(五)一文銭と辻売り

「店頭に出ても宜しいかな」

庄五郎が又兵衛に申し出た。婿入りしたとは言え、居候のままでは肩身も狭い。

「それは有難いこと、しかし仕官の方は如何されますので・・・」

「世情がこのような有様では簡単に見つかるとは思えませぬ。無駄に時を過ごすより、商いの仕組みを少し学んでみようかと」

応仁の乱のあおりを受けて、どの大名も所領を保つことに汲々としている。これから

の時代、武家も金繰りが欠かせない。

寺で文字や算術を身に付けていたこともあり、一年もかからず内々のことであれば

又兵衛の代わりが務まるまでになった。


永正元年(一五〇四)、千代との間に待望の男子を授かった。庄五郎、二十三歳の

時である。商売も順調にはかどり、庄五郎としては最も安定した時を過ごしていた。

「明日より行商に出てみようと思う」

「いや、何も若旦那がそこまでされなくても・・・」

店の者が止める。行商は大変な仕事である。

「皆の苦労が分からぬでは、いずれ商いも行き詰まろうというもの」

庄五郎は言い出したら聞かない。


さっそく手代の杉丸を伴って行商に出た。

「おん油ぁ~、おん油ぁ~」

油桶を棒の前後にぶら下げて町中を売り歩いても、半分も売れた日は良い方である。

「何か仕掛けが要るな」

店に戻った庄五郎は、近くにあった永楽銭を手に取って枡から油を落としてみた。

すると油は一すじの糸をなし、一文銭の穴を通って下のかめに吸い込まれていく。

槍の稽古で落ち葉を突いていた、あの集中力である。

「これは使えるかもしれぬ」


翌日、庄五郎は大通りの辻から少し入ったところにある大きな石の上に腰掛けると、

漏斗じょうごを使わず、油を一文銭の穴に通して注いで御覧に入れまする。油がこぼれましたらお代は頂戴いたしません」

杉丸に口上を述べさせて客を呼び集めた。

「面白そうやな」

浪人者が油を売っている。その男が一文銭を通して見事に油を注ぐと観衆から拍手が起こった。客は大仰に残念がる、それがまた面白い。

次から次へと壺を手にした客が集まってくる。


その時、小さな女の子が一文銭を握ってやってきた。

「油が欲しいのかい?」

持っているお金だと、油は僅かしか買えない。

「おっ母ァが病気なの。少しでいいから油を下さい」

泣きそうな声で女の子が答える。

庄五郎は頷くと、「漏斗を使わず・・・」とお決まりの口上を述べながら枡から油を落とす。

「へっくしょい」

くしゃみをした弾みで、油が一文銭に零れた。

「おや、こいつはしくじった。お嬢ちゃん、約束どおり油は無料ただで差し上げよう」

枡一杯の油を注いでやる。

「ありがとう」

女の子は大事そうに壺を抱えて駆けていった。


「油屋、ええとこあるやないか」

観衆も心を打たれている。

「そやけど、儂の時にも失敗してくれや」

「儂は武士じゃ、わざと負けたりはせん。健気けなげな子供を見て鼻がむず痒くなっただけのこと。しかしお手前の顔を見たとて、くさめ(くしゃみ)も出てこぬわい」

「何でやねん」

場がどっと沸いた。

「おかげさまで本日の油は売り切れました」

杉丸が愛想を振りまく。

「今度はいつ来るんや」

「毎月、三の付く日に参ります。どうぞご贔屓ひいきに」

こうして庄五郎だけは毎回、桶を空にして戻ってくる。


「やはり振売り(歩き売り)では効率が悪かろう」

他の行商にも一文銭の芸を教えてみるが、誰にでも簡単にできる技ではない。

「ならば、行商をしていて何か困ったことは無いか」

得てして妙案とは、困っているところに隠れているものである。

すると一人の行商が、

「毎度のことやが、枡ですくった油が少なかったと因縁をつけられてなぁ・・・」

「あぁ、儂もや。一日商いに出ると、必ず一人や二人はそんな客がおるわいな」

儂も儂も、と皆が口を揃える。

「ふ~む。ならば枡で油を注ぐところを、客に自分でやらせてみてはどうだろう」

油は高価である。一滴でも多く壺に入れようと客は真剣になる、これが受けた。

奈良屋の声を聞くと、客の方から壺を抱えてやってくるようになる。こうして客を

集める辻売りが主流となり、奈良屋の売上は一気に倍増した。

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