(一)常在寺の住職

山崎の屋号を得たことで何かと横槍が入ることもなく、以前にも増して業績は伸びる一方であった。しかし庄五郎の心は今一つ晴れない。

「千代。儂はもう一度、武士を目指してみようと思う」

千代は黙って頷いた。一緒になった時から庄五郎の気持ちは分かっている。

「やはり武士にならねば、この国は変えられぬ」

「国を変えるのでございますか」

「そうじゃ。座のような既得権益に縛られておっては、いつになっても民は豊かには

なれまい」

   ・・・・・ この人は、いつも私たちには思いも付かないことを考えている。

   きっと、とてつもないことを成し遂げなさるに違いないわ


「で、どちらに参られますのか」

「美濃じゃ」

庄五郎は行商で各地を歩きながら周辺の国々の情報を集めていた。

美濃の守護は土岐氏、長男と次男が家督を争って国が二つに割れていた。ならば、

双方とも勢力拡大に力を入れているはずである。

更には昔、妙覚寺で共に修行した南陽坊が美濃常在寺の住職になっているという。

「私も連れて行って下さいますのか」

「仕官が決まれば呼び寄せる。それまで峰丸や親父殿、そしてこの山崎屋を守って

待っていてくれ」

確かに、今すぐ父親や店を放り出すわけにはいかない。


「ご住職はおられるか」

永正十三年(一五一六)、ここは美濃の常在寺。庄五郎が取次ぎを請うた。

「どちら様でございますかの」

小坊主が出てきて問う。

「法蓮坊が尋ねてきた、と伝えてはもらえぬか」

その声が消えるか消えないかの内、中からバタバタと住職の日運上人が飛び出して

きた。

あにさま、よう参られました。お懐かしゅうございます」

挨拶もそこそこに、まるで初恋の人に出会ったかのように庄五郎の手を取って部屋

に招き入れた。


還俗げんぞくなされてから、兄さまは如何しておられましたか」

「仕官を目指して京に出てきたのだが、ひょんなことから油問屋の婿になってな」

「それで商人あきんどの出立ちをしておられますのか」

武士を目指して還俗したはずの法蓮坊が、商人の格好をしているので不思議に思って

いた。

「では、この美濃で商売を」

「いや、実はもう一度武士を志そうと思うてな。それで御主を頼ってきたのじゃ」

「嬉しゅうございます。ここ美濃には兄がおりますので、早速にもお引き合わせ致しましょう」

日運の兄とは長井豊前守利隆、土岐氏に仕える重臣である。


「ははは、まだ美濃で仕官するかどうか決めてはおらぬ。この国の実情を調べたいのだが、一月ひとつきほど厄介になっても良いかな。御主の意見も聞かせてもらいたいのだ」

「もちろんでございます。一月と言わず、いつまででも。兄さまにはまた、いろいろなことを教えて頂きとうございます」

昔のこと、幼くして妙覚寺に預けられ心細い思いをしていた南陽坊(日運)を、二つ歳上であった法蓮坊(庄五郎)が親身になって面倒を見てやった。法蓮坊は妙覚寺一と認められるほどの英才で、南陽坊は法蓮坊を実の兄のように慕っていた。

しかし法蓮坊の出自では、南陽坊のように住職に迎えられる望みなど無い。先を見越して還俗し、武士を目指すことにしたのであった。


庄五郎は毎日、商人の格好をして寺を出ると夕刻まで国中を歩き回っている。

「仕官を目指されておられるのに、何故そのような出立ちで」

「城下をいろいろ調べて回るには、商人の格好の方が都合が良かろう」

「なるほど、さすがは兄さまでございますな」

七日ほど経った頃、京から杉丸が大量の永楽銭や砂金を馬に積んでやってきた。

「これを御主の寺に寄進しようと思うてな」

「何と、これほど多くの浄財は・・・」

今まで見たことも聞いたことも無い。

「これまでいろいろと悪行にも手を染めてきたが、ようやく儂もこれぐらいのこと

はできるまでになれた。今こそ仏恩に報いるには、お主の寺に寄進するのが一番だ

と思うてな」

「兄さまぁ~」

日運上人が感激して目に涙を溜めている。

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