第17話 哀れなる邪な魂は、こうして天に召されました。

 王后陛下の意識でもって、ハンスのふりかざした腕が、わたしの胸にふり降ろされる。


「あなた、そんな風に卑屈だから」

「小癪な……貴様に何がわかるッ!」


 チョーカーの貴石が、青白い閃光と化した。


「ぐわわわわーーっ」


 凄まじい、魔力の波動がハンスを吹き飛ばす。ヨロけながらも、わたしへの憎しみから、ハンスは自力で立ち上がった。



「小娘が! ナニさまのつもりだ」

「イヤね」



 エスメラルディーナと入れ替わった存在が、

「殿方に敬遠されるのよ」

 冷ややかな声でたしなめる。



 あゝ、これって……。わたしの中でずっと、封印されていた『楽神フィデス』の力だ。



「エメル……いや、違うな。そなたは一体、何者だ」



 ジブリールさまの問いかけを受けて、

「そなたほどの使い手なら、すでに気づいておるだろう。妾こそは、楽神フィディス!」

 名乗りを上げる。


 わたしの地声とかけ離れた音域に、みなが驚きを隠せない。誰もが状況を理解出来ず、たじろぐばかりだ。



「クソっ!」 



 ハンスを敵と見なした女神は、

「安寧と秩序を穢す不届き者よ。審判の竪琴の調べにより、その者たちと『天涯の牢獄』にて暮らすがよいぞ」

 己が力を最大限まで高めた。




 空中を銀の竪琴が漂う。手元まで手繰り寄せた物体を手に取り、わたしは弦をかき鳴らす。


「よしてくれーーッ!」


 断続的な不協和音によって、ハンス……いいえ。王后の魂が苦しみもがく。床から羽を生やした、小さな骸骨たちが現れたかと思いきや、それらはハンスの肉体を取り囲んだ。



「イヤだ。イヤだ……帰りたくないッーー」



 ハンスの身に取り憑いた邪な霊は、異形の存在によって天上に昇り始める。天窓を破ることなく、一筋の光を帯びながら、はるか上空に連れ去られてしまった。



「あれは……」

「みなさんも、ご覧になられましたわよね」

「ええ……」



 偽りの葬儀だとバレたせいで、その場に居合わせた者たちが騒ぎ始める。


「静粛に」


 公爵閣下の一声により、人々は落ち着きを取り戻した。



 あれは決して、単なる幻などではない。信じられないだろうけど、現実に起きた奇跡だ。


「あの、ジブリールさま。わたしは……」


 気づいたら、みんなの注目を浴びている。



「みなさん? お騒がせしました。あの、どうなされましたの」



 わたしの、あっけらかんとした態度を目の当たりにして、列席者全員が瞬きし始める。


 もう少しの間だけ、『楽神の愛し子』らしくあるべきだったかしら?



 ーードサッ……。



 何が起きたのか、一瞬、理解にいたらなかった。

 邪な魂が浄化された反動だろう。ハンスの体がその場に倒れる。


 んんんん? もしかして……。


 横たわるハンスの元へ、二名の衛兵が駆けつける。



「脈は?」



 ジブリールの問いに、ハンスの体を検分し終えた彼は、黙したまま首を横にふった。


 悪役の最後にしては、実に呆気ない幕引きね。




「慎重に運ぶのだ」

「ハッ!」




 用意された戸板の上に、ハンスの亡骸を乗せる。去勢による肥満により、衛兵を五人も要した。


「道をお開け下さい」

「失礼」


 大の大人が五人がかりで、白いリネンをかけた戸板を外に運び出した。



「ジブリールさま? 今まで」


 ぐらりと、側の石柱が回り出す。


「エメル?」


 楽神の憑代の役目を終えて、緊張の糸の切れたのだろう。



「誰か、戸板をもう一枚。用意するんだ!」



 ジブリールさまの声が、徐々に遠ざかる中で、わたしは意識を手放した。

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