(跋)三つの道理
敬愛する司馬遼太郎先生の小説では、斎藤道三は北条早雲、松永久秀と並んで「戦国三梟雄」の一人に挙げられている。妙覚寺の喝食から還俗して浪人、油商人を経て、ついには戦国大名(国盗り)にまで成り上がった。梟の如く暗闇に目を光らせて獲物を狙う、まさに「下克上」を絵に描いたような武将である。
しかし『国盗り物語』から六十年の時が経ち、その間には新しい資料が数多く発見されている。永禄三年(一五六〇)付けの『六角承禎書写』では、従来、道三一代のものと見られていた美濃の国盗りは、その父・長井新左衛門尉との父子二代にわたるものであることが明らかとなった。道三が美濃の名門・長井氏の出自となれば、梟雄と呼ばれた人物像も見直されて然るべきであろう。
あくまで筆者の仮説ではあるが、父の新左衛門は幼き頃に寺に預けられ、還俗して苦労を重ねて油問屋の主となり、幼き頃からの志を貫くため美濃に仕官して重臣にまで昇りつめた。知恵とバイタリティに溢れた魅力的な人物であったと想像する。
その血を引く道三は京の都で高度な教養を身に付けたエリートである。守護の頼芸を支え、類稀なる才幹を以って美濃国を繁栄に導いた。やがて守護代斎藤家を継ぐと、
それを妬む土岐の旧臣たちに唆された頼芸と対立が始まる。美濃の繁栄は自分があったればこそ、その矜持は主を放逐するにも迷いが無い。
毒を以って敵を制する、『まむし』と恐れられた所以であろう。
斎藤氏の家紋は古より「撫子」、しかし道三は自ら考案した「二頭波」を愛用した。二頭波は中国の古典『老子』にある「上善如水」に由来すると言われている。
水は高き処より低い方に流れる、即ち自然の摂理を表している。歪な器にも対応できる柔軟性を持ち、地球上の全てのものに潤いを与え、一方で大量に集まれば家屋でも押し流してしまうほどの恐ろしさも兼ね備えている。
『道三』の法名(戒名)が示す三つの道理とは何を指しているのか。
水の有する「自然の摂理」「柔軟な対応力」「慈悲と憤怒」のことだろうか。
或いは国を導く「僧侶」「商人」「武士」、即ち、民を救い、日々の暮らしを豊かにして国の平和を守ること、父と共に歩んだ『道』を振り返っていたのかもしれない。
捨ててだに この世のほかは なきものを いづくか
・・・・・ この世では、我が身以外のものは全て捨ててしまった
私の安住の地とは、いったい何処にあるのだろうか
斎藤道三、辞世の句である。さぞかし心残りであったに違いない。
しかし道三の思いは信長に受け継がれ、今日の豊かなこの国の礎となった。
美濃を発展に導いた道三は領民から尊敬され、心から慕われてもいた。
それが証拠に四五〇年以上経った現在でも、岐阜市では毎年四月に『道三まつり』
が開催されている。
また、道三の娘は稲葉貞通に嫁ぎ、その子孫は勧修寺家の室となる。後に勧修寺家
の娘・
即ち、斎藤道三は今上天皇の外戚に当たる。
完
最後までお読みいただき有難うございました
『まむし』の道理 (斎藤道三) 山口 信 @masatoUKYO
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