(八)出家

天文四年(一五三五)六月、父・政房の十七回忌の法要がやって来た。

「御屋形さまが美濃守の後継であることを世に示す絶好の機会でございまする」

先代の法要を取り仕切ることで、自らの正統性を国内外に発信することができる。

昔、父が亡くなった時は頼武が葬儀を主宰して守護職を手にしていた。

法要は盛大に催され、頼芸は濃州太守の面目を保った。


しかし七月、長良川が氾濫し枝広館は壊滅的な打撃を受けてしまう。

「御屋形さま、ご無事で何よりでございました」

新左衛門が館に駆け付けてきた。

「死ぬかと思うたわ。新九郎のお陰じゃ」

濁流の中、身を挺して頼芸を護ったとのこと。

「だが、香子かおるこが流されてしもうた。可哀想なことをした。儂は川の近くは嫌じゃ、

香子のことを思い出すと夜も眠れぬ」

寵愛する香子を失い、頼芸は気力までも萎えていた。

「そう申されましても、高台と言えば大桑おおが城あたりしか・・・」

大桑はかつて、頼武を迎え入れた山奥の城である。

「大桑か、そこで良い。自然に囲まれた大桑なら、鷹を育てるにも適しておろう」

政務は新左衛門に任せきりにして、頼芸は鷹の絵に没頭していく。


美濃の窮状を見て反撃の機会を窺っていた朝倉が、故・土岐頼武の嫡男である頼純を担いで攻め寄せてきた。すると、これに近江の六角定頼らが加勢して戦火は美濃全土へと広がりはじめる。

新左衛門は急ぎ京に戻り、山崎屋より大量の資金を用立てると近江に向かった。

「我が主・土岐頼芸からのご挨拶にござりまする」

六角氏の館に入ると、革袋に入った砂金をうやうやしく定頼に献上する。

「我らと争っておるはずの美濃が、いったい如何なる所存か」

砂金には手を出さず、定頼が新左衛門を見据えている。

「それは定頼様、我ら美濃が長らく越前と争っておること、よくよくご承知でござ

いましょう」


「もし近江と美濃が手を結べば、越前とも互角に亘り合えまする」

   ・・・・・ ふむ、確かに一理ある

近江も領土を接する越前とは過去よりいさかいが繰り返されてきた。

美濃の申し入れは近江にとっても悪い話ではない。

「つきましては、我が主は定頼様の姫御を正室にお迎えしたいと願っておりまする」

「何と、そのために危険を縫って敵地までお越し下されたのか」

「我らははなから、近江を敵地とは思っておりませぬ」

無言の時が流れた。互いに相手の思惑を推し量っている。

やがて砂金の入った皮袋を懐にしまうと、

「酒を持て」

定頼が家臣に命じた。

「本日は日も落ちた由、今宵は当館にてゆるりと休まれるが良い」

対立関係にあった六角定頼から正室を娶った頼芸は、美濃争乱の収束に成功する。

頼純は母の実家である朝倉氏を頼って越前国へと亡命した。


天文五年(一五三六)、頼芸はついに美濃国守護に補任された。

「御屋形さま、此度は誠に恐悦至極に存じ奉りまする」

新左衛門が平伏している。

「新左衛門、その頭は如何した」

頼芸が驚きの声を上げた。大桑城を訪れた新左衛門の頭は見事に剃り上げられて

いる。

「常在寺で出家して参りました」

「何故に出家など・・・」

「枝広の件は某の不覚でござりました」

「もう良い。其の方の責ではない」

頼芸が小さく首を振る。

「つきましては御屋形さま、某も寄る年波、これを持ちまして隠居をお許し願いとう存じまする」

「何を言う。其の方にはまだまだ儂を助けてもらわねばならぬ」

「御屋形さまを守護にお就けすること、これが某の悲願でございました。この後は、新九郎が守護となった御屋形さまをお支え致しまする。」

これまでの辛苦が走馬燈のように頭をよぎる。

「儂は良い家臣を持った。果報者じゃ」

二人の眼に涙が滲んだ。


「戻ったぞ」

ここは京の都、山崎屋の店先である。

店の丁稚でっちは見知らぬ坊主を前にしてポカンと口を開けている。

「あっ、旦那さまじゃ。おかみさん、旦那さまがお戻りなされましたぞ」

手代の杉丸が気付いた。杉丸は庄五郎の修業時代の坊主頭を見慣れている。

奥からバタバタと千代が駆けてきた.

「お帰りなさいませ。あれ、お前さま、その頭は・・・」

「ははは、武士をやめて山崎屋庄五郎に戻ったのじゃ。ほれ、このとおり」

庄五郎が自分の坊主頭をペンペンと叩く。

   ・・・・・ 十年以上も私を放ったらかしにしておいて

   少しは意地悪なことも聞いて差し上げましょうか

「それでお前さま、豊かな国とやらはお創りになられましたのか」

「おぅ、これから美濃は豊かになるぞ。後は新九郎に任せてきた」

「まぁ、それはようございました」

嬉しそうに千代が笑う。

庄五郎五十五歳、千代は五十一歳、二人はこれまでの時間を取り戻すかのように仲睦まじく暮らしたという。

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