また従姉妹の婚約破棄に巻き込まれたら、次期王妃の大役を承りました?
赤羽 倫果
今宵、運命を決める『断罪劇』が始まります。
第1話 憂鬱な卒業パーティーにございますが。
ーー大事な時期なのだ。御身を大切にしなさい。
あの人の後ろ姿が、徐々に遠ざかる。伸ばしたくても、敵わない手に力を込めて、冴えた風になびくローブから目が離せなかった。
今、わたしは何をしていたの? 大事な卒業パーティーだと言うのに、不躾にも寝入るところだった。
こんなこと考えてはいけない。あの方への想いを。胸の奥に封じたくて、夜の帷の降りた車窓に目を向ける。
視線の遥か先、教会の塔の頂には、細い月が白い光を放っていた。
「どうしたエメル」
「申し訳ありません。お兄さま」
「心配はいらない。マデリンも承知の上だ」
そうではないけど、ここは誤解されたままでいいわよね。兄が義姉から嫌味を言われたなどと、勘ぐるつもりはさらさらないけれど。
「ただ……」
思うように、次の言葉が見つくろえず、
「婚礼を挙げられたばかりなのに」
謝罪を述べるだけに止めれば。
「不甲斐ない。ニエル侯爵家の三男坊より、私の方が付添人にふさわしいと、母上たちもおっしゃって下さったのだ。そなたは、もう少し堂々と構えていなさい」
優しくも頼もしい兄の叱責に、わたしは背筋を伸ばす。
公爵家の婿となった兄に代わり、わたしがトマスモア家を守らなければならない。その覚悟でもって、わたしは兄がつむぐだろう、次の言葉を待ち構えた。
「もう、しばらくの辛抱だ」
「えっ?」
先ほどと違い、兄が皮肉めいた笑みを浮かべる。
「今夜だけ。乗り切ることに集中するんだ」
「お兄さま」
春はまだ遠い時節なれども、今宵は『クイーンズカレッジ』の卒業パーティーが、王都のはずれに建つ離宮で催される。
本来ならば、婚約者のハンスに委ねるべき責務を、わたしは思案を重ねた結果、兄に依頼せざるを得なかった。
「エメルは、奏者としての奉仕に全力を尽くせばいいのだよ」
兄の顰めっ面を目の当たりにして、わたしは悪しき始まりの予感を覚える。多分、『前兆』はいつもはずれはしないだろうな。
「さてと、刻限前に到着出来たようだ」
兄の声のすぐ後に、車窓の流れが滞り始める。黒いレースの手袋に包まれた指先を開いて閉じて。他愛ない所作を繰り返すうちに、車の扉が開け放たれた。
「どうぞ、ごゆるりと」
御者の挨拶にうなずいて、わたしは兄の腕に片手をゆだねる。
「まっすぐ前だけを見て……」
「はい」
わたしは『フィディスの竪琴』の奏者、エスメラルディーナ=トマスモア。
漆黒の裾裳をかいつまんで、光の世界へ一歩を踏み出した。
二階相当の場所に、奏者専用の席がある。豪奢な造りの柵を通して、眼下の大広間に招待客が集いつつあった。
彩り鮮やかなドレスをまとう令嬢たちは、婚約者のエスコートを受けて、円を描きながら闊歩する。
「あら、場違いな小アリがうるさくてたまらないわ」
「あの……ロザリンドさま?」
「そんな顔しないで。エメル」
件の『小アリ』って、ピンクブロンドの巻き毛の男爵令嬢のことよね。
「リタ=コールマンだったかしら」
いつの間にあしらえたのか? 漆黒のドレスの裾がふわりと、隣の席に座る。
「どうして」
「今宵は『ローザ』で構わなくてよ」
銀のフルート片手に、ローザがイタズラっ子ばりの笑みを見せる。
相変わらず大胆な。としか、言い表せられない。
「あのバカは、女もまともに選ぶことが出来ないの」
「あの? とは」
「言わずともわかるでしょ?」
ツンと尖ったあごの先は見なくていいかしら。サミュエル殿下の側には、イヤミったらしのハンスが控えている。
特徴的な髪色を目に入れまいと、わたしは楽譜にだけ意識を向けた。
「この曲目。皮肉よね」
隣に座る我が君の問いかけに、わたしは呆気に囚われる。
『選ばれし、乙女のためのパヴォーヌ』
古式に則った舞踊曲の題名から目が離せずにいると、
「今夜は、面白い劇の幕が上がるわよ」
軽やかな声色が、わたしの耳元をかすめた。
「あの」
また従姉妹の発言を問いただす暇を惜しんで、わたしは竪琴を構える。白髭の宮廷楽長が、ゆったりと指揮棒を振りかざした。
優美なフルートの調べを追いかけて、わたしは手の内の弦を爪弾く。
元々は、美神フレアと楽神フィディスの姉妹が、フルートと竪琴で奏でる曲に合わせて、神の御使たちが踊った祈りの曲目だと伝わる。
階下で何が起きているのか。素知らぬふりを決めて、わたしたちは一節に意識を捧げた。
「私たち、ようやく愚かな殿方と悪縁が切れるのよ」
「何をおっしゃって……」
『悪縁』の意味を解するまで、ものの数秒もかからなかった。
「フフフフ……」
思いもせずと言うのか、はしたないとわかりながらも、込み上がる笑いが止まらない。
「あなた大丈夫?」
幼なじみの気遣いに、はたと己の拙さを恥いる。
「ごめんなさい。我慢出来なくて」
次の演目が始まらないうちに、楽譜を取り替える直前だった。
「お遊びはそれまでだ」
厳かな声に呼応するように、わたしたちは同じ方向に顔を向ける。
「お父さま」
「これは宰相閣下、ご無礼のほどお許しくださいませ」
わたしは、黒の礼装でもって挨拶に応じた。
「まあ、二人ともここを出なさい」
状況が飲み込めないものの、宰相の背後に控える近衛兵士に促されて、わたしとローザは演奏席を離れる。
「やっと、国王陛下がご決断を下されたよ」
宰相閣下のささやきに、ローザの口許が微かにほころぶ。
惹きつけられるほどの優美さに、わたしの心は悪しき予感に覆われた。
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