(一)深芳野

斎藤道三は京の油問屋の息子として生まれた。

父は松波庄五郎、幼き頃には寺に預けられ、還俗げんぞくして商人となり身を立てる。やがて

武士を志し、美濃国に渡って土岐家の名門・長井氏に仕えた。

永正十五年(一五一八)、長井家の家臣・西村氏の家督を継いで勘九郎正利を称すると、京から息子(後の道三)を呼び寄せて元服させ西村新九郎と名乗らせる。

父の勘九郎はバイタリティ溢れる野心家であった。その才覚を受け継いで、都で高度な学問や武芸を身に付けた新九郎はまさに正統派のエリートである。新九郎は奏者・佑筆の見習いとして土岐頼芸の近習に取り立てられた。


翌一五一九年、土岐の領主・政房が世を去り美濃守護職が空位となった。

嫡男の頼武と弟・頼芸の間に家督を巡る争いが起きると、越前の朝倉孝景が頼武を担いで美濃に侵攻してきた。この合戦を制した頼武が美濃国守護に就き、頼芸は鷺山城に蟄居させられる。

大永五年(一五二五)、頼芸を支える長井長弘と西村勘九郎は川手城を急襲し、頼武を越前に追放した。その功により、勘九郎は守護代斎藤家の居城・稲葉山城を手に入れる。

二年後、頼武が越前の支援を受けて美濃に攻め入ってきた。勘九郎は頼芸を稲葉山城に保護して越前勢を迎え討ち、新九郎は城下に潜んで敵を背後から攪乱かくらんする。


「新九郎、深芳野みよしのを頼む」

新九郎は深芳野を戦から守るため、鷺沼の城から西村の自邸に身柄を保護していた。

深芳野とは頼芸が寵愛する側室である。土岐家の重臣である稲葉通則の娘なのだが、思えば可哀想な女であった。美濃で一二を争う美貌を誇りながら、残念なことに

背丈が六尺二寸(約一八七センチ)もあったため、縁談を迎えることもなく適齢期

を過ぎてしまう。

それを元服を終えて間もない頼芸が見初めて側室に迎えた。五つ歳上のふくよかな

深芳野の胸に顔を埋めながら、頼芸は母への慕情を慰めていたのではなかろうか。


「新九郎殿、少し相手をして下さりませぬか。一人では面白くありませぬ」

深芳野に呼ばれた。どうやら「貝合せ」をして暇をつぶしているようである。

「私でお相手が務まりますかどうか。女子の遊びはしたことがございませぬ故」

向かい合って座ると一つの貝を手に取った。対になるものを探すが、どれも同じ

ような形をしている。しばらく首を捻っていると、

「これでございましょう」

もう一つの貝を持った深芳野の手が新九郎の手を優しく包んだ。

「あっ、・・・」

慌てて手を引っ込めた弾みに、深芳野の身体が新九郎に覆い被さる。甘い香りが

新九郎の鼻腔に広がった。

側室となって七年、頼芸が深芳野のもとに渡ることも少なくなっていた。三十路みそじ

過ぎたばかりの女盛り、深芳野が若く逞しい新九郎に惹かれたのも無理はない。


一五二七年八月、頼芸は頼武勢を撃退して政権奪取を確実なものとする。

福光御構に入った頼芸に拝謁した帰りのこと、深芳野が廊下で新九郎を呼び止めた。

「ややが出来たようです」

「それは、お目出度うござりまする」

しかし、深芳野は小さく首を振る。

「ま、まさか、あの時の・・・」

深芳野が頷く。思えば、頼芸と深芳野は連れ添って七年も経つが子はできずにいた。自分のたねである可能性は否定できない。

「某が必ず何とか致しますので」

取り敢えず口止めをして家に戻った。


「父上、不覚の儀となり申した」

屋敷に戻り、勘九郎に一部始終を報告する。

「このたわけ者めが。しばらく謹慎しておれ」

勘九郎には珍しく、青筋を立てて新九郎を怒鳴りつけた。

   ・・・・・ 主君の寵愛する側室と密通したとなれば打ち首は免れまい。

   当面はやり過ごしたとしても、生まれてきた子が新九郎に似ておっては

   言い逃れもできまいて

   かくなる上は深芳野ごと奪い取る手立てを考えるほかあるまい。まずは

   深芳野をねやに上げぬことじゃな


翌日、勘九郎は福光の守護所に頼芸を訪ねた。

「ようやく戦も一段落致しました。ここらで息抜きに、都で評判の白拍子しらびょうしでも呼んでみては如何かと」

「おぉ、京の白拍子とな。それは楽しみじゃ。早う、手配せい」

京に憧憬しょうけいの強い頼芸の目尻はだらしなく垂れ下がっている。

直ちに五人の白拍子が呼ばれ、連日連夜、頼芸にはべった。二十歳も半ばを過ぎ、頼芸は若い女たちの身体に溺れた。

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