(六)『うつけ』の器量
その頃、北に位置する越前朝倉は当主の孝景が頓死し、元服を終えたばかりの義景が後を継いでいた。しかし政務・軍事は重鎮の宗滴が補佐しており、美濃は依然として越前との小競り合いが絶えない。
一方、尾張の織田信秀は三河小豆坂で今川の太原雪斎に敗れるなど、東からの圧力に悩まされていた。美濃と尾張、双方の利得が一致して、利政は積年の対立を乗り越えて信秀と同盟を結んだ。その証として、美濃に戻っていた桔梗を信秀の嫡男・信長に嫁がせる。この時、信長十五歳。桔梗は十四であった。
信長には
一例を挙げれば、武家の次男・三男を集めては各地で戦闘の真似事をして暴れ回る
など、周囲の大人たちの目を潜めさせた。武家に於いては長男以外は居候の穀潰し
でしかない。
しかしこれが後に信長の親衛隊となり、更には兵農分離へと発展して強力な織田軍
を構成することになるのだが、当時は誰もそのようなことは想像だにできなかった。
他にも、熱田湊に出入りして貿易や商いに精を出すなど、武家にあるまじき所業を
好んだという。
嫁入り前の晩、利政は桔梗に短刀を授けて、
「もし信長が評判どおりの“うつけ”であれば、儂は迷うことなく尾張に攻め入るで
あろう。その時はこの剣で自害せよ」
桔梗は黙ってその短刀を見つめていたという。
通説では「“うつけ”であれば、この剣で信長を刺せ」と言ったとか言わないとか、
いかにも演劇が好む脚本のようである。ここは長年敵対していた織田家に嫁ぐ娘に、親として覚悟を授けたと捉えるのが筋であろう。
一五五一年、信秀が病没、信長が織田弾正忠家の家督を継いだ。
那古野城に拠る弾正忠家は、清洲城の織田大和守家と尾張の覇権を巡って
大和守家は信秀の逝去に乗じて、信長の弟・信勝(信行)を推し立てて尾張の統一を企てた。また弾正忠家内部にも温厚で律儀な弟の方を支持する家臣も少なくない。
「信長様の
稲葉山城の大広間には美濃四人衆が顔を揃えていた。四人衆とは稲葉一鉄、安藤守就氏家卜全の西美濃三人衆に不破光治を加えた四名のこと、古より土岐氏に仕えてきた忠臣たちである。
「何があった」
「聞くところによれば平手殿は、信長様の当主にあるまじき振舞いを諫めるため自ら腹を召されたとのこと」
「信長は・・・、それほどまでに酷いのか」
「何でも信秀様の葬儀の席で、位牌に向かって抹香を投げつけたとの噂も届いておりまする」
・・・・・ そのような“うつけ”では尾張は治まるまいて
利政の顔が曇る。
「一度、あの“うつけ”には会うてみねばなるまい。光治、段取りせよ」
不破光治は那古野城に信長を訪ねて利政との面会を申し入れた。
「親父殿が儂に会いたいとのことじゃ」
信長が桔梗に利政との面会を伝えると、たちまち桔梗の顔が曇る。
「如何した」
「お気を付け下さりませ。父は何をするか分からぬお人でございますれば・・・」
以前、桔梗は夫であった土岐頼純を利政に毒殺されている。
「なに、心配は無用じゃ」
信長は不敵な笑みを浮かべた。
利政と信長は、美濃と尾張の境にある正徳寺で面会することが決まった。
「顔を合わす前に“うつけ”の姿を見ておきたいものよのぅ」
「それでしたら街道脇に古寺がありますので、そこから覗いてご覧になれば宜しい
のでは」
面会当日、利政と安藤守就が寺の中に潜んでいると信長の軍勢が姿を現した。
「な、何じゃ、あれは」
先頭は長槍隊である。しかし、その長さが尋常ではない。
「三間半(六.四メートル)はございますな。しかし、あれだけ長くては戦場では
持て余しましょう」
通常の槍は二間半(四.六メートル)ほど、突くのではなく上下に振って相手を叩くように使うのが常套であった。あれほど長い槍は振ることなどできない。
「たわけ。あれだけの数の長柄が槍先を揃えて押し寄せてくれば、いくら我らが槍
を振ろうとも相手には届かぬわ」
驚いていると、次に鉄砲隊が現れる。
「何と、二百丁、いや三百丁はあるやもしれぬませぬな」
「うぅむ・・・」
当時、鉄砲は有力な武器と認められつつあったが、高額であり、火薬に使う硝石の
入手が困難であることから主力として用いる大名は多くなかった。これほどの装備は、熱田湊の貿易で蓄えた潤沢な資金に支えられたものに違いない。
「信長様が見当たらんのですが」
「そんな馬鹿なことがあるか。真ん中の馬に乗っておるのが信長であろう」
「いえ、馬に乗っているのは年寄りのようです。信長様ではございませぬ」
「何だか狐につままれたような気分じゃな」
利政は会見場所に引き上げて信長を待つことにした。
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