第6話 まさかまさかの、由々しき事態が起きてしまいました

 ガラス張りの天窓から、白い日射しが舞い降りる。


 今、わたしは『オペラ座』の舞台にて、王子さまからの口づけを待ちわびる、うららかな乙女になりきっていた。


 心の中だけは……。



「美味しいかな」

「ふぁい」

「フフ……キミはまさに、愛らしい小鳥だな。餌付けに喜ぶさまが」



 えええっ! わたしって、その手合いの枠扱いなの? 背後から聞こえる、かすかな笑い声に、肩をすぼめたい気分だわ。


 さらなる餌付けの追加を拒む訳でもなく、わたしは黙って『小鳥』としてふるまうしか出来なかった。



 銀色のスプーンに乗せられた、琥珀色のかたまりが、甘酸っぱい香りとともに、口いっぱい広がる。



「冗談は、これくらいでよそう」



 冗談ですって! おこがましくも、口にする訳にもいかず、わたしはほんのわずかだけ、そっぽを向く。



 ああ、これでは大人気ないかしら。



 子供の頃から慣れ親しんだ、甘やかなジャムを噛みしめているうちに、思い改めたわたしは、ゆっくりと前を見据えた。


「機嫌を直してくれてよかった」

「まあ……」


 しどろもどろに、戸惑うわたしの目の前で、ジブリールさまは優美に微笑む。


 そうよ……。いつまでも、根に持っていても仕方ないわ。ひねくれた女だと、扱いに困るって。世間では言われているじゃなくて。



「そうだ。トマスモア領で育ったアプリコットは、他の地域で育ったものより、甘みが強いのだよね」

「よくぞご存じで!」



 さりげない、話題の切り替えに、わたしは合いの手を入れた。



 そもそも、トマスモア領名産のアプリコットは、他で育った樹と品種が違う。


 異国から伯爵家に嫁いだ、数代前の夫人によって、持参金の一部としてもたらされた苗が始まりだと、母から聞かされている。



「我が領内で、これほどの甘味の強いアプリコットは収穫出来ない」

「左様にございますか」



 もっとも、甘味の強いアプリコットの存在は、世間では知られていない。


「あの……」

「他に?」


 嫌だわ、どうしたらいいの? 会話を続けるべく次の一手が思い浮かばない。



 あれやこれと、考えあぐねている間に、テーブルの上は、白い皿で埋め尽くされてしまった。


「でも、お肉料理には……」

「ああ、肉? うん」

「他の産地の酸味のある品種の方が、好まれる傾向にあります」


 思いついた内容が、あまりにも子供じみていて恥ずかしいわ。


 当家では肉料理でも、隠し味として秘伝のジャムを使うと、小声で伝えたところ、

「なるほど、一つためになった……」

 節目がちに相槌を打って下さった。



 ああ、なんて尊いのだろう。食事にまつわる作法も、無駄な動きが全くないわ。


 いつまでも、この幸せが続けばいいのに……。



 うん! 我が国の名誉のため、かのアホ面を廃したことは正しかった。


 ……などと、口が裂けても言えない。そこはきちんと、わきまえているつもりよ。



「そろそろか」

「はい」



 ーーカラカラ……。



 銀色のワゴンがテーブルの手前で止まった。



 次期国王となるジブリールさまのため、給仕役はゴードンの長男マシューが受け持っている。父親とよく似た面持ちの彼が、慣れた所作でポットを高く持ち上げた。




 ふわりとわき立つ……んんん? なんだかおかしいわ。


「どうか、されたのかな」

「……」


 いつもより、紅茶が酸っぱく香るような?

 かような場所で、わたしが感じた違和感を申し上げたら、家門の名誉を損ねてしまうわよね。


 そそぎ口から滴る、紅茶に不具合があるような、色合いに変化がないから、わたしの勘違いだといいのだけど。


 あっ……でも、待って! 何かあってからでは遅い。


 わたしは咄嗟に、ジブリールさまの方へと視線を移した。



「先ほどから如何された」

「あの……」



 なんと、申し上げたらよいのかしら。相手に対して不敬とならずに済む、適切な答えが見つからない。


 ああ、ぼやぼやしていたら。

 

 ジブリールさまの身に何かあってからでは、取り返しがつかなくなってしまう。



「ジブリールさま……ブローチが」

「これか? 実……」



 先ほどまで黒く輝いていたオニキスが、にわかに翳りを増す。同じタイミングで、ジブリールさまも気がつかれた? みたいな……。


 穏やかな表情から打って変わり、眉間にしわを寄せながら、

「そなた、カップをここに差し出したまえ」

 ジブリールさまが声を荒げた。


「は……」


 ジブリールさまの変わり身に、マシューは呆気に囚われたまま。視線は全く定まらない。


 いまいち、ことの次第を理解していなさそうな? それでも、マシューは言いつけ通り、ジブリールさまの手元にカップを置いた。



「この石には、あらゆる毒に反応する魔力が込められていてね」



 コートの襟にあるブローチを外して、中央にはまるオニキスを、真白なゆらめきの上にかざした。



 それから、ものの一分もなく。みるみるうちに、宝石は艶やかな光沢を失う。



 ーーガシャッ……。



 音に気づいた時には、わたしの視界から人影が消え去っていた。


「えっ……マシュー?」


 状況が飲み込めず、己が視線を彷徨わせる間に、ジブリールさまが倒れた執事の脈を取る。


 そう、『クイーンズカレッジ』にいた頃も、貧血で倒れた令嬢の救護に、ジブリールさまは当たられて……。



 ほんの少し前まで、当たり前に見ていた光景を思い出した途端、わたしも急激なめまいに襲われる。



「エメルっ!」



 あら、初めて愛称で呼ばられて、とても光栄なことのに。わたしったら、おかしいわ……。



「しっかりするんだっ!」



 愛しい方の声が全く聞こえない。


 悲しみと重い苦しみの渦の果てに、わたしの意識は突き堕とされてしまった。


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