(三)土岐頼芸の“つぼ”

庄五郎は土岐の名門・長井氏の家臣に取り立てられた。

長井の家督は利隆の嫡男・長弘が嗣いでいた。庄五郎は年齢的にも長弘より一回り

下で相性が良い。寺で兵法や算術などを身に付けていたこともあり、直ぐに長弘の

片腕として重宝されるようになった。

永正十四年(一五一七)の暮れ、土岐政房は嫡男の頼武を廃嫡して寵愛する側室の

所生である頼芸に家督を嗣がせたいと考え、重鎮の長井利隆を味方に抱き込んだ。

利隆は隠居した今もなお、美濃に大きな力を保持している。

これにより土岐氏は嫡男の頼武を掲げる守護代斎藤家と、次男の頼芸を支持する

長井家の二つに割れて勢力を競うこととなった。


ここで美濃国守護代・斎藤氏について触れておく。

斎藤氏は守護代家(宗家)と持是院じぜいん家の二つの家系に分かれていた。長井利隆と南陽坊の兄弟は斎藤氏宗家の出自である。

二十年ほどの昔、美濃国守護の土岐成頼は四男の元頼を溺愛し、嫡男の政房を廃嫡しようと画策した。これに持是院家の斎藤利国(妙純)が反撥し、家督を政房に継がせることに成功する。

宗家の斎藤利藤は主の成頼に従って元頼を支持していたが、戦に敗れて守護代の座を追われてしまう。失脚した利藤の嫡子・利隆は傍流の長井氏を継ぎ、末子(南陽坊)は幼くして妙覚寺に預けられた

こうして守護職を継いだ土岐政房であったが、自らも家督争いを誘発させるとは、

実に懲りない一族である。


最初の争いでは政房の思いとは別に、頼武を支持した守護代の斎藤利良(持是院妙全)側の勝利に終わった。頼武はいにしえより土岐氏の本城であった川手城を居処とし、弟の頼芸は鷺山さぎやま城に蟄居ちっきょさせられた。

鷺山城は昔、川手城の支城として築かれた。政房が鷺山の麓に福光御構を築いて居館とすると、美濃守護所も川手城から福光御構へと移されていた。


「これを御屋形さまに差し上げては頂けませぬか。少しでもお慰みになればと・・」

庄五郎が長弘に小さな箱を手渡した。どうやら書や絵画に使う墨のようである。

後日、鷺山城では長弘が、小箱を遠慮がちに頼芸の前に差し出した。

「御屋形さま、墨ならばいくつあっても邪魔にはなりますまい」

その箱を見た頼芸の顔色が変わる。

「長弘、これを何処で手に入れたのか」

「近ごろ召し抱えました家臣が御屋形さまにと持って参ったものですが、如何なされましたか」

「これは明国の墨でな、我が国では滅多に手に入らぬ貴重な品じゃ」

鷺山で暇を持て余していた頼芸は、好きな絵画に没頭するようになった。その頼芸の

ためにと庄五郎がわざわざ京から取り寄せたものであった。

「ほぅ、京から参った者とな。ならば都の話なども聞いてみたいものよな」

昔、美濃には京の公家が多く下向して都の文化が花開いていた。ちなみに日運上人の母も時の関白・一条兼良の娘である。しかし応仁の乱の煽りを受けて、近年は京の都とは政治のみならず文化的な交流も閉ざされていた。


「御屋形さまのお召しじゃ。登城の支度を致せ」

文芸に勤しむ頼芸は京への憧憬しょうけいが人一倍強い。

「有り難き仰せにございまする。では、これも殿から御屋形さまへ」

墨の他にも上質の紙や筆を持参してきた。恐らくは全て貴重な品であろう。

「其の方からお渡しすれば良いではないか」

「滅相もございませぬ。某は長井様の家臣でございますれば、直に御屋形さまになど恐れ多きことにござりまする」

長弘を立てることも忘れない。

庄五郎は初めて頼芸に拝謁した。頼芸はまだ二十歳に届かず、色白の瓜実顔は守護というより公家のようである。


「この男は日運上人の兄弟子でございまして、京の妙覚寺では随一の英才と呼ばれておったそうにございます」

長弘が頼芸に紹介した。

「それが何故に商人になったのか」

庄五郎は自分が油問屋の婿になった経緯、油の売り方などを面白可笑しく語った。

大山崎の禰宜を手玉に取ったくだりでは、頼芸は抱腹絶倒の大笑いである。

「長井様にお仕えすることになりましたのは、今は亡き利隆様に見出していただいてのこと」

つい先日この世を去っていた長井利隆をも偲んだ。

更には京の公方様の様子など、頼芸が興味を示しそうな話題も事細かく披露する。

「庄五郎とやら、其方であれば舞などもたしなむのであろう。儂の無聊ぶりょうを慰めるとして、ひとさし舞ってはくれぬか」

酒も進み、庄五郎を試すかのように頼芸が話を振った。


「ご所望とあらば・・・、『敦盛あつもり』をつかまつる」

   ・・・・・ 昔、平経盛(清盛の弟)の末子に『敦盛あつもり』という若者がいた。

   一ノ谷の戦いに敗れて海に向かって敗走していた時、源氏軍の熊谷直実という

   武将に見つかってしまう。

   「背を見せて逃げるは卑怯なり」、この言葉を受けて敦盛は馬を返した。

   しかし直実は名うての強者つわもの、敦盛はかなうべくもなく組み伏せられてしまう。

   「私の首を取り手柄にせよ」、若者は潔く力を抜いて目を閉じた。

   直実は躊躇ちゅうちょする。敦盛は数え十六、見れば我が子と同じ年端の少年である。

   しかし源氏の追討軍が迫っており、もはや見逃すことなどできるはずもない。

   「ならば、せめて自分の手で」と、直実は涙を呑んで敦盛の首を刎ねた。

   「嗚呼ああ、武家にさえ生まれてこなければ・・・」

   源平合戦の後、熊谷直実は人知れず出家したという。  (幸若舞『敦盛』)


庄五郎は、つと立ち上がると近習の笛に合わせて舞い始める。

見事な出来であった。舞が終わり笛が止んだ時、頼芸は我に返ったように手にした

扇で膝を打った。

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