第10話 『聖霊は生まれ変わる』と申しますが
王宮に到着するまでの間、これと言った仕事は何もない。せめて、スケジュール帳でもあれば、こんな駄情を持て余すことなんてなかったはず。
今さら、悔やんだところで、何も始まらないけど。
『春の嵐の翌朝は晴れる』
古の言い伝え通り、遠くの空は青く輝いている。
ただし、石畳の窪みに水が溜まっているせいで、私たちを乗せた馬車は、しょっ中、前触れなしに停車する。ゆえに、座席から身を投げ出さないように、足を踏んばるだけで、疲れてしまうわ!
「大丈夫かな」
「お気になさらずに」
なんだか申し訳ない。小姓の役目を買って出たはいいけど、かえってジブリールさまを呆れさせたような? 絶対、気のせいではなくて。
「ん……」
「エメル?」
そんな……困った顔、なさらないで。あゝ、だけど……。王宮に到着するまで、わたしの足が動かなくなったら……。
「あれ?」
「そなたが、座席から転げ落ちないように、少しだけ魔法をかけたのだ」
「……」
完全に、『小姓』として役に立っていない。肩をすぼめて、わたしは視線を落とした。
長い渋滞から解放されたのか、馬車が速度を上げる。車窓の様子から、あと、数分で二人きりの時間も終わる。
王宮への登城目的は、『病気見舞い』だとしか聞かされていない。一体、どなたなのかしら?
生来、ご病弱の国王陛下は、例の騒動の直後、側妃を伴って南方へ下られている。
一本道の大通りを眺めている最中、わたしは、ローザが語ったことを思い出した。
ロンヴァルディア帝国の人々は、帝都内を汽車で行き来する。
『オクシタニアも帝国に続きたいのだけどね……』
帝都とくらべて、この大通りですら狭いため、容易には叶わないと。
「ここですら狭いって、想像もつかないかな……」
うっかりつぶやいた独り言に、慌てて口を押さえたけど、ジブリールさまの喉が微かに唸りを上げる。
居眠りを見つかった時も、こんな風に喉がなったような。
居た堪れず、うな垂れていると、
「エメル」
ジブリールさまに名前を呼ばれる。
恐る恐る面を上げる、ついでにと、
「如何がなさいました」
わたしは用件を尋ねた。
「目を閉じて、面を上げなさい」
突然の命令に、わたしは目を見開く。逡巡したけど、わたしに拒否権はない。
「仰せの通り」
とりあえず、まぶたをキツく閉ざす。
一、二……目を閉じてから、ものの十秒もせずに、
「よろしい」
の声がかかった。
そよ風のような気配が、わたしの額から遠ざかる。 いぶかしみつつも、わたしは二度ほど瞬きした。
「あの……」
「私以外の者が、そなたを認識しないよう、術を施した」
「なるほど!」
万が一、わたしが『粗相』をしても、お家に泥を塗る事態は免れる! なんて素晴らしいのかしら。
「エメル……勘違いして……はいないか」
あら、ジブリールさまったら、天を仰いでいらして……。それと、くぐもるような笑い方だけど、わたしをバカになさっているような?
「ジブリールさま? 大丈夫ですか?」
「いやいや……」
だって何かあれば……。塁がおよぶのは伯爵家だけではない! にわか仕込みのわたしを慮る、ジブリールさまのお慈悲を正しく理解しているのに。
「決して、左様なことは……」
「わかった。そう言うことにしておこう。それよりも」
急に咳をされて、お身体は大丈夫なの。わたしは姿勢を正して、次の言葉を待った。
「王后陛下が倒れて一週間が経つ」
「ええと……」
「風邪を引いて伏せている。あれは、表向きにすぎない」
そうだ、王后陛下はニエル侯爵家のご出身。トマスモア伯爵家との因縁を思えば、正確なご様態の公表は憚れても仕方ない。
「重篤な病の発症ではなくて、何者かが王后陛下の『聖霊』を封じたらしい」
「あの、禁忌の魔導にて? ございますか」
「そうだ。それ以上に厄介なことがある」
短い咳払いの後に、ジブリールさまがそっぽを向いて、
「宮廷魔導士級の術士でもっても、解除しがたい邪道だ」
憂鬱そうにおっしゃった。
まあ、なんと物騒なことか。由々しき事態を解決する手立てがないなんて。
「あの……」
「ん?」
こんなこと、尋ねるだけで失礼だと承知しているけど、
「ジブリールさまの力でもっても?」
勇気を出して口にする。
「単独では。まあ、『女神の愛し子』たる、そなたが側にいれば話は別だが」
んんん? つまりそれって……。
「わたしの存在意義とは」
「そこにある」
ウソだっ! 最初から『小姓』のお役ってないに等しいって、ことだったの?
「だから、そなたは誤解していると申したのだ」
「そんな……」
ああ、勘違い甚だしいって。穴があるなら、入ったまま、お昼寝したい気分よ!
「そろそろか」
ジブリールさまの視線の先に、わたしは顔を向ける。車窓の奥には、王宮の象徴たる『金色の塔』がそびえ立っていた。
「それ以上に」
「あの」
ジブリールさまの頬が、うっすらと赤みを増す。
余りにも珍しくて、うっとりと見惚れていたら。
「そなたの身の上が大事だから。二度と手放したりはしたくないのだ」
恥ずかしそうに、以外な言葉をこぼされる。
「あの……」
「そなたの『聖霊』は見紛うことなく」
「はい?」
馬車が右に折れてすぐ、大正門をくぐったせいで、車内は暗がりに包まれる。
「エヴァンジェリーナそのもの……」
何が起きたのか? 戸惑うばかりのわたしに対して、ジブリールさまが悲しげにほほ笑む。
「だから、姿を封じたのだよ。我が君よ」
『聖霊の生まれ変わり』はあり得る。
実しやかにささやかれているけど。
その当事者がわたしだって?
「あの……」
「準備したまえ」
降ってわいた疑問への答えを聞かないうちに、馬たちがけたたましく嘶いた。
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