(三)蝮の脱皮
「川の近くは嫌じゃ。香子のことを思い出すと夜も眠れぬ」
頼芸は山奥にある
趣味の絵画に没頭していく。
すると美濃の窮状を見て、反撃の機会を窺っていた越前の朝倉が頼武の嫡男・
頼純を掲げて攻め寄せてきた。これに近江の六角定頼らが加勢し、戦火は美濃
全土へと広がっていく。
この状況を打開すべく父・新左衛門が単身で近江に乗り込み、六角の姫を頼芸
に娶らすことで同盟を成立させた。
美濃争乱の収束に成功した頼芸は一五三六年、ついに美濃国守護に補任される。
「父上、その頭は・・・」
新左衛門は常在寺にて出家し、頭を綺麗に剃り上げていた。
「新九郎、儂は隠居を願い出て京に戻ることにした」
「まだ、お早いのではございませぬか」
新左衛門は五十も半ばに近づいたとは言え、まだまだ健在である。
「いや、御屋形さまを守護にお就けしたことで儂の役目は終わったのだ」
新九郎が
「儂はな、先々代の利隆様に引き上げてもろうてこの美濃にお仕えした。しかし
あろうことか、その長井の家を乗っ取る形になってしもうた。ここらが潮時じゃ、
後は
美濃には新左衛門を、主家を滅ぼす『蝮』と呼んで忌み嫌う者も多い。
「承知致しました。父上に成り代わり、私が頼芸様をお支え致しまする」
すると、新左衛門の顔が険しく歪む。
「最後にこれだけは言うておく。頼芸は阿呆じゃ、御屋形さまの器ではない。
いずれ
小守護代の家督は新九郎が嗣いだ。『毒』を含んだ蝮の脱皮である。
一五三八年、守護代斎藤家の当主・利良(妙全)が病死した。
「新九郎、守護代家は其の方が継げ。美濃を支えよ」
「はっ、心して励みまする」
頼芸の命により、長井新九郎は斎藤山城守利政と名を改める。
美濃国には東山道が走り、畿内との境には「不破の関」が設けられるなど交通の要衝でもあった。城下には父・新左衛門が残した楽市楽座が広がり、自由に商売ができる土地を求めて各地から人も集まってくる。
木曽川や長良川の水運にも恵まれ、美濃紙、美濃絹、飛騨材の市場町として経済的
にも文化的にも大いに栄えた。
守護代となった利政は、莫大な財を蓄えて美濃を更なる発展へと導いていく。
しかし、思わぬところから二人の間に亀裂が生じることとなる。
十歳になった嫡男の義龍はすくすくと育っていた。しかしその面立ちは、利政とは
似ても似つかない“瓜実顔”である。周囲には「頼芸様の落し胤ではないか」などと
噂する者も出始めていた。
それは義龍がまだ五歳くらいの頃、
「何だか御屋形さまに似ておるようだの」
新九郎が何気なく水を向けると、深芳野は目を三角にして気色ばむ。
「お前さまの子に間違いございませぬ。これは女にしか分からぬこと。子供の頃は皆、丸い顔をしているものでございます」
それから五年が経つが、顔立ちに全く変わりは無い。しかし、新九郎は二度とこの
話を持ち出すことはなかった。
この頃、利政は東美濃の名門・明智家より正室「小見の方」を迎えていた。二人の
間には可愛い姫が誕生しており、深芳野のもとに渡る回数も少なくなっていく。
を奪われてしまうのではないかとの危惧を抱いていた。
これらの者を代表して頼芸の弟・土岐七郎頼満が頼芸に注進する。頼満は兄弟の中
では唯一、頼芸と母を同じくする良き理解者であった。
「兄上、利政を信用してはなりませぬ」
「何故じゃ」
「兄上を大桑城に追いやって、美濃を手中にせんと企んでおると聞きまする」
「利政のことを悪く言うでない。あれは儂に忠節を尽くしてくれておる。大桑に
移ったのは儂の望みじゃ」
頼滿の諫言にも頼芸は耳を傾けない。
「あと一つ、・・・」
頼満が口ごもる。
「何じゃ、申してみよ」
「利政の嫡男・義龍のことでござるが・・・」
頼芸に顔が似ている。落し胤ではないかとの噂は頼芸の耳にも入っていた。
「兄上は、子が腹の中にいることを承知で深芳野を下げ渡されたのか」
「馬鹿を申すでない」
頼芸が血相を変える。
「それを伺い安堵致しました。しかし、利政の方は如何でござろう。母子共々押し
つけられたと兄上を恨んでおるのでは」
「むぅ、・・・」
・・・・・ 早産だと言うておったが、やはり儂の子なのか?
当然のこと、この噂を利政に確認したことはない。
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