第18話 目が覚めたら、新しい時代の幕開けとなりました
「ふふふ……もう少し、こうしていたいかな……」
頭をなでる手の圧力を受けて、わたしはハッと目が覚める。
「気がつかれたかな」
ジブリールさまの声が、頭の上で木霊する。視線の先に映るモノ。あれは、馬車の対面側の座席よね?
耳の下にある骨張った感触に、わたしは上体を起こした。
「夜まで、寝ていても構わないものを」
「ご冗談は、およしになさいませ」
トホホホ……わたしったら、なんとはしたない真似をしていたのだろう。
「申し訳ございません。身のほどをわきまえず……」
座席の端に逃れたくて、身をよじる直前だった。
ジブリールさまの腕が、わたしの肩を捉えた。
「あの……」
「このような時は黙ったままだ」
婚礼の誓いすら、まだだと言うのに! ジブリールさまがわたしの唇を奪う。仮にも、戸板一枚の向こう側には、御者だっているのよ。
しばらくの間、わたしたちは至福の時間を分かち合う。唇を解放されても、ジブリールさまのローブにすがり続けた。
「ローザは? みなさまは、如何なさいました」
光から解放されると同時に、ハンスは床に倒れていて、誰かが脈はないとか……。
「彼の亡骸は、教会の神官に預けた」
「それは、つまり」
「身寄りのない者と見なし、共同墓地に埋葬するそうだ」
お悔やみの言葉すら、上手く見つくろえない。わたしは、つかんでいたローブを解放する。
お互いが相容れない存在だったとは言え、カレッジの卒業寸前までは、婚姻を考えていた存在だった。
「わたし……」
「そなたは、悔やむことなどない」
視線の先で、窓の縁に頬杖をつきながら、
「そもそも、王太子の廃位は既定路線だった。ニエル侯爵家も、悪い噂の耐えなかったから、どの道、彼らの没落は避けようがなかった。もう少し、当人だけでも謙虚な質ならば、命運も違っただろうが……」
ジブリールさまが憐れみの言葉をつむぐ。
時の流れとともに、記憶の片隅から消し去った方が、彼の魂も眠りにつくことが、叶うかもしれない。
あっ……。わたしたちを乗せた馬車だけど。
「そう言えば」
「何だね急に」
「外の様子から、離宮に戻る道ではありませんわよね」
王都を流れる大河に沿う道筋は、王宮に続くような。曖昧な記憶を元に尋ねたら。
「実は、そなたが気を失っている間に、王后陛下が崩御された」
「左様にございますか?」
「そなたが楽神の力で、ハンスに取り憑いた王后陛下の邪霊を浄化したから」
ちょっとちょっと、お待ちになって! 何者かがわたしの体を使った、までしか覚えていないのに。
それを遂行された存在こそ、楽神フィディスさまってこと?
「覚えていないのか」
「はい。途中までしか。ジブリールさま?」
なんと申したらいいのか。アテの外れた感が漂う眼差しで、こちらを睨まないで欲しいかな。
「まあ、そう言う訳だ。教会にいた参列者は、王宮に向かっている最中だ」
車窓から外を伺うと、大正門が閉ざされている。普段、一番上で旗めくはずの国旗が、半分だけ降ろされていた。
「やはり、ハンスに取り憑いた邪霊を、取り除いたためでしょうか?」
「それも、気になさらぬ方が、御身のためだ」
風にゆらめく御旗から目を逸らして、わたしは左右に折れる馬車の中で、身をこわばらせた。
別館の一階にある客間で、ジブリールさまとわたしは言葉を交わしもせず、次の一報を待ちわびる。
長椅子の上で身を縮めるだけの時間も、そろそろ、限界に思った頃合いで、若い文官が訪れた。
「お別れの挨拶となります」
「ご苦労」
彼に促されるまでもなく、わたしたちは併設の礼拝堂に足を運んだ。
お見送りの王侯を迎えるのは、カタリナさまとお付きの女官が数名ばかり。遠方に退去された国王陛下はもちろん、ご実家の方々も、ここにいらっしゃることはなかった。
「大丈夫かな」
「ええ」
ジブリールさまの労いの言葉にお礼を述べて、カタリナさまは懸命に涙を堪える。
「母上さまは、身分を問わず実務に秀でた者たちを慈しんでおりました。礼節を重んじる彼らなら、王后の身分に相応しい弔いが叶うと信じています」
なんと気丈なお方だろう。ジブリールさまも感心しきり。
邪な野望に飲み込まれなければ、賢后の名を欲しいままにしたかと思うと、やるせなさが募った。
「母上さま。どうか安らかに」
カタリナさまが柩から離れる。白百合の褥の上で眠る王后陛下のお顔は、心なしか、微笑んでいるように見えた。
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