第8話 ちょっとその前に、状況整理が必要です

 甘い、朝のひと時から一転、毒煙にあてられるなんて……。


 うん、『ついていない』以外のナニモノでもない。



「さっきから、浮かない顔だけど……」

「ローザ?」



 ジブリールさまと母の提案により、わたしはオーモンド公爵家に身を寄せることに。公爵家の迎えの馬車に、ローザが同乗するとは思わなかったけどね。


「少し、考えごとが……」


 亡き姉の身代わりで、ジブリールさまと婚約が叶った。否定したくない考えが、わたしの頭の中で靄と化してまとわりつく。



 兄セザールとは三つ、そして、亡き姉と兄の歳の差を数えると、わたしとは七つ違う。



 もっとも、物心ついた頃、わたしにとって『姉』とは、また従姉妹のマデリンしかいないから、いまいちピンと来ない。


「本当に大丈夫?」

「少しばかりめまいが。ああ、馬車を停める必要はないわ。多分、天気のせいね」


 対面に座るローザを制して、わたしは一呼吸、息を吸い上げた。



「もう少しの辛抱よ」



 小さな詩篇を開くローザがつぶやいた頃合いで、馬車が大きく揺れる。


「ありがとう。ローザ」


 車窓の景色が、大通りの賑わいから遠去かり、特徴的な街並みに入り込む。見慣れた館群の並びから、到着まで五分ばかりってとこね。


 さすが、公爵家のタウンハウスだわ。敷地を囲む鉄柵には、薔薇のつるが幾重にも絡んでいる。その隙間から覗く、シメントリーの庭木の奥には、小さな人影が並んでいた。



「本当に、助かったわ。ローザ」

「しっかりなさって! 未来の王妃さま」



 馬車はアーチ状の正門をくぐる。

「降りる準備、早くしないと」

 パタンと詩篇を閉じて、早速、身支度を整える。


 ローザは何一つぶれがない。その未来志向は、ぜひとも見習うべきよね。



「そんなに、気構えなくてもいいから」

「そう」



 多愛ないやり取りを交わす合間に、馬車が停まった。




「お帰りなさいませ」




 執事長から年少のメイドにいたるまで、一矢乱れもせず礼を示す。こちらがたじろぐくらい、圧巻の出来事にわたしは、前を向いて歩くだけ。


 ローザのように、『生まれ持った威厳』とやらは、無縁の存在だったから、取りつくろうのも一苦労よ!



「ねえ、ジョン」

「如何なさいました」

「これから、エスメラルディーナさまを伴って、書庫へ行くわ」



 えええっ? これから、ゆったりまったり、お茶の時間を楽しむはずではなくて!


「鍵にございますか? かしこまりました」


 わたしの存在意義がなくなる勢いで、ローザが場を取り仕切る。



「それから、ハーブティーを用意して」

「承知しております」



 ローザ好みのハーブティー。ちょっとえぐみが強くて、苦手なのよね。わかっていて、くれているかしら?


「今日からトマスモア伯爵家令嬢付きのパメラよ」


 メイドはわたしの前で膝を折る。


「粗相のないように」

「はい!」


 ホント、わたしが出る幕はない。そんな思いに囚われながら、黒光りが際立つ、重厚な扉をくぐった。




「荷物を預けたら、書庫に行きましょう」

「……ええ」




 ローザの耳打ちに、わたしはうなずく。矢継ぎ早に、行動を決めなくてもいいのに、とは冗談でも口にするべきではない。


 壁に置かれた飾り棚を、執事長自らの手でずらす。

 目の前に、地下に通じる階段が現れる。下は真っ暗すぎて何も見えない。



「灯をお持ちします」

「あら、大丈夫よ。私が持つから」



 執事長も、ローザの性格を心得ている。公爵家令嬢の案内で、わたしは薄気味悪い地下に踏み入った。




 暗くて足元のおぼつかない、通路と打って変わって、地下の書庫は灯が保たれている。


「あのことが気になる?」

「えっ!」


 書架を渡り歩く最中、ローザが口火を切る。



「エヴァンジェリーナさま、口さがない者どもの間では、暗殺の噂があるから」

「へ?」



 ジブリールさまと姉の婚約を、妬む貴族は少なくなかった? 彼が『王甥』の立場だから、噂が広がったのだろうけど。


「私があのアホの婚約を我慢した理由、セザール義兄さまの依頼なの」

「噂の真相を確かめるため?」

「そうね」


 手元のワゴンに、本が山積みになる。


「私の記憶が確かならば……」


 ちょっと、これ以上積み重ねたら、車輪が壊れやしない? 動きの鈍い車輪を押して数分あまり。ローザの肩越しに円卓が見えた。




 羊皮紙の古地図を円卓に広げて、

「さてと、ことの発端だけど、約、二十年前に流行った肺炎よ」

 ローザがことの始まりを語り出す。


 肺炎の犠牲者が、どこで何人亡くなったのかを、指先で示しながら。




「重症患者や死者が、王都や主要都市部に集中している?」

「そうなの。普通は、衛生状態の悪い辺境や農村部の方が死者は高くなるのよ」


 これは、都市部に特化した『上水道設備』にある。

 当時、都市部の上水道は、『ニエライト』なる浄化石を通してから、各家庭が飲料水として引き入れていた。


「ニエライトは、ニエル侯爵家所有の鉱山で産出される。当時の侯爵家から立后されたのも、そのためね」

「ええ」


 しかし、ニエライトのわずかな毒性が、肺炎症状を和らげるはずの薬草を打ち消してしまう。

 これにより、ニエライトは『禁忌の魔石』として、産出すら禁止されたのだとか。



「でも、去年から産出の禁が解かれたのよ」

「ナゼ?」

「なんでも、帝国が発明した硬度鏡の研磨は、ニエライトでなければ叶わないから」



 ローザの鋭い眼差しを見て、帝国とニエライトを結ぶ、唯一の接点を思い出す。



「カタリナさま……王女殿下のご婚約」

「そう」



 帝国の皇太子と我が国の王女殿下のご婚約のために、姉の病死は仕組まれていたなんて……。



 この時、わたしたちは想像すらしていなかった。



 

 

 

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