うーむ、とてもじゃないけど……春の園遊会までって。
「エメル?」
ウソでしょ? 指折り数えるまででもない。
タイムリミットまで、あと、三週間も猶予がないわ!
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