(七)山崎屋の鑑札

「明日、神人どもを集めて詮議致す。その上で鑑札を授けよう」

何とかしてこの場から逃れたい、津田大炊も必死である。

   ・・・・・ 明日になって神人どもに周りを固められては為すすべが無い。

   ここは今宵、此彼こやつと一対一の間が勝負だな

「このまま、おめおめと店に戻れと仰せか。入婿である某が代々続いた店を潰したとなれば、どの面下げて主人の元に帰れよう。ならば貴殿の御首みしるしを頂戴し、武士らしくこの場で腹をさばいてお詫び致すとしよう」

庄五郎が刀に手を掛けて津田大炊ににじり寄る。

「待て。落ち着け」

津田大炊は後ずさりして悲鳴のような声を上げた。

「どうしても今夜でなければならぬのか」

庄五郎が無言で刀の鯉口を切る。

   ・・・・・ こういう時は、何か喋った方の負けじゃ

全身に殺気をみなぎらせた。


「一度召し上げた鑑札を再び与えるとなれば、相応の詮議が必要となるのじゃ。

分かってくれ」

真夜中に狂気とも思える侍を前にして、津田大炊の膝はガクガクと鳴っている。

「新しい屋号であれば、今宵の内にでも用意できるのだが・・・」

これ以上の恐怖には耐えられない。大炊がポツリと呟いた。

「何故、新しい屋号でなければならぬのか」

一旦、刀から手を外し腰を落とす。

「そちらから廃業の届を出してもらえれば詮議など必要無いということじゃ。新しい

鑑札の方は儂の一存で何とでもなる」

「う~む」

思わぬ展開に、さすがの庄五郎も言葉に詰まった。

「此度の不始末については、これこの通りお詫び致す。屋号は御手前の望みどおりで構わぬ故、ここらで手を打ってくれ」

ようやく我を取り戻した津田大炊は手を付いて詫び、落しどころを模索する。


真摯しんしな態度で頭を下げられては、庄五郎としても歩み寄るしかない。

しばらく考えた後、

「ならば、屋号は『山崎屋』で願いまする」

「や、山崎屋とな」

津田大炊の声が裏返る。まるで大山崎の油座直営の如き屋号である。

「奈良屋から屋号を変えるとなれば相応の理由が要りますでな。山崎の看板を掲げれば、神人どもも二度とあのような悪さはできまいて」

津田大炊は約束した手前、認めないわけにはいかない。ここで覆そうものなら直ちに首をねられてしまうだろう。

庄五郎はその場で「奈良屋」の廃業届を提出し、新たに「山崎屋」の鑑札を手にして八幡宮を後にした。


空が白み始めた頃、遠くから馬のひずめの音が聞こえてきた。

ここは奈良屋の店先である。

「庄五郎様が戻られました」

門の前で帰りを待っていた杉丸が大声で屋敷の中に駆け込む。

「よう、ご無事で」

千代と又兵衛が飛び出してきた。一睡もせずに庄五郎を待っていたようだ。

「親父殿には申し訳ないことになり申した」

部屋に入るや、庄五郎が頭を下げる。

「お怪我もなく戻られただけで十分でございます。鑑札のことはとうに諦めており

ました」

「いや、鑑札は戴いて参りました。ですが・・・、屋号が変わってしまいましてな」

離宮八幡での顛末てんまつを事細かく報告する。聞いている方は皆、あまりの展開に言葉も

出ない。

「屋号など、何でも構いませぬ。明日からも商売ができるとなれば、使用人たちも

安堵致しましょう」

「そう言って頂き、肩の荷が下り申した」


「これを機に、年寄りは隠居させて頂きましょう」

又兵衛が穏やかな笑みを浮かべる。

「やはり、奈良屋でないとお気に召しませぬか」

「いえ、そういうことではございません。私も寄る年波、そろそろ峰丸の相手でも

しながら余生を楽しみたいと思っていたところでしたのじゃ」

峰丸とは庄五郎の嫡男、自らの幼名と同じ名を付けていた。後の斎藤道三である。

身代しんだいはいずれ千代に継がせることになりますが、勝手ながら山崎屋の主は庄五郎様ということでお願いできませぬか。女だと侮られますのでな」

又兵衛のたっての願いで店主となった庄五郎は、より一層商いに精を出す。

併せて離宮八幡との関係修復も図るべく、「山崎」を名乗る謝礼として毎年の寄進を欠かさぬよう心掛けた。

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