第12話 『嵐の前の静けさ』などと申しますが

 インクを含んだペンが、羊皮紙の上で黒くにじむ。


 あいにくの曇空のせいもあって、昼間にも関わらず、執務室は灯を点しせいか、書き損じのシミが目立ってしまった。



「シミなら、魔法で直せるから」

「申し訳ございません」



 わたしの失敗のために、ジブリールさまのお手をこれ以上、煩わせる訳にもいかないわよね。


 公文書仕様の分厚い紙と悪戦苦闘しつつ、わたしは清書作業に勤しんだ。



 あゝなんて、口述筆記が、こんなにも難しいとは! どこの貴族でも、口述筆記専用の書記官が引っ張りだこな訳よね。


 心から詫びを入れつつ、我が身の不甲斐なさを噛みしめた。



「少し、休憩を取ろう」

「お茶を……」



 立ち上がろうにも、足腰が痺れて身動きが取れない。


「無理いたすな」


 お茶の用意を免除されるなんて、小姓失格も当然よね。


「っ!」

「大丈夫か」


 く……首が! 上体をほぐす目的で、わたしは面を上げる。ジブリールさまの肩越しにある円窓から庭木が見えるけど。


「あら……」


 昨日までと打って変わり、赫い小さな花が咲き始めていた。



 確か、あの花が満開になるまで。これ以上、天候が荒れない限り、十日もかからな……待って待って! 


 ってことは、園遊会も似たような日数しか残されていないわ。



「どうしましょう! ジブリールさま」

「次の用向きは何かね」

「園遊会につきましては」



 ドレスも宝石も、手持ちの品で大丈夫かしら? 卒業式ですら、女性楽士の正装を借りただけ。



 そうよ。全く新調していなかった。



 あら、まだお仕事を? あやしまれないように、そっとジブリールさまの筆の進み具合を覗き込む。

 園遊会で身につける装身具について、『ご相談を』と持ちかけるために。



 でも、お待ちなさって。倹約家のジブリールさまに、ドレスや宝石をねだる訳にはいかないか。

 悩みぬいた挙句、わたしも仕事を進めようとペンを手に取ろうとしたら。



「エメル」

「はい」

「この箇所、文字のつづりが違う」



 あいた口が塞がらない……辞書片手に清書した意味がなくてよ。差し出された文書を受け取ろうと、わたしは椅子から立ち上がった。


「それと、園遊会だが」

「はい」

「欠席してくれないだろうか?」

「……」


 こちらの思惑、全部筒抜けじゃない!


「あの日から、悪い予感がしてならないのだよ」


 こちらを向く面差しに、憂鬱な翳りが見て取れる。


 わたしの身を心配して下さるの、非常に嬉しいけれど。それって、負けを認める気がして、悔しさが胸の奥底から込み上げる。


 二人のいる世界を、沈黙が見えない壁となって隔てる。こう着状態がいつまで続くのか。

 折れるべきはわたし。欠席を受諾しようと、口を開きかけたら、執務室の扉が叩かれた。



 二人が同時に目を向けた先には、

「ご機嫌、麗しゅう存じ上げます」

 見事な礼を示す、ローザの姿があった。




 執務室と壁一枚隔てた応接間にて、背もたれに身をゆだねる。客人を前にしていながら、ジブリールさまは無表情を貫かれたまま。



「私に、よい考えがございますわ」

「ほう」



 王甥殿下と公爵令嬢が一触即発? 緊張を強いられる場面で、紅茶をカップにそそぐ給仕役の手は、かすかにふるえていた。


 紅茶に広がるミモザの砂糖漬け。とてもいい香なのに、口をつけても構わないかと、二人の様子を伺う。



「私とエメルがもう一度、楽士に扮しますの」

「卒業パーティーの時のようにか? しかし、茶番が通じる相手ではないぞ」



 アホ面の元王太子とは違い、カタリナさまは教養豊かで、閣僚たちから一目置かれている。王女殿下が王位継承から外れたのも、頭の回転が宰相級のローザとの比較から、貴族間の派閥争いを防ぐためにすぎない。


 ジブリールさまの意見はもっともだけど。ことの成り行きだけ、遠くから見ている。王族として、正しい身のふり方なのかしら。



「よろしいでしょうか?」

「エメル」


 目を見開いて、黙ったきりの二人を交互に見比べる。



 一息、ついた後で、

「傍観を決め込んでいたら、王国の一大事に発展する。そんな予感がしますの」

 わたしは率直な意見を述べた。




 柱時計の振り子の音のみが、わたしたちの沈黙を飲み込む。息を押さえるのも、限界に達した時だった。



「春の言祝ぎを女神とともに」

「王甥殿下……」


 ローザが驚くなんて滅多になくてよ! それにしてもジブリールさまったら、なんて意地の悪いマネを……。


 それ、名だたる宮廷楽士でさえ弾きこなせない、王国伝来の難曲じゃなくて。


 こう見えても、『楽神フィディスの愛し子』だから、出来ないことはない……でもね。



「諸王侯の御前でお披露目となると、そこまでの領域に到達出来るかしら?」

「猶予は一週間。それ以上はダメだ」

「あら……大丈夫なの」



 二人がほぼ同時に、険しい眼差しをこちらへと向ける。


 ローザったら! わたしがヘマするだろうって、考えているわよね。

 ご心配なさらなくて! と言いたいけど自信がないわ。



「大丈夫よ。必ず弾きこなして見せますわ」

「だ、そうですよ」

「エメル! 大見栄はよしなさい」



 その言い草、二人とも酷すぎる! もう、こうなったら何が何でも、絶対、やり通して差し上げて見せるから。




 お待ちになって下さいませ。ジブリールさま!

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