(四)奈良屋の婿
しかし、そんな楽しい時もいつまでもは続かない。
ある日の
「長らくお世話になり申したが、
それを聞いた千代が、両手で顔を被って部屋から出て行った。
「一月と言わず、ずっと居て頂くわけにはまいりませぬか」
「某にとって、ここは居心地が良すぎまする。ついつい仕官の口を探すのも
なってまいりましてな」
二人とも、いつかはこの日が来ることを覚悟していた。
「この後、どちらに参られますのか」
「近江にでも向かってみようかと思っております」
「寂しくなりますな。最後に一局、如何ですかな」
「喜んで」
二人は碁盤に向かい合いながら想い出話に花を咲かせた。
「時に庄五郎様、仕官が叶えば次は嫁取りでございますな」
「ははは、そのようなこと未だ考えたこともござらぬ」
「その折は、やはり武家から
「武家でなければ、などという
生涯独り身かもしれませぬでな」
庄五郎にしては、珍しく自虐的な物言いである。
「千代を貰って頂くわけにはまいりませぬか」
又兵衛がポツりと呟いた。碁石を挟んだ庄五郎の指が宙で止まる。
「親バカとお笑いくだされ。千代が貴方様を好いておることを思えば、
ませぬ」
こうなっては、二人とも囲碁どころではない。
「千代殿のことは某も憎からず思っており申す。されど千代殿はこの奈良屋の跡取り、仕官を志す某には所詮叶わぬ話かと・・・」
「千代に婿を迎えてこの店を、と望んだこともございました。しかし、あれにはあれの人生がございます。店は番頭に譲ってでも続けていくことができましょう」
庄五郎と又兵衛は強い意志をもって視線を交わした。
「千代殿は、本当にそれで宜しいのか」
「おぉ、では千代に話しても宜しゅうございますか。さぞかし飛び上がって喜びま
しょう」
思わぬ成り行きに、落ち着かない時間が過ぎていく。
離れに戻ってどれほどの時が経ったことか、
「夕餉の支度ができました」
千代が自ら膳を運んできた。今日は又兵衛は一緒ではない。
「これは千代殿、・・・」
「千代殿ではございませぬ。千代と呼んで下さいまし」
頬を赤く染めて
「千代」
ぐいと千代の肩を引き寄せた。千代の身体が庄五郎にしな垂れかかる。
庄五郎が千代の口を吸った。
大きな手が千代の胸を揉みしだく。ピクンと千代の身体に甘い
「お、お膳が冷めてしまいます」
ようやく言葉を絞り出すも、
「今、儂が所望するは千代じゃ」
「あっ、」
庄五郎の手が裾の合間を縫って、千代の敏感なところに触れた。
「いけませぬ。まだ外は明るうございますれば」
千代が固く膝を閉じる。
「構わぬ。
「夫婦・・・」、その言葉に千代の力が抜ける。
やがて庄五郎の逞しい身体が千代の膝を割って入ってきた。
善は急げとばかり、日を置かず婚礼が執り行われた。庄五郎、二十歳を少し過ぎた頃である。
庄五郎には親族がいないため、又兵衛が気を遣って式は内輪だけで催された。しかし近所の仲間が大勢集まって心の
昨日まで「お千代ちゃん」「お嬢様」と呼ばれていた店の者からも、「おかみさん」や「奥様」などと
千代の、そんな幸せそうな姿を見て又兵衛の眼に涙が滲む。
さて翌日、早くから又兵衛が部屋に訪ねて来て、
「次はお屋敷を探さねばなりませんな」
「はて、屋敷でござるか。このままここで厄介になってはご迷惑ですかな」
庄五郎が二日酔いの眠そうな顔で首をひねる。
「私どもにとっては願ってもないことですが、庄五郎様には窮屈ではございませぬか」
「いや、これまでと変わりませぬ故。それに仕官が決まればのことですが、城に上がれば千代が一人になりまする。戦にでもなれば数日帰れぬこともあろうかと」
武家では当たり前のことではあるが、商人として常に家族と一緒に過ごしてきた千代が寂しい思いをするのではないか、という庄五郎の心遣いであった。
「ありがたや、千代は果報者にございます。ならば油屋の店先から出入りされるのも何でしょうから、せめて玄関や門構えは整えさせて頂きまする」
庄五郎が滞在している「離れ」は店や住居の東側に造られていた。広大な敷地の中、南の庭には池が広がり、母屋とは池を跨ぐように太鼓橋で繫がっている。
その更に東に接して板張りの玄関と、奥には客座敷を兼ねた庄五郎の書斎も増築さ
れた。玄関の前には既存の塀を切り抜いて
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