婚約式とお妃教育の両立の前に、一大事が起こりました。

第5話 劇的な求婚から、一夜が明けまして!

『嵐は過ぎ去り、新しい朝は必ずやって来る』



 学舎の校訓を現す、清々しいくらいの朝を迎える。


 ほんのちょっと、ベッドの中で微睡みたい気分だけど、そうも言っていられない。



『エスメラルディーナ嬢よ……』

『はい、ジブリールさま』



 兄に帰り支度を促されなければ、時間の許す限り、見つめあっていたかったわ。



 卒業パーティーを無事に終えて、わたしは伯爵家の馬車で帰路に着いたのは、日付の変わる三十分前のこと。


 そう言えば、対面側の席に着く兄が、仕切りなしに咳をされていたけど。お体は大丈夫なのかしら?



「こちらを、お召しになって下さいませ」



 メイドから受け取った衣装に着替えて、化粧台の椅子に腰を下ろす。


 もう少し、大人に寄せた髪型にしたいかな。ジブリールさまの婚約者として相応しくあるためにも。 


 それに、婚約のお披露目はいつ頃になるのだろうか。



 執事長のゴードンが緘口令を強いているから、メイドたちはわたしとハンスの婚約解消しか知らされていない。



 王太子の廃位に伴って、ジブリールさまが王位を継承し、ローザが帝室の皇子を婿に迎えて、公爵家を相続するため、兄夫婦が伯爵家に入る。


 わたしでさえ、そこまでしか把握していない。


「お嬢さま。鏡をご覧下さいませ」

「そうよね」


 新しい髪型は今でなくてもいいかな。普段通り、仕事に勤しむメイドたちを横目に認めつつ、わたしは身支度を整えた。



 ああ、なんて幸せなのでしょう! 馬車に乗り込む寸前まで、ジブリールさまと繋いだ指を見つめる。


 そうそう、忘れてはいけない。


「お兄さま。お体は大丈夫なのかしら?」

「エスメラルディーナさま?」


 メイドたちは、意味もわからないのか、互いの顔を見て訝しむばかり。


「あの、申し上げてもよろしいですか?」


 朝も早く登城された兄を見送ったメイドによると、特段、体調を崩した気配はないのだとか。



「それにしても、咳がすごかったのよ……」

「多分、それは……」

「余計なこと、口にしないのよ」



 どうしたのよ。わたしは兄の体調を心配しただけ。それなのに、若いメイドほど、こちらを見て笑っている? 



 ううん……絶対、気のせいよね。



「おはようございます。エスメラルディーナお嬢さま」

「ごきげんよう、ゴードン」



 一階のロビーでは、執事長が待ち構えている。



「本日の朝食は、温室にてご用意しております」

「お母さまも? すでにあちらへ向かわれたの」

「いいえ。お客人がお嬢さまとの朝食を望まれておいでですので」



 お客人と聞いて、ローザしか思い浮かばない。新しい婚約が正式に整えれば、二人きりでのお茶をたしなむことなど不可能だろうから。


「なら、我が家秘伝のアプリコットジャムを用意してくれない?」

「お嬢さま? あの、お客人とは……」


 ゴードンのしどろもどろな態度が滑稽過ぎて、背後からくぐもった息が耳に届く。



「執事長。ジャムはスコーンではなく、紅茶用に使うものです」



 侍女の申し出に合点した風情で、ゴードンがいそいそと廊下の奥へ去って行く。ローザはいつも、紅茶にジャムではなくてメイプルシロップが好みだけど。


 わたしたちがここを離れている間に、みんなは忘れてしまったのかしら?



「外は寒いので、こちらをどうぞ」

「助かるわ」


 

 侍女の用意したストールを肩にかけて、応接間から庭先に出る。昨日よりいくらかましとは言え、周囲をかけめぐる風はまだ冷たい。


 朝露にぬれた石畳を慎重に踏みつけながら、ガラス張りの温室に急いだ。 



「どうぞ中へ」

「ご苦労さま」



 鉄の扉から薔薇の小径へ。左右にくねる道のりを進んで行く。


 もう少し、陽がぬるめば、ここはピンクの小さな薔薇が咲き誇る。



 幼い頃は、兄とマデリンお義姉さま、そして、ローザとわたしの四人で『ピクニックごっこ』を称して遊んだ場所だわ。


 懐かしい思い出に耽っていたら、テーブル席に着く男性と視線が絡む。


 ええと……。わたしの見間違いではない?



「ジブリールさま」



 とるものもとりあえず、わたしは淑女の礼をと思い、裾をつまみ上げた。


「そんな風にかしこまらず、そこに座りなさい」

「はい」


 てっきり、ローザがいるつもりで来ちゃった。なんて無作法がバレたら大変だわ!


「キミが、紅茶をたしなむようになれたとは知らなかったな」

「あの?」


 ま……マズイわ……。アプリコットジャムはスコーン用、ローザの好みに合わせただけ。


 それ以上に、あなたがいらして下さること、頭に入っていなかった。なんて、打ち明ける勇気はなくてよ!



「大丈夫。私もアプリコットジャムは、紅茶よりスコーン派だから」

「まあ、左様にございましたの」


 この、微笑み。絶対、誤魔化しようがないわ。



「スコーンより先に、サンドリッジを頂くとしようか」

「はい」


 目の前のカップには、温めたミルクが注がれる。給仕役が下がるまで、身動き一つ取るか取るまいか。考えあぐねてしまう。



「遠慮はいらないから」

「ええ……」


 お腹は空いているけれど、彼を目の前にしていたら、指一本、思うように動かせない。



「ほら、お口を開けて?」



 まさかの大事件発生! 気を失うわけにもいかず、わたしは言われるがままにふるまった。


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