(六)稲葉山の城

永正十六年(一五一九)、土岐の領主・政房が世を去り、美濃守護職が空位となる。

それを待っていたかのように、土岐頼武を担いだ越前の朝倉孝景が三千の兵を美濃に送り込んできた。越前亡命中、頼武は朝倉貞景の娘(孝景の妹)を娶っていた。

この合戦を制した頼武が美濃国守護に就き、頼武を支持した斎藤利良(持是院妙全)は守護代に任命され政治的実権を握った。

長井長弘は失脚し、頼芸は再び鷺山城に蟄居となる。


「このままでは、美濃は越前に呑み込まれてしまうのではないか」

頼武側の勝利は越前の朝倉に支えられたものであり、守護に就いたものの支配は美濃の一部に限られていた。

「我ら西美濃衆は越前になど従うつもりはない」

越前の兵の横暴に耐えかねて、東美濃でも同様の声が吹き出しているという。

そんな大永五年(一五二五)のこと、守護代の斎藤利良が病で一線を退いた。

「守護代を受け継いだのは叔父の利茂だと言うではないか。とても美濃を統括できる器ではなかろう」

「越前の兵も、田起こしを前に国に戻っておるようじゃ」

これを好機と、長井長弘と勘九郎は川手城に頼武を急襲した。斎藤利茂の居城である稲葉山城をとすと、頼武を再び越前に追放する。


祝着至極しゅうちゃくしごくに存じまする」

福光御構に入った頼芸に、長弘と勘九郎が拝謁している。

「其の方らのお陰じゃ。しかし、いずれまた越前が兄上を焚き付けて攻めてくるので

あろうな」

「同じことの繰り返しですな」

三人の顔は晴れない。

「御屋形さま、稲葉山を某に預からせては頂けませぬか」

勘九郎が願い出る。稲葉山城は代々、守護代の斎藤氏が居城としていた。峻険な金華山のいただきに築かれ、北には長良川が堀となって流れる天然の要害である。

「少し手を加えれば守りの堅い城となりましょう。守護所とも近く、いざという時には御屋形さまにお入り頂けるよう縄張りを改めまする」

「おお、それは良い。勘九郎、頼んだぞ」


守護所を追われた土岐頼武は、妻の実家である越前国朝倉氏に救援を求めた。

二年後(一五二七)、朝倉景職が三千の兵を率いて美濃に来襲する。

しかし稲葉山城は勘九郎の手によって堅固な要害へと変貌を遂げていた。福光御構や鷺山城は陥とされるも、頼芸は稲葉山城に籠もり朝倉勢の撃退に成功する。

「頼武様から守護職を取り上げねばなりませぬな」

「しかし、あの兄上が易々と手放すとは思えぬが」

「いっその事、討ち果たされまするか」

長弘が頼芸に覚悟を迫る。

「それはならぬ。守護である兄上を手に掛けてしまっては、儂は謀叛人となろう」

「しかし越前に追い払ったままでは、また攻め寄せて参りましょう」

越前の朝倉は娘婿の頼武を通して美濃を支配下に置こうと狙っていた。頼武と頼芸の争いは美濃内部のこと、越前にとっては痛くも痒くもない。


「ここは、和睦を考えては如何でございますか」

勘九郎が進言する。

「和睦だと」

頼芸と長弘が同時に声を上げた。それができるくらいなら苦労は無い。

「今や頼武様に従う国人は少ないこと、腹に染みておられましょう。それなりに遇すると約束なされば考えられぬことでもないかと」

「あまり気は進まぬがな」

「いつまでもご兄弟で争っている場合ではございますまい」

美濃を豊かにするには国が一つに纏まること、勘九郎は頼芸の許しを得て頼武を大桑おおが城に迎え入れた。


「お初にお目通りいたします。西村勘九郎と申しまする」

「其の方の名はよう耳にしておる。新参者ながら頼芸の覚えが目出度いようじゃな」

華奢きゃしゃで公家のような面立ちの頼芸とは違って、頼武はでっぷり太った下卑げびた赤ら顔である。

「国主であるこの儂をこのような山奥の城に押し込めるとは、いかなる了見じゃ」

戦に敗れたとは思えぬ傲慢な物言いである。

「頼武様にはこの大桑にて健やかにお過ごし頂きますように。つきましては、守護職を頼芸様にお譲り頂きたく・・・」

勘九郎が引導を渡そうと詰め寄った。しかし、

「其の方は何か考え違いをしておるのではないか。美濃守は公方様より補任されたもの、儂の一存で譲渡など出来るはずが無かろう」

頼武には取り付く島も無い。


この頃、京は三好一族の台頭で混乱の最中にあり、将軍・足利義晴は越前の朝倉氏を頼りとして近江朽木谷へと逃亡を余儀なくされていた。朝倉には頼武を手元に置いて美濃国を支配しようという思惑があり、とても将軍家に守護職の補任を求めるような状況ではない。

そうこうしている内、美濃国では、

「このところ、東美濃の国人どもが大桑城に参集しておるようじゃな」

守護代を継いだ斎藤利茂が頼武への支持を訴えて回っていた。

「かくなる上は覚悟を決めて、頼武様を討ち果たすほかございますまい」

一五三〇年、長弘と勘九郎が兵を集めて大桑に攻め上がる。頼武も朝倉の援軍を得て合戦に及ぶが、激しい戦の末に敗れて三たび越前へと逃亡した。


その後、頼武は撤退の際に負った傷が悪化し、守護職に就いたまま越前にて死去した。美濃守は空位となり、頼芸は『濃州太守』、長井長弘は『小守護代』と呼ばれるようになる。

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